見出し画像

湊かなえ「ポイズドーター ホーリーマザー」観たら自然と涙が出てきた話し


いやぁ、素晴らしかった。
この感動を言葉に残すことこそ、僕がやりたかったことの1つなので、語らせていただく。

ところで、WOWOWドラマっていい作品多くないか?
長編小説やるのにちょうどいい長さで調整出来るのがWOWOWドラマのいいところ。
最近はネットフリックスに押されてるかもしれないがWOWOWも頑張ってほしい。


1話がポイズンドーターの娘視点で、2話がホーリーマザーの母視点の湊かなえお得意のスタイル。
3話目以降は違う短編の作品らしいがまだ観てないので分からないが、とにかくこの2話の話がしたい。

ただネタバレ満載になるかもしれないので、これ以上はその点をご留意いただきたい。







1話目  娘視点での毒親あるいは呪い

まず最初のつかみから演出が上手い。母の自殺と思われるシーンから葬式での宮崎美子の演技からしてなにかあったなと思わせ、遺影の写真を割る演出。

この時点でミステリー調の謎が適度な情報量で散りばめられており、ぼくの名探偵こころを掴んだ。

そこから娘の視点で語る母親のウザさに辟易し、まじで毒親だなと感じさせられる。

母親の一挙手一投足に怯えている様子で、大人になっているのに映画の主演を断らさせようとしたり、彼氏と別れさせたり、付き合う友達を制限させたりと、毒親要素満載だ。

極めつけのセリフは「あなたのためよ」

僕はこのセリフは呪いのように感じた。
親の望む範囲で生きなさいとほぼ命令しているような恐怖。それに親子の危うさを象徴しているような言葉にも思える。

そこから、娘がTVを通じて親の毒親性について語り、2話に進む。

2話目 母親視点  娘を守ることで失われるもの その後

2話からは母親視点に切り替わり、不器用ながらも娘への思っての行動だとわかり、毒親というレッテルが徐々に剥がれていく。
母親の過干渉ともとれた行動には、娘がトラブルに巻き込まれないようにと思う気持ちの強さが災いしたというべきか。
つまり、母性が強すぎるのだ。

僕は親にはなったことがないが、この感覚はなんとなくわかる気がする。
例えば、子どもが崖から落ちそうになってたら当然助けると思うが、石ころに躓いて転ぶ場面はどうするべきなのだろうか。またその中間くらいの危険さならどうなのだろう。

これは個々人によっての価値観が反映しやすいとだろう。
いかなる場合も助けるべきと考える母性が強いタイプは、転んで軽い怪我をするという経験すら奪っているとも言える。
だから、娘からみたあらゆる経験を奪っていくモンスターであり、じぶんを意のままにコントロールしたがってる毒親に見えるわけだ。
それが実は愛に裏打ちされた行為でも、結果として相手のためにはならないという悲劇に繋がっていく。

話を戻すと、徐々に母親の過干渉の謎が解けていき、いつの間にか母親応援モードに切り替わっていくのに気づく。

そして、娘側にもいくつか変節があり、かつて母娘であった親子の絆を思い出す。
そしてラストの親子の絆の象徴とも言えるぬか漬けを食べるシーンの美しさたるや。(この辺はぜひ映像で確認してください)

僕は不覚にも泣いてしまった。
人間とはかくも不器用で、それでいて美しいのだろうかと。

ちなみに親友の女がウザいと感じるのは僕だけ?娘に対し常に説教的で、あなたのようにならないように自分の子を育てる宣言とか、何考えてるんだろこいつ。こういうやつマジ嫌い。

家族は絆と呪いのグラデーション 

ここで思い出したのは最近ハマっている積読チャンネルだった。

家族は絆と呪いのグラデーションって名言を飯田さんが残していてめちゃくちゃハッとしたのを思い出す。

僕らは善と悪の二項対立で考える方が楽なので、
問いをたてたがる。しかし、生きているとそんなわかりやすい二項対立は少ない。もっとわかりにくい愛なのか呪いなのか絆なのかというもっと複雑な変数が混じり合ってると思う。

それに、家族という近さゆえの距離感の難しさは自分と他人という関係を簡単に飛び越えてくる。それも厄介な問題だろう。

大人になっても人生のプロじゃない

そして忘れてはならない視点もある。
引き出しが少ないようで恥ずかしいのだが、これまた積読チャンネルの飯田さんの名言で大人になっても人生のプロじゃないという視点も忘れてはいけないと思う。
なにもかもプロとしてああすればいいこうすればいいなんて判断できる事象がそんなにあるのだろうか。常に変わる事象をできる限り考えたり話したりするべきなのだろう。

人生迷子おぢの僕にはわからないが親になるとまた違う感想を抱くのだろうか。

まとめてはいないまとめ

他にも構成の妙についてもいずれ分析したいが、またの機会にしようと思う。

飯田さんの名言を引用しすぎたので僕なりの考えを書く。
このドラマを観て、普段から言葉を大事に使うことや思いを伝えずに、上から目線で「あなたのためなのよ」という言葉はコミュニケーションじゃない。
家族内にも権力の要素があるから常に対等であるべきとは言わない。

ただ人の想像力は無限だ。
そこに制約はない。
想像の上では、NBA選手にだってなれるし、ワンパンマンにもなれるし、抽象概念にだってなれる。
制約だらけでがんじがらめの社会だけど、制約のない想像だけは育んでいきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?