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月を隠して 第三章「名残の月」

俺は新月が好きだ。

 新月は存在しない夜空に名前だけを残している。それに俺は憧れている節がある。

 俺は時々この河川敷に来ては月のない夜空を眺めて物思いに耽る。当然月がある日もあるが、新月の方がいい。どちらかというと星の方が好きだから、それが良く見える今日のような夜空が好きだ。

月ばかりに目を取られていては周りのもっと美しい星には気づけない。そう思う。

 一般的な教養はある方だという自負があるので、新月の時の天体の配置や、周りに見える星が何かもわかる。


 俺は将来画家になる。

 そのために中学卒業後、この芸術都市の高校に入学した。

 受験は容易いものではなかったが、合格できたのだ。

 芸術都市とはその名の通り、芸術に特化した都市のことだ。専門学校よりも専門性が強く、様々な芸術分野に触れることが出来る。ただ、その代わり一般教養のレベルは他の高校、専門学校よりも簡単に行われるそうで、かなり議論が巻き起こったことがあるらしい。確かにこの制度ならより多岐に専門分野を学べるうえに人脈も作れる。良い機会な気はする。賛否はともあれ俺はこれを好機と捉えた。

そしてまだテスト段階らしいが、今後は芸術都市の他にも「科学技術都市」「環境政策都市」「食品科学都市」「歴史文化都市」「芸能都市」などなどを全国の地方数か所に作り、より専門的に、将来を見据える教育を行うようにするみたいだ。

よりよい日本のため、といつかの政府が発案し、珍しく盛り上がったらしい。

そしてまずは試験運用や審査も兼ねてしばらくの試験期間が設けられた。俺はその時に設立された芸術特化の高校に通っている。

ちなみに同時に試験が開始されたのは科学技術都市と環境政策部だ。


ある地域が丸ごとその分野に染まる。これには結構苦労したらしいが、手厚い助成金でなんとか候補地は決まり、今に至る。

そしてそのような地に全国から夢を抱えた若者が集まる。

 とはいえ当然家族と離れて高校生のうちから一人暮らしをするのは大変だ。なので、専用の寮もあるしそうでなくても補助金は厚い。家事さえこなせば難なく一人暮らしを謳歌できる。

それに俺は元々生まれた時から母親がいない関係で家事はそこそこにやっていた。なので、今は手当をもらいながらのびのびと普通の一人暮らしをしている。流石に初めは色々と苦労したが、もうそんな生活も一年が過ぎたので慣れたものだ。逆に俺が居なくなった実家の方が心配なくらいだ。

まあ今年から中学に上がった妹が色々と俺の代わりに頑張っているようなので多分大丈夫なはず。


 自分について少し述べておこう。

 俺は小日向こひなた未来みらい、今は高校二年だ。自分について述べるところは特段多くはないが、とりあえず俺は友達という感じの人はいない。というか要らない。と言っておこう。毎日少し早く起きて弁当を作り、学校に行って帰ってきたら絵の練習。そして早めに寝るという生活のうえ、学校でも教養科目の勉強の他に絵やその他の芸術の勉強もあるのだ。他人が介入する余地などない。

 そして、俺の祖父は小説家だ。これまでに色々な作品を世に出してきた。俺は幼いころそれが自慢で、たくさん作品を読んだ。小学生の頃は周りのみんなにも自慢していた。

その頃から俺は「創造の世界」で生きたいと思っていた。

 気づけば中学に上がると同時に絵描きを志すようになっていた。

 絵を描くことはずっと好きで、得意なことの一つだった。俺も祖父のように創作でなにかを表現したい。何かを伝えたい!と本気で思ったのだ。

 だが、中学に上がって周りに祖父が小説家だと噂になると、小学生の時とは反応が違った。祖父は主にSF作品を書いており、ファンタジーの毛色が強かった。すると、ネットで調べただけで作品をちゃんと読まない人たちが祖父のことを馬鹿にし始めた。「厨二病」だとか「恥ずかしいやつ」「おっさんオタク」だとか様々だ。確かにアニメ化されたものもあってそういうこともネットで言われたようだが、ちゃんと作品を読めばメッセージは伝わるはずだ。読みもしないでそのような評価をするなんて愚か極まりない。

