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しょうがないよ

本当に悩んでいる人にどう声をかけてあげればいいのだろうか。

自分がその人の気持ちを理解してあげたくても
「私の気持ちなんて、あなたには分からないでしょ」
と言われてしまうような場合は一体どうすれば良いのだろうか。

相手の悩みを理解してあげたくても、そうやって一蹴されてしまうと、自分がその人の心に入る隙間がないように思われる。

その人の立場に立って、どう感じるか想像することすら、嘲笑われているかのように思われる。

本当は泣いている人の背中をさすってやりたい。

辛いよね、と同情してあげたい。

でもそれができなかった。

簡単に慰めにまわったら、今の現状を受け入れるしかないように思えてきて、できなかった。

「そんなこともあるし、しょうがないよ」

このような言葉が頭にあっても、それを言ってしまったら、絶望の中にその人を一生閉じ込めてしまうような気がする。

しょうがない、人生はこの言葉で形容されることで溢れている気がする。

でもしょうがないことへの憤りはどこにぶつければいいのだろうか。どうやって心の中で折り合いをつければよいのだろうか。

人生とは不条理なものである。

このようなことを認めて、その上で運命に勝利する。

とてもざっくりではあるが、カミュのシーシュポスの神話はこのような内容であるらしい。

カミュの人生に対する考え方を知って、少し救われた気がした。

人生は不条理であると認めてもよいのか。それを認めたら終わりではないのか。

不条理と幸福は兄弟のようなものである。

つまり、不条理の中に幸福を見出していけるということなのか。

であるとすれば、不条理なことがあっても、それを我慢してまでも生きていく理由を見つけられた気がする。

不条理の中に埋もれているからこそ、幸福は輝いて見えるのではないだろうか。

なんだって、人生は発想の転換で、何段階も輝きを増していけると思う。

悩んでいる彼女に、このようなことを伝えられたら良かったなぁ。

自分の未熟さを痛感する日々である。

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