アリストテレスの災難 ~ギリシャの宇宙観の変遷~
※引用される史料に訳者が書かれていないものは筆者による試訳です.
序.
本稿では,ギリシャ人の宇宙観の変遷を考えてみたいと思います.まずシュベーグラーによる,次の記述を見ておきましょう.
この記述は,アリストテレス『天について』の解説なのですが,そこでは,宇宙の中心をもっとも神聖さの低い場所であり,そこに位置する地球を神聖さの低い場所と考えています.この発想について,ネオ高等遊民さんが,驚きとともに次のような感想をもらしています.
そこで,この疑問を出発点とし,ギリシャ人の宇宙観の変遷を検討していきます.
1. ホメロス/天空と冥府
ギリシャ人の宇宙観を知るには,ホメロス『イリアス』(前8世紀頃)から始めるのが良いでしょう.ホメロスの時代には,大地が球形であるという認識はありませんでした.平らな大地に住む人間と,天空に住む神々.天空が神聖な場所であるという認識は,既にこの時代に見られます.
一方,大地の下についてはどうでしょうか.そのことを知るために,ゼウスの語る次の一節を見てみましょう.ゼウスは自分に従わない神々を次のように脅します.
このように,アリストテレス『天について』でみられる「宇宙の中心である地球が神性の低い場所である」という考え方に通じるものを,ホメロスにも認めることができるのです.大地の下に沈めば沈むほどに,神聖さが減っていくという発想(本稿では,それを「不浄」と表現することにします)は,ギリシャ人にとって伝統的なものであったといえるでしょう.
2. アナクシマンドロス/宇宙論の始まり
次に,大地が宇宙の中心に位置するという考えを提唱した人物として,アナクシマンドロスが知られています.まず,アナクシマンドロスの宇宙観を知るための史料を確認してみましょう.
この宇宙論の特徴をまとめます.
1. 大地は円柱形で宇宙の中心に位置する.
2. 宇宙や大地の大きさは数の比で表現できる.
3. 太陽は天体ではなく円環で,その一部分が我々に顔を覗かせている.
4. 宇宙は無限の広がりをもつ.
この宇宙論が提唱されて以降,「大地が宇宙の中心で固定されている原因」や「日月食の仕組み」,「宇宙や天体の大きさの探求」が,ギリシャの自然哲学の重要な問題として認識され,それらの探求が始まります.
前3世紀に至るまで,天文学の水準は,バビュロニアがギリシャに勝っていたのですが,バビュロニアの天文学には,太陽や地球の大きさや形,食の原因について探求した痕跡は見られません.アナクシマンドロスは.西洋の天文学史上,重要な問題を提起した最初の人物といえます.
一方で,アナクシマンドロスは,場所における神聖さの違いについてはどのように考えていたのでしょうか?
天空を神聖なものとする伝統的な考え方はこの自然哲学者にも踏襲されているようです.
3.フィロラオス/古典期の地動説
前5世紀になると,アナクサゴラスは,太陽の大きさについて「ペロポネソス半島より大きい」と提唱し,日月食の原因について,天体の掩蔽が原因であると正しく推論しました.ギリシャの自然哲学者の間では,大地が球形であり,太陽が天体であるということは(多少の議論はあったとしても)ほとんど常識になっていました.
一方,ギリシャ人にとっての天空(宇宙)の神聖さを知るには,次の記述は重要です.
ホメロスに現れる「天空=神聖な場」という発想を,アリストテレスの「先駆」と表現しなかったのは,哲学者の考える「宇宙の神聖さ」と,一般のギリシャ人の感じる「天空の神聖さ」というものを区別して考える必要があると思うからです.「天空の神聖さ」と一口にいっても,ギリシャ人は一枚岩ではなかったと考えるべきでしょう.
さて,この時代,ピュタゴラス派のフィロラオスという人物が,地動説を提唱したことは注目に値します.ただし,その中心は太陽ではなく「火🔥」です.
この宇宙論における(見えない)対地星の理論は,アリストテレスにより痛烈に批判されます.