 こうして祖父のことを悪く言われた俺はいつしか周りの人間との関わりを断つようになった。

 そして、俺も祖父のようにメッセージ性のある作品、絵を描きたいという思いが強くなった。

 伝わる人、理解できる人だけに伝わればそれでいい。

 この芸術高校に入ってからそのようなことは言われなくなった。おそらく俺の祖父が小説家ということが知られていないということもあるだろう。ともあれ初めから知られていなければ何も言われない。

 それにここならきっとみんな理解はあるだろう。多少なりとも創作に生きたいと考える人が集まっているのだから。

 でも、不要な接触は避ける。

 時間は有限だ。


 俺が描いているのは主に水彩画だ。でも単純なのはあまり好きではないので色々と模索している。

 敢えて線画を強く残してその上から淡く塗ったり、水彩画の上に切り絵を貼ってみたり極端な濃淡で表現してみたり…。

 だが、やりつくされている。つまらない。

 早く自分のスタイルを確立したい。

 そのために今は描き続けるのみ。


 この芸術高校では普通の一般教育のカリキュラムの簡易削減版に加えて様々な芸術の授業が展開されている。そしてそれらは大学のように授業さえ被らなければ自由に受講することが出来る。これもかなり魅力的だ。

 俺は水彩画と油絵をひとまとめにした授業と、切り絵や木彫りの授業、そして芸術史、さらには祖父にならって日本語表現の授業、そして教養として一般音楽を取っている。

 専門科目はその他にも写真の授業やプログラミングを使った芸術であったり漫画の物語の作り方から書き方までやるものがあったりと本当に多岐にわたる。

 当然中には芸術課程の必修科目もあり、AIアートとの共存や差別化も学んだり哲学呈なことも学んだりする。

 基本的に午前中は一般教育の座学で午後は専門科目となっている。さらに土曜日も午前だけはクラス単位のなにかしらの授業がある。この時には必修科目が多い。

 部活動は無いがなんとなくの集まりで部活の名残の様な事をやっている人はいるらしい。俺は所属していないが。

 そんな場所で俺は月と太陽に何度も挨拶しながら画家、芸術家を目指して励んでいる。


 五月になりゴールデンウィークという名の少しの休みを得た。

 この期間は少し羽を伸ばそうと思い。久しぶりに実家に帰ることにした。

 正月ぶりに帰省したが、別段変わることもない。父さんと妹と学校での生活を話したり、聞いたりして過ごした。

 帰省二日目。今日は祖父母の家に遊びに来た。

 祖父母の家は都心の近郊に位置し、特別都会ではないがまあ想像するほどの田舎でもない。言ってしまえば中途半端。都会と田舎両方の側面を持つところ。印税で暮らしているのだからもっといいところに住めそうなものだが、「ここがちょうど良いんだ。」と祖父は言っていた。

 家族も祖父もスマホやパソコンを通して話すことはたまにあるため俺がどういう生活をしているのか大方知っている。でも会えば再び同じ話を今度は直接話す。その時間は嫌いじゃない。

 そして、祖父とは普通の日常の話意外にも芸術の話をよくする。最近描いた絵についてであったり、最近読んだ本であったり。

祖父は写真家という側面もあるため、最近撮った写真を見せてもらったりもする。

 父も昔は祖父に憧れて写真家や小説家を目指したらしいが、途中で諦め今では会社勤めをしている。それもあってか俺のことはとても応援してくれている。

 そして、そんな父と祖父と三人で祖父の書斎に行きあれこれ話すのが好きだ。

 妹はそういうものに関心はあまりないらしく、料理が好きなので同じく料理好きな祖母と一緒に長い時間をかけて料理をしていることが多い。

 夕飯時には従兄弟も遊びに来たため、大勢で食卓を囲み、妹と祖母の料理をみんなで堪能し、夕飯後にはみんなでゲームなどをして楽しんだ。

 そして今日は祖父の家に泊まるため、夜にもいろいろな話をした。

 この空間はとても好きだ。この連休が終わればまた前と同じような日々がやってくるが、一度祖父の家に来ることでやる気に満ちる。これでまた頑張れるだろう。

 次の日、父、妹、祖父、祖母で散歩に出かけた。ちなみに祖父母は犬も飼っているので柴犬のアポロも一緒だ。アポロと言う名は父が付けたようだったが、名前の由来は誰も覚えていなかった。「まあ、きっと宇宙計画だろう」と祖父は笑う。

