権勢について

権勢がない王、とは

私も韓非子やその思想を広めて長いが、良く誤解されているが「権勢」とは「地位や富」を表す言葉ではない。地位や富も権勢を構成する要素一つだが、要素の一つに過ぎない「子分がたくさんいる」「富や大きな車を持っている」「美人やマッチョである」そのような、人が従ってしまう力のことが「勢」、「権勢」である
次の動画を見てほしい。
次の動画は国際女性デー ウィメンズマーチ東京2024の動画である
特に38:30からの惨状である

このマーチの先頭の人がどれほどうるさくがなり立てても、コールを上げる人が全然いない。これこそ、地位があっても言うことを聞かせられないという状態で、このような状態を韓非子は「権勢」を失った状態。
と定義しているのである。

一応、私は中道左派だが、リベラルエリートの人はどうしても理屈から、「私の言う事はこんなに正しいのに、なぜ言う事を聞いてくれないのだろう」となりがちである。

人を従わせる力 カリスマ

何故なら、このマーチに参加してる人も全て「利」、要するに「居心地の良い社会を作るために、リーダーが代弁してくれる」と期待して参加しているのであり、「利」にならないことは従わないのである。

そのためには、賞罰と形名参同がかかせない。人は利によって動くし、そのための利を与えられない人は王たりえない。

「言ったことが実現する」から人が言うことに従う。それゆえ生じる力をカリスマと呼んでいる。カリスマとは大衆からの借り物なのである。

私は常々「王は絶対である」と言っているが、それは王自身に対しても同様である。「王の言葉に王自身が背くなら、それは王の権勢を脅かす」のであり、王の言葉を誰も信じなくなり、秩序を脅かすのである。

権力とは

全ての権力とは「俺の言ったことをお前が守る」である。守ることに理がなければ従わない。それを理解しなければ、王は王たりえないのである。

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