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やべえっ!人生がうまくいっていない時期に、私が陥りそうになったこと。

あぶねー。リア充の罠に引っかかるところだった。それと、思想の欠乏。

ここ最近の私の志向性は、どこかしっくりとしていなくて、何かに振り回されているような感覚を覚えていた。
その要因が先日分かった。

無意識に「リア充という幻想への羨望」を抱き、「思想の欠乏に対する迎合」を受け入れていたのだ。いや、そうしようとしていたのだ。

私もそれなりに年齢を重ね、「しっかりした大人」にならなければならないという想いが生じ、その想いがそうさせようとしたのだと思う。今よりも若い頃は、あんなに拒否していたのにも関わらず、だ。



私に限らず、存外、そのような人は一定数おられるのではないだろうか。

なぜなら、世間の主な風潮がそうであろうと、私は思うからだ。

「キラキラした自己を装飾すること。小難しいことは取り沙汰しないこと。」

こりゃ、振り回されるわ。不明瞭な価値観を意識して、かつ思考非活性状態だからだ。

恥ずかしながら、ここ最近の私の状況はうまくいっておらず、そのような時期に、「しっかりした大人」になるためには、世間の風潮に乗る「べき」だと無意識に流されてしまっていたのだと思う。



それに気付けたのも、「リア充」という言葉と「思想」という言葉が指向する概念を、少なくとも知っていたからである。

この記事がnote初投稿。

これから、このnote上で、豊穣なる「言葉」の海を眺め、時には泳ぎ、できる限り自分の「言葉」を紡いでいきたいと思う。

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