 みんなで思い出の地を巡る。

 父は子供の時からここに住んでいるが、都会の近郊ということもあり昔とずいぶん景色が変わってしまっているらしい。祖父母もそれには大いに同意し、今は亡き街の景色を色々と教えてもらった。

 それと、祖父は自身の祖父の話をよくする。

 曾祖父の一個上だから、確か高祖父とか言うはずだ。

 高祖父はここよりもずっと田舎に住んでいて、同じように昔の話をしてくれたようだ。その話に出てくる世界は本当に教科書の世界観だった。スマホやSNSがないなんて考えられない。

 それでも高祖父も祖父も夜空を見上げることが好きだったようだ。

 「月も星も、いつまでも変わらないんだ。」

 祖父はそう言って真昼の空を見上げる。

 「今日は新月、本当は今月が昇っているはずだよ」

 祖父は僕らに教えてくれる。

 もちろん僕はそのことを知っている。

 新月は昼間に昇って来て僕らを見守る。そして夜は不在だ。

 しかし我々は夜になると「今日は新月か」と思う。本当はいないのに。


 そして俺たちは祖父母の家を後にする。

 帰る前、祖父の書斎から本を借りるのが恒例となっている。

 みんなが帰りの準備をして祖父母も手土産を準備している中、祖父に許可を取って書斎に一人で入った。

 今じゃ本棚に本を並べる人は珍しいが、祖父も俺も紙の本を並べるのが好きだ。それに、このデカい本棚の前に立つといつも心躍る。

 何を借りよう…。

 高校二年になって生活も慣れたしまとまった時間が取れそうだから新しいジャンルでも読んでみようかな?

そう考えていると一冊の本が目に入った。

 「なんだこれ?」

その本はかなり、それは大層かなり古びた本で、背表紙も表紙もタイトルが書いてあるかもわからないほど色褪せていた。まるでタイムカプセル。

こんな本、前からあったっけ?