このアリストテレスの批判から,数を原理として,ア・プリオリに宇宙を構成してみせた思想家(宗教家?)が登場したことが分かります.それではなぜ,フィロラオスは宇宙の中心に火を置いたのでしょうか? そして中心に置かれる火は神聖なものなのでしょうか? このことについては検討するために,引き続きアリストテレスの証言を見てみましょう.
「中心と限界」に神聖さを見出したフィロラオスは,大地を中心から排除し,神聖な火を置くことで,彼らの「思想を満足させる宇宙」を構成してみせました.この斬新な想定も,大地を不浄なものとするギリシャの伝統的な考え方の変形版であるとみることができるでしょう.
大地が動くという直感に反する理論を提唱するギリシャ人はフィロラオス以外にも登場しました.そのなかでも,プラトン『ティマイオス』の想定を知っておく必要があるでしょう.
プラトンが『ティマイオス』において地球の自転を想定していたかどうかは議論が多く,確定的なことは言えませんが,大地の可動性について思索を巡らせていた証拠の一つと考えることができます.
(なお,逍遙学派のテオフラストスによれば,晩年のプラトンは宇宙の中心に地球を置いたことを悔やんだとされています).
さらに,プラトンの弟子であるポントスのヘラクレイデスは,地球の自転を明確に提唱しています.前4世紀には,大地が運動しているという直感に反する思弁的な宇宙論が提唱されました.
4.プラトン/惑星の逆行
何人かの注目すべき例外はあったものの,ギリシャ人の宇宙観は,地球を中心とし,太陽や惑星が円軌道上を周回するというものが主流となりました.この頃,ギリシャ人に不思議な現象が知られるようになります.「惑星の逆行」と「四季の不均等」と呼ばれる現象です.
素朴な天動説では,この現象をうまく説明できません.そこで,プラトンは次のように語ったとされています.
この「プラトンの課題」への応答として,何人かの人物が,「一様で規則的な〔円〕運動という仮定」により惑星の逆行を説明するモデルを提唱したとされています(アリストテレスもその中の一人です→『形而上学』Λ巻).
彼らは「同心天球」という,球を幾重にも重ねた複雑なモデルにより,惑星の逆行と四季の不均等を定性的に説明することには成功しましたが,現実の惑星の運行や位置を定量的に説明することには失敗したため,結局この複雑なモデルは行き詰まり,放棄されます.
また,この頃には複雑な天体の運行を議論するために,素朴な模型(天球儀)が使用されていたことがプラトンの次の一節から知られています.
5.アリスタルコス/太陽中心説の提唱
惑星の逆行の問題を解決する試みの中で,アリスタルコスという天文学者は,太陽を中心に配置することで,逆行現象を説明しようとしたと考えられます.この太陽中心説は,さほど注目もされず,さらに同時代のストア派の学頭クレアンテスにより次のように非難されます.
地球のことを「宇宙世界の竈」と表現しているのですが(これはフィロラオスが中心火を「竈」と呼んだことに対応しているのかもしれません),アリスタルコスが太陽を宇宙の中心に配置し,地球を中心から上――すなわち神聖な場所――に配置することを「不敬神」なことであるとしたのです.
クレアンテスは,太陽を神聖な存在と考えた哲学者であることが知られています.
これらのことからクレアンテスは宇宙の中心よりも,天空(より恒星天球に近い方)が神聖であると考えていたことが分かります.ホメロス以来続いてきた,天空への敬虔な心というのは,前3世紀においても健在でした.
しかし,このような宇宙と地球について「神聖」と「不浄」を想定する伝統的な考え方は,次第に見られなくなっていくのです.そのことを見る前にアリスタルコスのもう一つの業績を見てみましょう.
もう一つの業績とは,幾何学を宇宙に適応することで「現代においても正しい方法」で太陽と月の大きさを評価したことです.彼の計算は,「太陽の体積は地球の254倍よりも大きい」という(当時としては途方も無い)結果を導きます(※現在知られている値は約130万倍).
