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喜劇としての『人さまざま』

※訳者が書かれていないものは筆者による試訳です/2021.9.1第27章を   追加しています/2021.9.12第4章を追加しています

序.

 喜劇を学ぶ理由をプラトンは次のように語ります.

「無知にゆえに,必要もないのに,滑稽なことを行ったり口にしたりすることがないように,ということにあるのです.」プラトン『法律』816 E (『プラトン全集』岩波書店から引用)

1.著者について

  本稿では,テオフラストス(※表記はテオプラストスの場合もあります)の書いた『人さまざま』という本の紹介をし,最後に第22章の翻訳を掲示します.
 最初の邦訳者である吉田正通は書名を『人さまざま』としましたが,もともとの書名は『諸性格(カラクテール/キャラクターの語源)についての書』だったと考えられており,英語圏ではCharactersという書名で通っています.

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 テオフラストスは,詩人サッフォーの出身地でもあるレスボス島の生まれで,洗濯業者の息子でした.『人さまざま』では,洗濯業に関する記述もあり,故郷で家業を観察していたことが想像できます.古代において洗濯業というのは規模の大きな事業であったため,比較的裕福な環境で育ったと考えられます.アカデメイアで学んだという証言もありますが,なんと言ってもアリストテレスの弟子としてリュケイオンの2代目の学頭になったことで有名です.

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2.生活史として

 『人さまざま』は「性格」についての著作ですが,古代ギリシャ人の生活文化を伝えてくれる史料としても貴重です.
 例えば「ケチな人」のすることとして「利子の複利計算」が挙げられていることから,そういった計算をする金貸しの存在を知ることができます.他にも,「嫌がらせ」として「淑女(市民の妻)に出会うと,自分の外衣をめくり,アソコを見せびらかす.」という行為が挙げられます.今なら,どう考えても公然わいせつですが,当時はあくまでも「嫌がらせ」だったようです.さらに被害者(?)を「市民の妻」としていることも気になります.被害者が外人(メトイコイ)や奴隷の女性の場合は嫌がらせですらなかったのでしょうか?

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 挙げればキリがないのですが,食文化から冠婚葬祭まで,当時の生活を知ることができる重要な史料です.古代ギリシャ人の生活を知る資料集としては次の書籍が便利です.また,生活史の史料として『人さまざま』を読むとき,昭和の日本で作られたオマージュと比較するのも良いかもしれません.

3.受容

 北杜夫が昭和57年に書いた『マンボウ人間博物館』は,『人さまざま』のオマージュです.前300年頃と昭和57年とでは,現在からの時間の間隔は全く異なるはずですが,どういうわけか,前300年頃と昭和57年との間隔の方が,現在からの間隔よりも小さく感じます.私たちの社会がこの数年で大きく変化しているのか? それとも現在という立ち位置の特殊性が,そう感じさせるのでしょうか? 歴史史料としての『人さまざま』を通じて,そういった事を考えることも可能です.それでは次に『人さまざま』の歴史的背景を喜劇の歴史の系譜の中で見てみましょう.

4.喜劇の歴史

 『人さまざま』における性格描写は,とにかく笑えるものとなっていますので,この作品を喜劇作品として捉えることができます.そこで喜劇――というよりも「笑いの歴史」――について簡単に確認しておきましょう.

 悲劇と喜劇を意味する「トラゴディア(tragedyの語源)」「コモディア(comedyの語源)」には,それぞれ「悲しい」や「喜び」という意味はなく,ハッピーエンドの悲劇すら存在します.ですから悲劇と喜劇の違いを知るには,演劇の研究者でもあるアリストテレスによる説明を知っておくのが良いでしょう.

アリストテレス『詩学』1448A
 というのは,まず今いる人よりも〔喜劇は〕劣った人を,また〔悲劇は〕優れた人を模倣しようとするからである.

悲劇と喜劇の違いは,登場人物の性格の違いにあるということ,そしてそれに由来するであろう劇展開の「真面目さ」と「滑稽さ」にあるということなのでしょう.