なんだか気になったので手に取って中身を確認してみる。

「え…?」

するとびっくりだ。

何にも書いていないではないか。白紙だ。色褪せて黄色っぽくはなっているが何も書かれていない。パラパラとめくってもなにも出て来やしない。

再び初めからパラパラとめくるとヒラヒラと白紙の本から何か落ちた。

下を見るとどうやらそれは「栞」のようだった。

白紙の本のちょうど最後の方に挟まっていた栞。

不思議に思ってそれを拾うとさらに不思議で、材質が何かわからないのだ。

「なんだこれ」

試しに少し曲げてみてもしなやかに反発する。

カーボン素材かあるいはプラスチックボード。そのうえ鉱石の様な光沢がある。岩石を偏光顕微鏡で見た時のような感じでなんとも美しい。

 なんだかよくわからないが栞があるのはありがたい。たまに切り絵をする延長でオリジナルの栞も作けど、まあいくらあっても良いだろう。

 その後も少し本棚と向き合い、選んでいると祖父が入ってきた。

 「決まったかい?」

 「いや、ごめんまだ。」

 「なにか新しいジャンルでも読もうと思うんだけど、何がいいかな?」 

 「うーん…。じゃあ恋愛小説でも貸そう。あんまり読まないだろ?」

 「うん、まあそうだけど。」

 恋愛小説か。確かにその手の本は読んだことがないが。いい機会だし借りるか。

 「じゃあ、それお願い。」

 「わかった。ちょっと待ってな、」

 そう言って祖父はでかい本棚や部屋の中を探し始めた。

 俺は先ほどの本と栞について祖父の背中に話しかけた。

 「そういえばさ、さっき変な本があったんだ。古いやつで中に何にも書かれてなくて、あとその中から変な栞が出てきたんよ。なんか知ってる?」

 そういうと一瞬祖父の動きが止まった。

そして「うーん、たくさんあるからわからんなあー」と間延びした声で言われた。流石に全部の本のことは把握しきれていないのかもしれない。

 少しして祖父が三冊の本を渡してきた。

 最近のものと祖父が学生の時に流行ったという小説二冊。俺はありがたく借りた。

 栞もどこにしまったか忘れて見つからないが、祖父に「借りていい?」というと「もちろん。僕のじゃないしね」と言ったのでありがたく借りた。

 祖父母に別れを告げ、すぐにまたインターネットを通じてやり取りをしようと言って祖父母の家を後にした。

 家に帰って荷物の整理を行う。明日にはまた一人暮らしの家に戻るのだ。

 妹の作った家庭的なご飯を食べて、部屋に戻る。

すると部屋に妹が入って来て学校でどんなこと習っているのか聞かれた。

「最近はずっと油絵とか描いてるかな」

「へえ、美術館とかのやつ?」

「まあ大体合ってると思う。」

そんな感じであれこれと話していた。

「逆になにかやりたいことはないのか?」

「よくわかんない。多分、高校は普通科に行くと思う。その先はそこで考えるかな、」

「そっか、頑張れよ」

「うん。でも、シェフとかちょっとやってみたかも。」

「料理上手いもんな、いいじゃん」

「でも、私は家庭料理とかが好きだからなあ」

「たくさん悩めよ、俺もがんばる。」

「うん!」

 その後も他愛のない話をし、妹は部屋に戻った。


 次の日のお昼。これまた妹のなんかちょっとお洒落なランチをみんなで食べて家を出た。

 「またすぐねー!」

 改札で妹がそう言って手を振ってくる。父は手を挙げて見守るだけだ。でも、十分に伝わる。


 芸術都市までは新幹線と電車を乗り継いで向かう。とはいえ東海地方なのでそれほど時間はかからない。


 一人暮らしの部屋に戻ると、「ああ、また始まる」と「戻って来た」という感覚が湧く。

 ある程度荷物の整理をし、洗濯物を回したら今日は絵を描く気分になれなかったので早速祖父に借りた本を読むことにした。

 祖父が学生の時に流行ったらしい恋愛小説を手に取る。

 すると、そこからヒラヒラとどこにしまったかわからなくなった黒い栞が落ちてきた。

 こんなところにあったのか?でも?なんかおかしいぞ?

 なにか引っかかったが拾って机に置いておいた。


 途中まで読み進めて一旦休憩。

 なかなかに面白い。

 恋愛はたぶん記憶のある内ではしたことがないが、恋っていうものもちょっと良いなと思えた。

 恋の激情はまさに激情。世間の他人一般がどのように熱く感情を昂らせているのかがなんとなくわかった。

 俺は決してそのような感情の昂りは嫌いではないし、むしろそれこそがなにかの原動力になるのだろうから肯定的だ。行動や芸術の源となりえるだろうし、そのようなときに人はなにか物語を残すのだろう。素晴らしいじゃないか。

まあ他人と関わってないからそもそも俺のことを好きになるとかいうとんちんかんな奴なんていないだろうが。

 牛乳を注いできて椅子に戻る。ふうっと息をついた視線の中にさっき机に置いた栞が目に入った。不思議だなあ。と思いながらなんとなく天井の明かりに透かす。

 「!?」

 すると、なんとそこに風景が浮かんだ。

草原と、半月、それから満天の星空。なかなかに綺麗だ。。星の配置を見るに冬の星座だろう。なんなんだこれは。

栞というか作品に近いように思える。だって材質はなにかの鉱物っぽいし、その中にこの景色を創り出せるなんて職人技すぎやしないか?一見ステンドグラスのようにも思えるが、それほどの透過率はなさそうである。強い光の時だけ浮かぶ景色のようだ。

