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京都へ一人旅してきました③

 こんにちは、星ノ舞です。まだまだ暑い日が続きますが、空や雲の様子を見ていると案外秋もすぐそこまで来ているのかなと感じる毎日です。これから徐々に頭角を露わにしてくるであろう芋栗南瓜のスイーツたちにソワソワしています。
 さてさて、調子が良いうちに京都旅行の思い出を綴っていきたいと思います。

六道珍皇寺へ

六道珍皇寺の門

 毘沙門堂を出て、京都河原町の駅を目指します。今回の旅のお目当ての1つでもあったこの世とあの世の境目の辻(六道の辻)が近くにあると古来より伝えられている六道珍皇寺へ参詣してきました。ここには小野篁像と小野篁(802-852)が作成したと言われている閻魔大王像のお堂が六道まいりの影響で開帳されていたので、前回は泣く泣く全体像を障子の小窓から必死に見ましたが、堂々と真正面から見ることができる良い機会!だと思い旅の行き先に。
 とても簡易的な説明になってしまうのですが、小野篁は桓武天皇・平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇・門徳天皇といった6代の天皇たちの治世を生き抜いた平安時代前期の官僚です。武芸や漢詩の能力(高校の古典の授業で習った「無悪善」と「子子子子子子子子子子子子」の逸話の印象が強い)に優れ、遣唐副使にも任じられましたが、トラブルを起こし、怒った嵯峨天皇によって島流しにされてしまうことも。その時に歌った和歌は百人一首にも載っていて、中学生時代暗記テストで覚えた記憶があります。彼はそんな貴族官僚の一面だけでなく閻魔大王のもとで裁判の補佐を行っていたりとそういった人間離れした逸話も残されている不思議な人物です。小野篁に関してはもっと掘り下げたいので、調査をさらに深めてからまたいつか発信したいです。
参考にした資料:
・繋田信一『小野篁 その生涯と伝説』(教育評論社、2020年)←これからもっと読み進めたい書籍の1つです。
・六道珍皇寺公式サイト「六道珍皇寺と小野篁の不思議な伝説」(最終閲覧日:2024年9月1日)


 六道まいりの時期の影響で、たくさんの参詣者の方がいらっしゃり、あまりじっくり見つめることができなかったのですが、御二方本当に本当にかっこよくて…。心の中で「大好きです!!」という気持ちだけ伝えて御朱印をもらいに行きました。その道中閻魔みくじもあったのでそちらも購入。閻魔大王の人形が手渡され、人形の下から飛び出ているおみくじの紙を引っ張て結果を確認します。我が家には2体います。かわいいですよね♡

もらった御朱印と閻魔みくじ人形です

 おみくじの結果は「吉」でした!

このみくじにあう人は

枯木に見えても
 春が来て
 再び芽を出すように
目上の人の引立により
幸の芽が出るが
我意を立てれば悪く 
謙虚に事にあたれば
神仏の御加護がある

閻魔みくじ内容より

とのことでした。目上の人との関わりは両手の指で事足りてしまうぐらいにしか思い浮かばない自分の人脈の無さが悲しいけれど、誰かが私を導いてくださるのでしょうか。どうなのかな。とりあえず、自分よがりになることなく謙虚さを忘れないで生活していきたいと強く思う今日この頃です。

 本当は小野篁が地獄に行くために訪れたとされる冥途通いの井戸をもう1回見ておきたかったのですが、今回は確認できず…。悔しながらに撮った写真がこちらの1枚です。また来ます。絶対に来ます。

小野篁が通ったとされる地獄につながる井戸をいつか近くで見てみたい。


そして憧れの喫茶店へ

開店待ちです。わくわく…。

 六道珍皇寺を参詣し、暑さで少し疲れが出てきたのでずっと行きたかった憧れの喫茶店「喫茶ソワレ」で涼をとることにしました。六道珍皇寺から少し歩きましたが、10分ぐらいだった気がするので、そこまで苦ではなかったです。祇園四条駅や京都河原町駅にも近いので駅からのアクセスは良いように思えます。
 喫茶ソワレは1948年(昭和23年)にオープンしたそう。開業当時の雰囲気を守り続けてきたがために、店内は暗めで座席も当時の日本人の体格に合わせて狭く小さくなっているそうです。

