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センターマンと呼ばれた男

 ここ何年も経験はないが、以前はよく絡まれていた。
目つきが悪い、なぜかヤバイ人と目が合う、自然と溢れる出る威圧感などが標準装備されていると周りから言われ(昔の話ネ)、全く相手を意識していないのにダル絡みからのワンパンくらいはカジュアルにもらっていた。これは単純にその時の治安の悪さも加味されるが。

私の地元はよくある田舎町で、そこそこ不良はいたが80'sのような、いにしえのビーバップ的なバチバチのヤンキーなどはほぼ絶滅しており、池袋ウエストゲートパーク的なヤカラは少数いたが、みんな仲良くカスカスになるまでパワプロでもやろうぜ!のノリがあった。
(隣の隣の山の中の中学校にはカメレオンの相沢クンみたいな奴はいた)

カメレオンの相沢クン。前髪だけ染めている

昔はやれシンナーだカツアゲだとそこそこ荒れていたとは伝え聞くものの、我々世代では特に大きな事件もなく、たまーに悪いパイセンからのめんどくさい呼び出しがあるくらいで、平凡な日常が続いていた。

 高校へ進学した入学直後である。後ろの席のRくんと喋っていると、その素朴な見た目とは裏腹にかなりの悪さをしていた生粋の隠れヤンキーであることが判明した。中学時代にシャレにならない事件を起こしていたが、一緒に悪さをした仲間の親族に地元の名士がいたため公にはならず、内々に処理していたとか。普通にドン引きした懐かしい思い出。そんなRくんにウチの地元ではこんな感じだったよーと和やかに話すと彼は興味津々。ここで調子に乗って話し過ぎたのが悪かった。彼は、彼の先輩にそのままトークの横流し。私の地元がヤバイという良からぬ誤解を生んでしまったのだ。すでにお察しのマイルドヤンキーの方はいるかと思うが、翌日に即呼び出しとなった。

そのRくんのパイセンだが、我々の間では密かにセンターマンと呼ばれていた。その由来はいつもヤンキー軍団の輪の中心にいたから。輪の中心と言っても、リーダー的存在とか精神的支柱みたいな意味ではなく、物理的なポジションが真ん中。車座になった時に円の中心でうんこ座り。ただそれだけ。引用はもちろん『笑う犬の冒険』だ。
そのセンターマン、顔がめちゃくちゃ怖かった。サッカーの大久保嘉人を邪悪にした感じだ。ピチピチで肩にかかる部分が細いタンクトップをよく着ていて(地元では鬼タンと呼んでいた)、ハスキー犬のような目つきで威圧感がすごかった。

鬼タンのイメージ

 おいツラ貸せや、である。現代落語のタイトルになってもおかしくない据わりの良さ。恐れおののく15歳の私。何もやってないのに…。むんずと肩を掴まれ、駅前の障害者用トイレに無理矢理連れ込まれてしまった。
何を聞かれたのかは覚えていないが、挨拶代わりに軽くボディへワンパン、からのキヨスク的な駅ナカの売店でタバコを買ってこいと命ぜられた。こちとら学ランである。買えるわきゃない。これがヤンキー地獄の責め苦だ。

しかし私は堂々と、しかも少し意気揚々と売店へと向かった。売店のおばちゃんに経緯を説明してやんわり断られるか、騒ぎ出して大ごとになるか、もうどうにでもなれと思っていたのだ。どっちにしろウケるなという、誰に向けてのウケなのかもはや訳がわからないが、そういうマインドだった。

そのただならぬ状況を傍らでずっと見守っていたのが我らが地元のパイセンNちゃんである。Nちゃんはなんていうか、天真爛漫なぽっちゃり男子だ。気軽にちゃん付けで呼んでいいタイプの人畜無害の優しいパイセンである。そんなNちゃんが眼前に立ちはだかった。悪いことは言わないからやめとけと、私の無謀なことを何故だかお見通しのようだった。そっスねと、我に返った私はセンターマンの元へと戻り、やっぱ無理っス勘弁してくださいっスと泣きを入れた。せせら笑うセンターマン。有耶無耶になって解放された私は帰りの電車でテンションダダ下がりだった。

そこからセンターマンの地味な嫌がらせは続いた。移動教室の際に廊下ですれ違うと強烈なガン飛ばしからの嘲笑。シンプルに顔が怖い。あとムキムキで怖い。そんなことがずっと続いたので、帰りの電車が一緒にならないようにわざと1、2本遅らせて乗っていたが、田舎なので1時間に1本しか電車が無いので時間を潰すのにめちゃくちゃ苦労した。そのほとんどを古本屋か公園で過ごしたが、これはまたの機会に。まあでもその程度のゆるい嫌がらせというか威嚇みたいな感じだったので、言うほど大変な思いでもなかった。

 ある日の体育の授業。更衣室に行くと前の授業で体育だったセンターマン御一行が着替えていた。おいおいマジかよと思いながら隅っこの方で着替え始めるとカチンカチンという金属的な音が聞こえてくる。なんの音かなと、音のする方に目を向けるとヤツが体を拭くギャツビーのウェットシートチャッカマンで火をつけようとしていたのだ。なぜそんなことを?と思った次の瞬間、ボワワッ!っとすごい勢いでシートに火がついた。

それをまさかの放り投げる愚行!アチィとか言ってる場合じゃない!小さな更衣室は大パニックである。中途半端に制服のスボンやシャツを脱いでいた連中は転げ回りながら大暴れ。ゴロゴロ転がるクラスメイトに突っ込まれた私はその場で尻餅。火元の行方は!?と飛んで行った先に目を向けると使われていない洗面台に無事着地。ウェットシートはそこで静かに燃えきった。

騒然とした更衣室の中央には後輩一同から冷ややかな視線を浴びるセンターマンがいた。流石のセの字もバツが悪いのか、焦ったーとか言いながら退室。私以外にもちょっかいを出されていた数名がここぞとばかりに先生にチクろうと結託し始めた。特に体育教師はわかりやすい昭和の近距離パワー型だったため、教育的指導の名による竹刀でドン!もあり得るかもしれない。僅かな反抗心だったが、結局チクりはやめようとなった。シンプルに報復が怖い。当時はまだまだ17歳、怖いもんは怖いゼ!

そんなセンターマンだがある日を境にパッタリとちょっかいを出してこなくなった。理由はなんと我が地元のパイセンHくんのおかげだ。Hくんはセンターマンと同じクラス。私がセンターマンから標的にされていることを当初から知っていたはずだが謎のタイミングで庇ってくれたらしい。そろそろやめてやってくれよ的なことを言ってくれたのかもしれない。しかし謎だったのは、中学時代に私はHくんからは好かれておらずむしろ嫌われていたし、ちょっかいも出されていた。ここへ来ての助け舟である。まあなんというか、なんかそういう不思議なことが起きるって学生時代にありましたよね。
(ちなみにHくんは別件でも助けてくれたこともあったので感謝してます)


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