アリスタルコスの得た成果により,天体や宇宙というものが,それまで想定されていたよりも遙かに巨大であることが結論されたのです.アリスタルコスの次の世代のアルキメデスは,太陽中心説は却下したものの,宇宙の大きさの見積もりにおいて,アリスタルコスの考えを応用することで,次の結果を得ます.
1スタディオンは,約180mですので,100億スタディオンは,18億kmとなります.当時の宇宙は,土星の外側にある恒星天球で終わっており,我々の考える宇宙の大きさに比べると,とても小さな見積もりといえますが,日常的な感覚からかけ離れた巨大な宇宙を想定する自然哲学者が古代ギリシャには登場しました(※現在知られている土星の公転直径は約28億km).宇宙を幾何学により議論するということが前3世紀になり,本格的に始まったといえるでしょう.
6.エウクレイデス/天動説を証明
あまり知られていないのですが,『原論』で有名なエウクレイデス(ユークリッド)には,天文学の著作もあります.その中に,ディオプトラという天文観測機械を利用した注目すべき命題があるので紹介したいと思います(※[証明]より後の部分は読み飛ばしても支障ありません).
もちろん,ここで行われた議論によって地球が宇宙の中心であることが「証明された」とはいえません.この証明は,実質的に『ファイノメナ』という著作内部における議論の出発点を明示したに過ぎないということになるのですが,それでもなお,幾何学的な議論により,地球が宇宙の中心にあることが証明されたというのは注目すべき成果です.
これ以降,アナクシマンドロスによって開始された「地球が宇宙の中心にある原因や日月食の仕組みの探求」への関心は,計算と幾何学による天体の運行の説明に移っていきます.
前3世紀以降のギリシャ天文学の著作には「天空の神聖さ」や「大地の不浄さ」という議論は消滅してしまうのです.
7.プトレマイオス/天動説の完成
太陽中心説が支持されなかった要因として,大地が動くという直感に反する想定もありますが,問題はそれだけではなく,「年周視差」が観測されなかったということも重要な事実です.
地球が太陽のまわりを周回しているのであれば,星の位置(視角度)が季節によって変わるはずですが,この視差は検出されませんでした(この年周視差は,恒星が非常に遠い位置にあることから,最初に検出されるのは実に19世紀になってからです).
一方で,古代(中世になっても)においては,発見されるのは天動説に都合のよい事実ばかりですので,太陽中心説が注目されないのは当然の成り行きだったのです.
前4世紀以来の懸案であった「惑星の逆行」と「四季の不均等」は,前2世紀には,アポロニオスとヒッパルコスという天文学者により「天動説モデルの枠組み」の中で解決されており,後2世紀のプトレマイオス『アルマゲスト』により,天動説は惑星の運行を精密に計算できるモデルとして完成したのです.
『アルマゲスト』では,地球が宇宙の中心にあり不動であることについての説明の中には「神聖」や「不浄」といったものはありません.プトレマイオスの天文学は,伝統的な神聖の概念やアリストテレスの議論を必要としなかったわけです.
さらに『アルマゲスト』を詳しく見てみると,アリストテレスの想定との違いが浮き彫りになります.プトレマイオスのモデルでは,地球が宇宙の中心に固定されていますが,惑星が地球を中心として回転することはありません.たとえば太陽は地球の傍らにある点Zを中心として回転するのですが「この点Zとは何なのか?」といった議論は『アルマゲスト』にはありません.
さらに,下図は『アルマゲスト』における惑星の軌道です(※青い曲線が惑星の通り道).そもそも惑星は円軌道でなく,複雑な曲線を描いて運動していますし,回転の中心も地球ではありません.さらに予測精度を上げるために「エカント」と呼ばれる点を導入することで,惑星の運動は等速ではなくなります.もはや「プラトンの課題」である「一様で規則的な〔円〕運動という仮定」は重要ではなかったのです.