 さて,ギリシャ喜劇として古いものは,前5世紀に活躍したアリストファネスに代表される「古喜劇」が現存しています.もちろんホメロスの中にも「笑い」の要素はありますが,現存する喜劇作品としてはアリストファネスが最古となります.
 ギリシャの演劇では,登場人物が神話からの借用(例:オイディプスやヘラクレス)であったり,実在の政治家やソフィストなど(例:クレオンやソクラテス)であったりするため,その人物名を知ることで,同時に性格も分かるような仕掛けになっていました.

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 ですが,時代を下ると悲劇の登場人物は神話から借用されなくなり(プラトン『饗宴』に登場する悲劇詩人アガトンが始めたとされています),喜劇も実在の人物を露骨に分かるような登場のさせ方をしなくなります(アリストファネス『女の議会』[前392年上演]以後).この変化――特に悲劇について――を,ブルクハルトは「悲劇の衰退」と表現していますが,そういった「危機感」は,既に古代にもあったようで,この世を去った悲劇詩人を冥府から連れ戻すという設定のアリストファネス『蛙』[前408年上演]を生む背景にもなりました.
 一方で,喜劇の変化については,アテナイにおける民主政停止時の悲惨な内戦と,「ソクラテス裁判」の反省が影響している可能性を想定することができるでしょう.古喜劇から,過激な民主政批判や個人攻撃というものが減少し,中期喜劇へと転換したのです.そして民主政批判や個人攻撃を伴う自由な議論は,徐々に哲学者のサークル内部(アカデメイアやイソクラテスの学園)での議論に移行します.
 その様な変化の中で,劇中の台詞において人物の性格を描写することが必要になってきます(エウリピデスのように登場人物の性格設定において,神話のステレオタイプではなく斬新な性格描写を行った詩人もいましたが).中期喜劇の特色を説明した古代の証言として,アリストファネス『福の神』の古註に次のような記述があります.

᾿Ιστέον δὲ ὅτι τὰ τοῦ δράματος πρόσωπα πεπλασμένα εἰσὶ παρὰ τοῦ ποιητοῦ.
注目すべきは,まず劇の登場人物の性格が詩人により形作られていることである.

前4世紀に入ると,登場人物の性格描写は詩人の腕の見せ所となるわけです.

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5.哲学的に

 哲学者プラトンは,二十歳になるまでは悲劇詩人を志していたとされます.

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そのプラトンの対話篇には,往年の有名人が本名で登場します.読者は名前を見れば,それがどういった性格の人物かを知ることができるわけです.ですがプラトンは次第に架空の人物を対話篇に登場させるようになります.中期喜劇のように戯曲の中の台詞により性格描写を行うようになっていくのです.

 そのような中で,「性格」を真正面から研究する哲学者が登場します.弟子のアリストテレスです.アリストテレスの倫理(ギリシャ語でエティコス)の研究では,人間の性格が哲学研究の対象となりました(それまでにも若干の先例はありますが).哲学にも性格描写/分析という分野が登場したのです.
 『ニコマコス倫理学』は『人さまざま』とは異なり,具体例による性格描写はありません.例えば「空とぼけ」を意味する「エイロネイア(アイロニーの語源)」を比較してみましょう.

『ニコマコス倫理学』1108A
 まず,真理について,中間の人とは一種の「正直者」であり,中間性とは「正直さ」であるとしよう.また超過の見せかけは「ほら吹き」であり,大言の癖のある人は 「ほら吹きの輩」であるとし,また不足の見せかけは「空とぼけ」であり,自身を卑下する性質をもつ人は「空とぼけする人」であるとしよう.

『人さまざま』第1章(森進一 訳)
 すなわち,自分に敵意を抱く人たちのもとへ出かけた場合,ことさらにあれこれと口 をきき,憎んでいる素ぶりも見せない.そして,陰ではやっつけておきながら,いざ面と向かうと,その人たちをほめそやし,またその人たちが落ち目になれば,同情すら示す.