そしてもう一つ凄い点が。文字も書かれている。

栞の中央やや左、半月の左側に小さめではあるが文字が書かれている。

読んでみると「月を隠して…」のようなことが書かれている。読みにくい。さらに文章は続いているようだが、続く文はさらに読みにくく、何が書かれているか判別不能だ。

なんというか、本当に美しい作品だ。

 いつかこういうものを作っている人と学校で出会ったら聞いてみよう。そう思い、再び本の続きを読み進めた。

 キリのいいところまで読み進め、就寝前に体を動かそうと散歩に出かけた。

 この芸術都市はかつて栄えた街にそのまま芸術関連の施設をあれこれと建てている。もちろん生活するための店もあちこちにあるので一見するとただの街だ。

 そしてそんな街の真ん中には大きめの河川が流れている。

 俺はよくここまで散歩に行き、少し休んで帰ってくるということをする。

 ちょうどいい距離感で、河川敷に座ると適度な風が頬を撫でて心地が良い。

 夜にくれば周りの明かりは控えめなので家の近くよりも星が良く見える。

 明日から学校が再開する。また夢へと一歩近づくために努力する日々が始まる。

 そう思って今日も星空に願掛けをする。

 「見守っていてください。」と。


 この学校には俺みたいに不要な交友を避ける人間は多い。少なくとも中学の時よりかは多い。

 自分の世界に入っている人たち。音楽を聴いたり本を読んだり絵を描いたり。俺もその一人だから心置きなく教室では自分の世界に入れる。

 だいたいは勉強をして過ごすが、たまにふとアイデアが浮かんで来たらノートにメモを取る。

 ただ、今日は祖父から借りた本を読むことにした。


 もちろん俺みたいな人ばかりではなく、普通の高校生のように友達との交友を楽しむい人は一定数いて、朝のホームルーム(HR)前に友達とわいわい話している人も居る。

 このクラスはあくまでも一般教育の授業を受けるためのクラスなので芸術に関する趣味趣向が全然違う人が集まる。もしかしたら別のジャンルに触れる機会を作ることによる刺激とかも考えているのかもしれないが真相は不明。