このように,現実の現象を説明するための理論としての天動説というのは,「天空の神聖さ」や「大地の不浄さ」という説明を必要としない,テクニカルで自律したものとして完成されたのでした.
一方で,新プラトン主義の哲学者たちは,天空と大地については伝統的な見解を維持していました.後3世紀の哲学者の議論を見てみましょう.
このプロティノスの議論には,ホメロスの時代には既に存在し,アリストテレス『天について』にて明確に示された「天空=神聖さ」と「大地=不浄」という想定を見て取れます.しかし,このような議論は,もはや天文学のテクニカルな進歩には影響を与えることはありませんでした.
「プラトンの課題」を受け,そしてギリシャの伝統的な「天空の神聖/地上の不浄さ」を哲学的に検討したことで成立したアリストテレスの議論(「四元素説+アイテール」と『自然学』での運動論)は,天文学者により埋められた後,天空の調和や地上の無秩序(に見える)運動の説明として,哲学者によって掘り起こされていたのだといえるでしょう.
8.近世の受容/地動説へ
これまで,ギリシャにおける宇宙観の変遷を辿ってきましたが,近世の受容についても簡単に言及しておくのが適切でしょう.
プトレマイオスが完成させたテクニカルな天動説は,「神聖」や「不浄」(四元素説+アイテール,「軽い元素/重い元素」と運動論)といった概念を必要としない一方で,大地を宇宙の中心と考えたアリストテレス哲学とも矛盾しないため,哲学的にも,科学的にも完璧な体系として中世西欧に受容されます.
さらに聖書の記述
とも合致するため,天動説は西欧において確固たる地位を築いたのです.
我々は後の歴史を知っているため,科学の進歩により天動説が地動説に「正しく」置き換わったと理解しています.しかし,天動説を受容した人々にとって,それは信仰上の理由だけではなく,実用上も十分に正しいものであったことを理解する必要があります.
1572年に観測された彗星は,月の遙か上を通過していることが知られました.これにより,アリストテレスの体系への深刻な疑念が生じます.さらに惑星の運行を計算するために複雑化した天動説に対して,「プラトンの課題」――惑星の〔見かけの〕運動についての現象は,どのような一様で規則的な〔円〕運動という仮定に基づいて救うことができるのだろうか?――を復興(ルネサンス)させようとしたこと…など,天動説から地動説への転換は様々な要因が考えられますが,ここでは参考図書をあげることにとどめます.
最後に地動説を完成させたケプラーと,プトレマイオスの天動説の惑星軌道を比べてみましょう.
果たして「プラトンの課題」に取組んだ自然哲学者は,プトレマイオスとコペルニクス/ケプラーのどちらが相応しいと考えれば良いのでしょうか?
古代ギリシャ人の「神聖さ」と「不浄さ」という伝統的な想定から始まった宇宙論は,哲学者の真剣な探求と議論を経た後,数学のテクニカルな議論を取り込むことで自律した学問となりました.
近世以降,その成果を受容した人々は,既に埋められた古代の哲学者の議論を掘り起こし,そこへ彼らが独自に発展させた数学上のテクニックの力を吹き込むことで,惑星の軌道に「円」ではなく,「楕円」を導入することに成功したのです.この成功により,地動説の正しさは決定的なものになったのです.
最後に,地動説完成の立役者であるケプラーが,地動説を擁護するために,天動説の権威であったアリストテレスを掘り起こしに行こうとする一節を引用して終わりにしましょう.
参考図書
古代ギリシャ科学の通史を学ぶことができる日本語文献としては,
さらに天文学に絞って詳しく学びたい方は,本文中でも言及した
を参照することになります.
古代ギリシャ天文学は,イスラーム地域で受容され,発展を遂げます.思想的な背景やテクニカルな問題について学べるものがこちらです.
また,本文中では言及しませんでしたが,コペルニクス以前に,キリスト教の立場から地球の運動を提唱した人物としてクザーヌスが知られています.天文学と哲学,宗教との関係を検討するために,彼の議論を知ることは有益でしょう.
終