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連載:私たちはソクラテスの命日をどこまで知ることが出来るのか?第1回

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序.「ソクラテスの刑死の日に因み,4月27日を哲学の日とします。」
 この刑死の日付には,文献上の根拠がないようにみえます.その日付は前2世紀にはすでに分からなくなっていたと考えられます.
 それでは,私たちはソクラテスの刑死の日をどこまで知ることができるのか? 本稿では間接的な史料も含めて多角的に検討してみたいと思います.連載という体裁をとるのは,「調べるという体験」を共有したいからです.一人の人物が亡くなった日を調べることで,どのように知識が増えていくのか? リアルタイムで共有できればと思います.

1.1 使える史料
ソクラテスの刑死の日について言及している文献上の史料は4つ知られています.
① プラトン『クリトン』
②  〃  『パイドン』
③ クセノフォン『思い出』
④ ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』

『クリトン』43CD(朴一巧訳)
ソクラテス「何の知らせかね、それは? ひょっとして、例の船がデロス島から帰ってきたのかね、それが到着すれば、ぼくは死ななければならないという船が?」
クリトン「いや、実際にはまだ着いていないのだが、スニオンで船を降りて、そこからやって来た人たちの伝える話からすれば、今日その船はやって来るだろうとぼくは思うのだが。」
『パイドン』58ABC(納富信留訳)
その船とは、アテナイの人々が言いますには、テセウスがかつてそれに乗って、あの有名な『七組の男女』を連れてクレタ島に赴き、彼らを救い、自身も救われた、あの船なのです。言い伝えによれば、アテナイ人たちはその折りに、アポロンの神に、もし彼らが救われたなら、デロス島に毎年使節をお送りすると誓ったのです。その使節を、その時から今もなおずっと、年ごとに神に遣わしているのです。
 使節の派遣が始まると、その期間はポリスを清浄に保ち、公的には何人も殺してはならないと
いう法が、アテナイ人にはあります。船がデロス島に到着して、再びその地アテナイに戻ってくるまでの間です。ですが時折、途上で風が彼らの航海を妨げると、長い時間かかることがあります。使節が開始されるのは、アポロンの神官があの船の船尾に飾りを付ける時なのですが、申しましたように、これが偶々裁判の前日だったのです。そのために、裁判と死刑の間、ソクラテスは長い時間を牢獄で過ごすことになりました。
クセノフォン『思い出』第4巻8章2(内田勝利訳)
というのも、その時期がちょうどデリア祭の月に当たっていて、祭礼使節団がデロス島から戻ってくるまでは何びとをも公に処刑することを法が禁じていたために、彼はその判決後三〇日間生き延びなければならない事態となったのだが、…
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第2巻44(試訳)
また彼が亡くなったのは,第九十五回オリュンピア祭典期の第一年目であり,〔そのとき〕彼は七十才になっていた.

 ソクラテスの刑死の日を推測するための史料はこれだけです.第95回オリュンピア祭典期は前400/399年と計算できるので,刑死の年代は確定できます.それでは,それぞれの訳者はどのように考えているのでしょうか? 巻末の年譜や註釈をみてみましょう.

1.2 研究者の立場


①納富信留氏による年譜(2019年)
前三九九年 
ソクラテス、政治家アニュトスと弁論家リュコンを後ろ盾とするメレトスという若い詩人により、不敬神の罪で告発される。裁判が行われ、死刑判決が下される。一(ひと)月後の三月に刑死する。
②内山勝利氏による註釈(2011年)
デリア祭の開催時期については、デロス暦のヒエロス月(=アンテステリオーン月、今日の二月後半から三月前半に相当)、あるいはタルゲリオーン月(今日の五月後半から六月前半に相当)の二説がある。出土碑文は前者を示唆しているようだが、その時期のエーゲ海渡航はきわめて困難であり、後者と考える研究者も多い。

 ①は3月と断定していますね.ですが②が詳しいので,まずはこちらから検討してみたいと思います.デロス島でのアポロンの祭事が「ヒエロス月」に行われていたと考えられるのですが,そのヒエロス月がアテナイの暦の何月のことなのかが分からない,ということになるのだと思います.

 ヒエロスを辞書で調べてみましょう.辞書をひくのは基本中の基本です.どのような単純な言葉でもまずは辞書をひくと思わぬ発見があるかもしれません.

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     sacred month, at DelosⅠ, IG1².377.22 とあります.

今回は紙の辞書を使いましたが,無料のウェブサイトもあります.http://www.perseus.tufts.edu/hopper/search リンク先に「ieros(ヒエロス)」と入力してみてください.ほぼ同じ結果が表示されます.

 このIGというのは「ギリシャ碑文集成」のことなので,内山氏のいう碑文というのは,IG1².377 のことであると分かります.なるほど,この碑文に「ヒエロス月=アンテステリオーン月」と書いてあるわけですね.
 このアンテステリオーン月が今の暦の何月にあたるのかわかれば良いことになりますね.本当にヒエロス月はアンテステリオン月なのか,そしてそれはアテナイの暦の何月にあたるのでしょうか?

〔第2回に続く〕


不明な点や,誤りがあればコメントでお知らせいただけると嬉しいです.

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