 ちなみに、この学校は芸術系全般を広く扱う学校だがもちろん高校生活中に色々と考えて普通の大学に進学したりする人も一定数いるらしい。


 昼休み。今日は本も読みやすいようにサンドイッチを作ってきた。購買でコーヒー牛乳だけ買い、自分の教室に戻る。

 祖父から借りた昔の小説も終盤だ。じっくりとラストを楽しもう。

 と考えていたのだが、

 教室に入り自分の席に目をやると、そこに女子が一人いた。

 様子から俺が机に置きっぱなしにしていた本を見ているようだ。いつもはカバーをかけて読んでいるのだが、祖父から借りた本にはカバーをかけ忘れていた。

 人のものを勝手に覗き見るなんて趣味の悪い。

 「なにか用?」

 面倒くさいがそのまま席に向かい、少し圧をかけるように声をかけた。

 そして一瞬びくりと肩を震わせて

 「あ、あ、勝手にごめんなさい!」

と言って手を合わせて誤って来た。

 「別にいいけど、なに?」

「この本読んでるのが目に入ってさ、、紙で読んでる人って最近あんま居ないし」

 「まあ、紙の方が好きだからな。」

 「それと、その本、私も好きなやつなんだ…!」

 これは意外だ。祖父から借りた昔の本だが、知っている人が居るとは。

 「おばあちゃんが貸してくれた本で結構好きなのその人の作品。昔の人だけど。」 

 「へえ、俺も祖父から借りたものだわ。読んでるやついるんだな。」

 「小日向未来くん、だよね、確か、よろしくね。」

 こちらは別によろしくされなくてもまったく構わないのだが。

それに向こうはクラスメイトの顔と名前を覚えているのだろうが俺は全然覚えていないから名前なんて知らない。

 俺が少々怪訝そうな顔で相手を見ると、

「あ、私、同じクラスの月本つきもと燈葉とうはっていうの、よ、よろしく…。」

 俺に話しかけてくるやつなんて珍し。と思いつつ、一応「おう。」とだけ返した。

 連絡先を交換しようと言われたが、スマホの充電が無いことにして断った。そしたら大人しく戻って行った。

 午後は水彩画の授業が二つで、前半は学校で描いてる方の作品を進めた。一応いくつかの絵を家と学校で同時に進めている。

 後半の授業は先生が紹介したり先生がお手本として書いたりしたものの模倣をして技術や色や道具の使い方の幅を広げるものになっている。

 こういう世界の人間は意固地な人も居て、「俺はスタイルを曲げない!」と言って後半も自分の絵を描き進める生徒も居た。先生も寛容で一応その行為を認めてはいたが、俺はちゃんと受ける。自分はまだまだ未熟だとしか思えないからだ。


 放課後は個人室を借りて少し授業で描いた絵を進めてから帰宅した。

 「はあ、」今日も疲れた。

 家に人なんて入れたことない。なのでこの部屋は今迄俺のため息くらいしか音を吸収していないだろう。

 さて、夕飯を作ろう。

 そう思って冷蔵庫を見ると食材が少なくなっていた。なにかしら作れるだろうが、買い物に行くことにする。


 家の徒歩圏内にスーパーがあるのは一人暮らしにとって非常に助かることだ。歩きながら作品の構想を考えたり夕飯や明日なにを食べようか考えたりする。

 一人暮らしなら別に全部自炊せずとも総菜ばかりの生活で全く問題ない。しかし、俺は料理をする時間は好きなのだ。上手いかは別として。料理をしている時間は考え事の数が減るので脳が休まる。

一応料理の時に妹が暇ならカメラを通じて指導を受けることもある。

まあ最終的にほとんど妹の私生活での愚痴を聞くことになるのだが。

そしてスーパーにたどり浮き、なんとなく前よりも安そうなものを眺めてメニューを決める。だんだんと春野菜が安い時期が終わるかなーと考えつつなんにも関係のない肉じゃがを作ることにした。安さよりも食べたいという欲求優先。大事。

よし。あとは肉を買うだけだ。

肉のコーナーに行ってどれにするかを決めた。

そして、牛肉を買い物かごに入れて視線をあげると、一人の人間と目が合った。

「あ、小日向くん。こんばんは…」

なんとそこには昼間話しかけてきた、ええと…。名前忘れたさんが居た。

昼間は制服だったが私服で髪も下し、眼鏡だ。全然姿が違うので普通に他人だと思ったが、その挙動不審さが昼の光景と合致した。

「どーも。」

何も言わないのもあれなので無難に返す。

「夕飯?」

肉の陳列を右側に牛肉を片手に持った目の前の人が続けて言ってきた。

自分の株を下げすぎるのもよくないので会話をすることに。

「まあ、そう。」

「小日向くんって、一人暮らしなの?」

「うん?そっちは?」

「私はもともと家がここら辺なの。凄いね、一人暮らし。しかもちゃんと自炊するんだね。」

俺の左手に持たれた買い物かごに視線を向けて言ってくる。

「まあ、料理は嫌いじゃないし。安上がりだし。」

 「もしかしてお昼に食べてたサンドイッチも手作り?」

 「まあ、一応。」

 「すごいね、…ごめんね、また明日!」

 そういうと彼女は少し向こうにいる母親らしき人のところへ向かった。

 そしてなんともう一度戻ってくると、「連絡先交換、いいかな…?」と言って来た。この人は鈍感なのだろうか?昼の対応を経たうえで再び聞いてくるとは。でもまあもう無下にするのもなんか嫌な気分になりそうだったので、交換することにした。

 家に帰って妹による遠隔指導の下、肉じゃがを作っていると目の前のディスプレイに先ほどの彼女から「交換ありがとう。よろしくね。」と来た。

 斜め上に設置されたカメラからその様子も見ていた妹が「え、お兄、友達なんていたの?」と言って来た。なんて失礼な。でも身内にもそのように思われていたのだな。隠し事は出来ない。なら正直に答える。

