7/3分 第62作 テーマ:ふせん
付箋の思い出と言えば、高校の時の、付箋塗れになった女子の英単語張が浮かんでくる。
それはもう信じられないくらい大量の付箋が貼られているのが普通だった。
単語帳の上からも下からも、ニョキニョキ付箋が生えてきている、そんな印象だった。
かくいう俺も、付箋はよく使うから気持ちはわかる。
間違えたもの、そうでなくても、若干記憶が曖昧なもの。
そういうものに付箋を貼った経験は俺にもあるから、
その気持ちはよくわかる。
しかし、なんだってこんなに大量に?
思い切って聞いてみた。
何のための付箋なんですか?
答えはやはり予想通りだった。
間違えたところや自信ないところを目立たせるために貼っているそうだ。
しかしその単語帳は、あまりにも付箋を貼った数が多すぎて、
逆に貼ってない方が目立つ、そんな状態だった。
こういうことって、意外と世の中、多いのかもしれない。
俺は昔から全くもって自信がなかった。昔から自虐に走ったり、大したことでもないのに必要以上に自分を責めてみたり。
とにかく、自暴自棄、自己嫌悪、そういう状態に陥りがちな人生だった。
そんな俺が、唯一世の中に誇れるものがあるとしたら、それは「言葉の力」だ。俺の話は熱意を載せて相手の心に届く。
俺の文章は独特の印象を抱かせながら、それでも相手の心に響く。
それだけは否定しようとしても否定しきれない、どうしても消えてくれない自信だった。
どうしてそんな自信を持つようになったのか。
それは、デカルトと同じ。ありとあらゆるものの存在を否定し続けた彼は、それでも今ここで考えに耽っている自分自身の存在だけは否定できない、という結論に至り、「われ思う、ゆえにわれあり」という名言を残したのである。
俺もそれと同じ。自分のありとあらゆる能力、全ての性格を、とにかく徹底的に、否定し続けた。そしてそれでも、唯一否定できなかったのは、自分の言葉の力だった。根拠はない。でも自信はある。
自信って意外とこんな風にして生まれるものなのかもしれない。
人からたくさん褒められるとき、つまり、「すごい」というレッテルを張られまくっているときは、そんな時でも人から褒められていない部分を見てみるとよい。そうすると自分自身の根本的な改善点が見いだされる。
あるいは逆に、人から否定されているとき、つまり「だめだ」というレッテルを張られまくっているときは、そんな時でも否定されていない部分を見てみるとよい。そうすると、自分自身の本当に輝く部分が見えてくる。
付箋って、レッテルって、本当の自分に気づくヒントを、与えてくれているのかもしれない。
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