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千日前線

日頃見慣れた言葉でも、フォーマットや文脈から離れたところに置かれると、初めて出会った言葉のように感じることがある。言葉のジャメビュとでも言おうか。

頂戴したメールの署名欄(住所表記)が「千日前線 ○○駅 徒歩〇分」と始まっていた。まず「〒000-0000」や「大阪市〇〇」と来るのが一般的なパターンだから、絶妙な感じで虚を突かれた。

なので、つい「せんにちぜんせん」と読んでしまった。

焦土と化した大阪市中心部。長期化する争い、届かぬ物資、ジリジリと後退を余儀なくされる兵士たち…。

世界史で習った「百年戦争」「三十年戦争」、あとは同世代のベストセラー「ぼくらの七日間戦争」あたりを下敷きにした空目(空読み?)だと思う。

空目してしまった理由は他にも思いあたる。都会に住んでいると「〇〇線」という記載=「路線名」であることは自明の理なのだけれど、地方出身者である僕は、このあたりの感覚がたぶん、体に落ち切っていない。だから「線」を一単語と捉えるよりは、「前線」とくくってしまったほうが、(意識下の僕は)座りよく感じたんじゃないだろうか。

広島(市)に住んでいたとき、交通機関を「〇〇線」と言い表すことは、あまりなかったように思う。

「ひとつの交通手段につきひとつの路線」が基本の地方都市なので「電車で」「チン電で」「バスで」「アスト(アストラムライン)で」と言えばこと足りた。例外的に「可部線」と言うことはあったように思うけど、音の短さもあって、「かべ せん」ではなく「かべせん」というひとつの単語として捉えており、またそれは「電車で(JRで)」と同等の意味あいだった。

空目の理由はまだある。地方出身とは言え、かれこれ人生の半分以上を大阪で過ごしているものだから、ある程度の土地勘や史実に関する知識も得ている。だから、多くの大阪人と同じように(?)千日前という地名に、ある種の「凄惨なイメージ」を抱いてしまっている。そんな無意識の感覚も、今回の空目を引き起こした一因であろう。

ひとつの言葉でも、受け取り方はその人の経験や知識によって変わることもある。期せずして自らのルーツを辿る旅へと誘ってくれた「千日前線」なのだった。(取り止めのない話をエモな感じでシメることができて大変満足している。)



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