 「友達じゃないけどなんか交換させられたんだわ。なんかこの前じいちゃんから借りた本と同じの読んでたらしくてさ、」

 「へえー、いい出会いじゃん。同じ古本で知り合う二人…!お兄のくせに!」

 「いや、マジであり得ねえ。」

 そんなことも話しつつ、肉じゃがを完成させ、妹にお礼を言って通話を終了させた。

 最後に「色々頑張ってね~」と言われた。全く妹ながら年頃の女子というやつは。

 肉じゃがは無難に美味しくできた。残りは明日の弁当にしようとタッパーに詰めて冷蔵保存。

 それが終わって少し休憩したら今日は家で描いている水彩画の続きを描くことに。本当はまとまった時間に一気に仕上げるべきなのだろうが、学校に通いながらでは仕方がない。

 それに俺は人には出来ないようなことが一つだけ出来る。それは、「色の再現」だ。絵やものの色を見たらだいたいどのぐらいの色がどのくらいの割合で混ざっているかが見当つくのだ。絵を描いている人間なら多少できる人はいるだろうが、知らない。だが、俺はこれが出来るので一応途中からでも再開できる。妥協だ。

 しばらく描いてふと息をつく。そういえばさっきのメッセージに返信していないことを思い出し、一応「こちらこそよろしく。」と返しておく。

 なんだか続きを描くのもいいアイデアが出そうにないので道具を片付けて散歩に行くことにした。

 いつも来る河川敷の階段に腰を下ろす。

 実はこの街、通っている高校を中心に都市開発が行われたのだが、その前に一度大きな震災を経験している。

 歴史にも残る大地震。

 ほとんどの建物が崩壊し、津波が街を攫った。

 初めに復興のシンボルとしてこの街が出身だという芸術家が大きな彫刻を作った。

 タイトルは「夢」。

 様々な意味が込められた幾何学的な、温かみのある彫刻は広く評価され、そこを中心に学校が建てられた。今でも俺の通う高校の中庭のど真ん中にある。

 そして同時期に発案されていた「専門都市構想」によってこの街は手厚い補助金の元に復興を果たした。

 今の形になるまでにかなり時間はかかったようだが、色んな人の夢が集まる街が完成したわけだ。

いたるところに色んな人が作ったものがある。

俺が座っている階段ですらなんだかアートのようになっているし、階段を降りた先のちょっとしたスペースにはこれまたアートな像が設置されている。


 そんな近未来的な階段でこの前祖父や父が話していた昔のことを思う。

高祖父の話を思い出す。

かつての豊かな自然とそこに暮らす人々。

川も絶えず侵食や堆積を繰り返しながら変容していたはずだ。

そう思うと今目の前を流れている川も川じゃないように感じる。

完全に舗装された河川。

川ではあるが自由ではない。

 そしてそれらに比べて俺の真上にある星空。

これは昔っから変わってないもの。人が手出しできない不可侵の領域。不偏性。

かつてから今まで見守っているものたち。

そんなことをあれこれと考えていたらアイデアが浮かんできた。

 完全に舗装された川を見つつそんなことを考えていた。

 芸術も考え物だな。

 そうだ。これを描いてみよう。


 早速週末学校帰りに図書館へ行ってみた。ここには資料として写真集もあったはずだ。

 登録されている顔認証で図書館に入る。図書館内では席に着いて欲しい本を検索すると自動でロボが持ってきてくれるようになっている。だが、俺は足で探す。

 目的の棚はすぐに見つかり、いくつか開いて中身をパラパラと見る。その中の三つを席に持って行ってじっくりと見る。

 読んでいるのは写真がメインの本。高祖父の時代の自然が写され、紹介さている本、祖父や父の時代の自然が写されている本、そして最近の自然の本。

 見比べると自然環境の変化に驚かされる。


 三つとも借りることにして家でも読んだ。

 だんだんと俺の頭の中でアイデアが蓄積され、具体化されていく。

 そしてその勢いのまま下書きを作製。線画が完成した。

 今日はいったんここまで。続きは明日。俺は飯を食うことも忘れ、眠る前に「あ、飯食ってねえ」と思い出したが、とりあえず寝た。

 次の日起きて超絶簡単にご飯を済ませたら早速着彩作業にとりかかる。今日は日曜日なので一日中作業ができるぞ!