店内の写真を撮りたかったけれど他のお客さまもいたので天井を…。
ブドウの彫刻が幻想的でした。

 店内に一歩足を踏み入れると、目の前に広がる群青とBGMのない世界。外界とのつながりが絶たれるような不思議な感覚を得られました。今の子たちはこういうのを「エモい」というのかなぁ。また、彫刻や絵画、歌碑などが店先や店内にあふれ、お店自体が1つの文化財のようです。昭和を生きた様々な文化人や芸術家たちが喫茶ソワレにかかわってきたのだなぁと思いました。
 私は窓際の席に座りましたが、群青色をした夜の世界と眩い昼の世界という境界線に自分はいる。この静かな内界と活発な生命活動を思わせる外界の境界線の感覚は、小学生の時の体育であった水泳の授業を彷彿とさせました。蝉のけたたましい声や活発な同級生たちの声も相まって暑さが助長されているようなプールサイドに対し、何も聞こえない静かな青い水の世界。あの頃は周囲の人たちの目が気になってプールの授業が苦手だったけれど、その反面、水の世界と外の世界が違うことの愉快さを子どもながらに感じていた自分を思い出しました。喫茶ソワレのおかげで素敵な思い出に昇華されそうです。

 私のお目当ては喫茶ソワレの名物である「ゼリーポンチ」!
店先で配布されている喫茶ソワレのパンフレットでは、

 当店の名物ともいわれております『ゼリーポンチ』は1975年から始めた5色のゼリーメニューのひとつです。
 『ゼリーの誘惑』と称されるメニューは、2代目店主の妻・元木成子(1937年~1991年)が考案したものです。
 当店は、開業当時、紳士が集う場所でした。「若い女性にも来店してほしい」との願いから、「目でも楽しめるもの」として考えたのがゼリーメニューの始まりです。

喫茶ソワレ  パンフレット

と記載してありました。

昼の明かりと店内の暗い静けさがアンバランスで不思議な感覚
きらきらなゼリーと透明なサイダーの泡が幻想的…。


 黄色、緑、赤、青、紫の四角いゼリーがぎゅぎゅっとつめこまれていて宝石箱のようです。ゲームセンターの景品でとれた歪な形のプラスチックでできた偽物の宝石たちを箱に入れて大事に保管していた小学生時代のあの頃を思い出すようで少しセンチメンタルな気分になりました。あの頃の思い出をサイダーの泡がしゅわしゅわぱちぱちゆっくりと閉じ込めてくれているようです。グラスに注がれたサイダーとその泡はなんだか特別なものに思えて私の心もしゅわしゅわぱちぱちと浮上するようでした。
 当時の乙女たちは色とりどりの宝石たちを閉じ込めたサイダーにどのような思いを馳せたのかな。乙女たちだけでなく紳士たちも色とりどりな『ゼリーの誘惑』に心躍らせたのではないかなと想像するとなんだか微笑ましいですね。
 サイダーはすぐに炭酸が抜けてしまうとのことだったので、夢から覚めてしまう前になるべく急いで飲みました。ゼリーたちの誘惑には早めに応えてあげるのがいいのかもしれません。あまり誘いに対して積極的になることはないけれど、こういった誘惑ならいつでも大歓迎。素敵な夏の思い出をくれたゼリーポンチには感謝です。また行きたいな。

 もっともっと書きたいことがあふれて止まらないけれど、京都への一人旅記録はここでおしまいにしておこうと思います。行けば行くほど私の中の考えや答えをそっと導き出してくれる場所だな、また行きたいなと今記事をまとめていて京都欲が再びむくむくと顔を出しています。
 
 自分が瞬間的に感じたことを捕まえて、突き詰めて言葉にすることってとても大変だけれど、久しぶりに形式に捉われない自由な文章を書けた経験は自分の中で失いかけていた大事な感覚を取り戻しているように思えます。
 まだまだnote投稿が不慣れで、「これで大丈夫かな」と不安に思うことも多々ありますが、書きたいなと思うことはまだまだたくさんあるので、それもじっくり記事にしていけたらなと思います。長々ここまで読んでいただきありがとうございました。
 次回の投稿は書きたいことがたくさんあり、どれを先に書こうか悩んでいる最中なのですが、是非興味がありましたらまた、覗いていただけると嬉しいです。それでは!!

星ノ舞

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