見出し画像

会話と対話。酒場のマナーと見極めること。

最近、バーや大衆居酒屋で、さほど親しくない人や初めて会った人と話すのが面倒になってきた。

以前はむしろ好きだった。色々な人がいて、その人生模様や様々な考えを聞くことが面白かったからだ。

ところが、最近は面倒に思えることが増えてきた。

「似たような話、聞いたことがあるな」、「この人、自分の話しかしないな」、「その話題に興味ないな」、「そのノリ、ノれないな」、「面白くないな」。などと感じることが増えてきた。
まあ、自分勝手な話だと思うが、そう感じているのは事実だ。

多分、その話は、共感や気晴らしを前提とした「会話」だからで、「対話」になっていないことが多いからだと思う。

「会話」は良いものだ。共感を得たり、気晴らしをすることは大事なことだ。
否定するわけでは決してない。むしろそれを強く求めている時こそある。

では、なぜ上述した場合の「会話」が面倒に思えることが増えてきたのか。

私は今、「対話」がよりしたいのだと思う。
他者と考えや意見を交換し合い、新たな知見を得たり、自分の思考を整理し発展したりすること。
そのためには、話す相手や状況に依るところがあるのは否めない。
今の私には、その見極めが必要だと思う。



「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
夏目漱石の『草枕』からのあまりにも有名な文言。

智も情も意地も併せ持ちたいが、今の私は、智に力を振りたい時期なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?