 哲学者による著作といっても,アリストテレスは講義用の真面目なもの,一方でテオフラストスは個人的に楽しむためのプライベートなものであったと想定されています.
 『ニコマコス倫理学』において研究された「性格」.そして中期喜劇の詩人が取組んだ性格描写を,プライベートな集まりで楽しむための著作として,それらとは異なった形で表現したものが,テオフラストスの『人さまざま』であったといえるでしょう.そして,テオフラストスのサークルには,弟子として新喜劇を代表する詩人メナンドロスがいたはずです.

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6.新喜劇

 前四世紀後半以降のギリシャ喜劇を「新喜劇」と呼びます.代表的な詩人はテオフラストスの弟子であるメナンドロスです.彼の喜劇の特色について,ビュザンティオンのアリストファネス(※喜劇詩人とは別人)は次の様に評します.

ビュザンティオンのアリストファネス『カリマコス注釈』断片5
「ああ,メナンドロスと人生よ!あなた方はどちらがどちらを模倣したのか!」

 メナンドロスの作品には,『人さまざま』の章タイトルと同じものがあります.「粗野(アグロイキア)」「疑い深さ(アビステイア)」「迷信(デイシダイモニア)」「へつらい(コラケイア)」などです.どうやら,メナンドロスと『人さまざま』には繋がりがあるようです.
 メナンドロスの生年は前342/1年で,前321年には喜劇詩人として優勝しています.一方で『人さまざま』の執筆年代は前320年以降と想定されています.果たしてメナンドロスの劇の登場人物をテオフラストスが参考にしたのか?それともメナンドロスが師を模倣したのか?

ビュザンティオンのアリストファネスに引っ掛けて「ああ,テオフラストスとメナンドロスよ!あなた方はどちらがどちらを模倣したのか!」と言いたくなります!

 いずれにせよ,『人さまざま』で滑稽に描写される性格を,メナンドロスの喜劇の登場人物の中に見出すことは可能でしょう.それも喜劇の楽しみ方の一つかもしれません.たとえそこに,自分自身を見つけることになったとしても!いいえ,きっと見つけることになるでしょう(笑)

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 ですが残念なことに,メナンドロスの新喜劇を楽しもうにも,その殆どが散逸しています.次の本には,メナンドロスの残された僅かな作品が収録されています.また,少し高価ですが岩波書店の『ギリシア喜劇全集』第5,6巻にも収録されています.どうです?がっかりされましたか?

 安心してください!がっかりした方には朗報です.ギリシャ新喜劇の多くはローマの喜劇詩人によりラテン語劇として翻案されました.新喜劇は中期喜劇の頃より始まった性格描写により「笑いの劇」を超え,より普遍的な人間ドラマを描くことに成功したわけですから,翻訳(翻案)により,時代と地域を越えて観客を魅了する,ある種の普遍性を持っていたと言えるでしょう.

※もちろん劇の内容において,「普遍性=芸術性」ということはありませんので,我々がメナンドロスの喜劇に普遍性を見出すのは勝手ですが(いい線史観),それにより古喜劇が低く評価されるということはありません.

 普遍性を獲得し,人生を描いたメナンドロスの喜劇は,ラテン語に移されることにより現代に伝承されたのです.ところで,プラトン『饗宴』では,ソクラテスが,悲劇詩人アガトンと喜劇詩人アリストファネスに対して次のように語ったとされています.

『饗宴』223D
「ソクラテスは,同じ人が喜劇と悲劇を創作することを理解しており,そして技術(テクネー)により悲劇を創作する者は喜劇も創作するのだ,と認めさせようとしていた.」

 メナンドロスは,この事に同意し,新喜劇の舞台上で,「真面目な喜劇」として人生を描いてみせたのでしょうか? 
 ローマ喜劇を読むにあたっては,まずは入門書に触れてみるのが良いでしょう.

最後に.

 現在品切れになっている『人さまざま』の中から第22章「しみったれ」を,新しいテクストを底本にして翻訳したもののPDFを掲示しておきますので,存分に笑ってみてください.

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アリストテレス『動物部分論』673A
動物の中で笑うのは人間だけである.

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