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絶対に仮面浪人なんてしてはならないという話

 まず、この記事が対象としている読者を明らかにしておくべきだと思う。つまり、「現役受験の結果が芳しくなく、浪人したい、あるいは浪人を検討しているが、家族から『とりあえず受かった大学に入学しなさい』と言われている方」である。
 断言するが、仮面浪人は絶対に成功しないし、大抵Fラン卒で終わるのが関の山だ。
 現役受験の結果に失敗した場合の最適解は一浪する以外にはない。受験を経験されたなら明白な結論であるが、一部指定校推薦などしか経験がなく大学受験から逃げ回った親御さんもいるので、この結論を支える理由を列挙していきたい。

そもそも何をもって受験を失敗とするか

 本題に入る前に、「早稲田が第一志望だったが、中央大学しか受からなかった」というような方は、一浪せず中央大学に進学する方がよいとお知らせすべきだろう。志望校と合格校の乖離が広くない上、MARCHレベルであれば未来が暗いということもない。本記事で受験に失敗したと見なす状況は、具体的に以下のような例に類する境遇を指す。

  • 地方国立大を志望していたが、Fランしか受からなかった

  • 一橋大学が第一志望だったが、専修大学しか受からなかった

  • 早慶を志望していたが、MARCHにも受からなかった

 MARCH未満(日東駒専)にしか受からず、その結果に不満であるならば、浪人は現実的な選択肢である。
 にも関わらず浪人を拒絶する家族は、低学歴の未来の暗さや選択肢の狭さをほとんど理解していない。


Fランはただの毛が生えた高卒

 新卒就活を経験された方ならわかっていると思うが、新卒市場では、早慶以上とMARCH以下で全く世界で異なっている。MARCH関関同立ではニトリ、三菱電機、ファストリテーリング、伊藤園といったソルジャー系の大規模採用の大手企業に就職する層がボリューム層であるが、対して早慶生は信越化学工業やJX金属といったホワイト企業の選考を難なく進め、上位層は総合商社やコンサルの採用枠を争い合っている。
 大手企業の人事部ではこのような発言が飛び交っているのだ。
「おっ、慶応か。ちょっと志望動機は雑だけど優秀そうだし早速話を聞くことにしよっと!」
「あ~、関大ね。微妙だけど志望動機はよく書けてるなぁ~…。まぁ話だけは聞いてやるか。」

 ニッコマの就活はより大変で、リクルートやエン・ジャパンなどのゴリゴリ営業系の大手に入ることができれば勝ち組となり、それ以外の学生はよくわからないベンチャーに入るのが関の山となる。
 ニッコマの下位層~Fランは悲惨である。日研トータルソーシングや夢真のような客先常駐型の派遣、施工管理、スーパーマーケット、家電量販店、介護職などが視界に入ってくる。このような激務の選択肢は高卒と大差がない。
 ネットでは高卒とFランのどちらがマシかという醜い戦端が毎日開かれている。それぐらい高卒とFランの社会的立ち位置は近しいところであり、そもそも妻を迎えられるのか、迎えたとして子どもをちゃんと育てられるのか、大学には行かせられるのかというギリギリの崖を歩み続けなければならない。
 愛する子どもに、一歩足を踏み外せば高卒並みという人生を歩ませたいだろうか。

浪人してもFランには行ける

 私の友人に高校時代の成績は優秀だったが大学受験をナメ散らかして現役ではMARCHすら受からず、父親に土下座して一浪を許され、翌年早稲田大学に合格した人がいる。
 高校受験があったとはいえ誰しも大学受験は初めての経験だ。勉強法を間違えたり、勝手がわからなかったりといった失敗は誰にだってありうる。
 1年目でFランしか受からなかったからと言って、2年目も同じだとどうして言えるだろうか。それこそ2回やってみないとわからないし、2回目もFランしか受からなかったというのなら、その時になって結果を受け入れればいいのだ。確かに2回目も関西学院かもしれない。しかし2回目は早稲田であるかもしれないし、名古屋大学かもしれないのだ。
 そのわからない2回目の結果を1回目で既に決めつけてかかるのはあまりにも尚早だ。大学受験は競馬やパチンコではない。一回で失敗したら損切りというような次元の話ではない。大学受験で損切りされるのは人生なのだ。

仮面先では安きに流れる

 その友人曰く、「浪人中はアイデンティティの危機に直面する」そうだ。ここに既にアイデンティティを提供してくれる中途半端な大学があったら、「もうここでもいっか」と感じてしまうに決まっているだろう。
 大学に帰属せず浪人すれば、「このまま同じであれば私は来年も何者でもなくなってしまう」という危機感を感じながら勉強できる。浪人した理由の多くに「大学受験をナメていた」というものが占めていることを考えると、背水の陣で勉強するために絶好の環境である。
 早稲田や筑波は簡単ではない。必修の履修の片手間で済ませて受かる程度の難易度ではないのだ。
 浪人生はその有り余る時間ゆえに現役生に有利に戦えるのだ。仮面浪人はその有利さを自ら潰すようなものだ。逃げ回らず腰を据え、戦うべきだ。

大学に行かせるお金なく産むのは虐待だ

 そもそも何をもって浪人に反対する理由が分かりかねる節がある。お金だろうか?しかし浪人に行かせるお金の余裕もないのに産んだとは思えない。そんなことをしたら、仮に大病をしたなどの不測の事態があったときに対応できないだろう。
 もし大学に行かせるお金が工面できる見込みもなく産んだとするなら、それを咎めるべきは子どもではなく親自身の方だ。
 繰り返すが、生涯年収も仕事の楽さも、大学のランクによって大きく異なってくる。浪人させなければ一年の小手先のお金は浮くかもしれないが、そのぶん一生で稼げるお金の多くの可能性を失っているのだ。それでもなおなぜ殊更に子どもの機会を奪おうとするのかわかりかねる。加虐欲でもあるのだろうか。

浪人しても勉強するとは限らない?

 「あなたは怠惰でモチベーションを燃やせないので、浪人しても勉強に努力しきれるかどうかはわからない。ならば、受かった大学で努力させる方が賢明である」と反論されるかもしれない。
 根性論である以前に誤解である。大学は努力量を問われているのではなく、知性を問われているのだ。
 先述した通り、仮にFランで努力したとして、行きつく先は家電量販店が関の山である。そんなところで努力したとして何になるのだろうか。
 学生が未来を拓くただ一つの方法は知性を磨いて可能性を広げることだ。広がった可能性の先にあるところは、注ぎ込む努力量を少なくして利益を獲得できるスキームを知性を使って築き上げるところにある。よりよい社会を築くためには、注ぐ資源量を少なくして、享受する利益を多くするための工夫である。この工夫を凝らすために必要なのは努力量ではなく、知性だ。
 知性が無いならば、努力を多く注いでそれ相応の利益を得るしかない。

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