 緑色。

 こいつは色の中でも一番扱いが厄介だ。

 人間の認知できる色で緑色は一番多彩だ。

 だからこそ慎重に、自分のイメージする色を作り上げる。

 細かな違いを表現する。

 気づけばお昼になっていて、お腹が空いていることに気が付いた。


 「はあ…。」

 自炊する気にもなれなかったので近所のテイクアウトできる適当な店に歩いていくことにする。簡単な宅配サービスも利用できるが、ずっとほぼ動かないで作業していたため、血行を良くする意味も込めて歩くことにした。

 なんでもよかったが、手ごろなファストフードの店に行って適当に注文する。正直腹に入ればなんでもいい。それよりも早く作業を再開したい。久しぶりに楽しいアイデアが浮かんできて高揚している自分が居るのだ。


 しかし、帰り道に犬の散歩をしている月本と遭遇した。

 「あ、小日向くん、こんにちはー」

 先に向こうがこちらに気が付き、そう言って来た。

 「あ、うっす」 

 「元気してた?」

と聞かれてそういえば数日メッセージを返信していないことを思い出した。

そもそも家族ぐらいしかやりとりをしていなかったので、毎日メッセージを送り合うなんて習慣を脳が受け付けていなかったのだ。

「あ、ごめん、メッセージ返してなかったよね…。すまん」

これに関しては流石にこちらに非があるので謝っておく。

 「全然大丈夫、それよりなんかあった?楽しそうだけど」

 もしかして顔に出てたか?そんなに自分の思考以上にウキウキだったみたいだな俺。

 「ああ、今描いてる絵が楽しくてさ。」つい口からも出てしまった。

 「え、あ、小日向くんは美術系の人だったのか、どんな絵描くの?」

 「水彩がメインかな、まだまだだけど」

 「楽しめるのが一番いいよ、」そういう月本の顔に一瞬影が写った。

 「月本はなにやってるんだ?楽しくないのか?」思わず聞いてしまった。

 「私はね、音楽系で一応ピアノとバイオリンやってるんだけど…。」

 ピアノとバイオリン…。金持ちの象徴で凄い人がやっているやつではないか。でもこれはこれで苦労しているのだうなと音楽経験はないが同じようなことをやっている身として少し同情した。

 「どっちも出来るなんてすごいじゃねえか。」

 「…ありがとう。じゃ、じゃあね、また今度」

 そう言って帰ろうとする彼女になにか心が引っかかった。

初めてのことだ。

なんか、「放っておけない」というか。そんな感じがした。

なので…。

 「おい、この後暇なら俺の絵見るか?」

つい口から漏れた。

 そういうと彼女は表情を輝かせて「是非!」と言って来た。

 「五分待ってて!」

彼女はそう言うと犬と共にどこかへ行ってすぐに戻って来た。どうやら犬を家に帰らせたようだ。

 にしてもこの近さ。かなり近所だったんだな。

 俺の家に行く途中に少し芸術のことなどを話した。自然と俺の口からは祖父の名が出てきた。こいつなら話しても平気だろうと思ったのだろうな。

 すると案の定以上の反応が返って来た。

 「え、小日向君のおじいちゃんってあの小説家の人!?私読んだことあるよ!」

 なんと月本は祖父の作品の読者で、なんならどちらかというとファンに近い部類だった。祖父が褒められると俺も嬉しくなる。

 家について月本をあげてから思ったが、この家に家族以外の人間が来るのは初めてだな。

 てか、クラスの女子を家にあげるって普通にまずくね?俺やってねえかこれ?また変な噂が流れたら本当に嫌だ。なので、一応月本に口止めしておいた。

 するとちゃんと向こうも理解して「じゃあ、秘密にしておくね、」と言った。

 俺の部屋は一人暮らしにしてはかなり広く、正直持て余している。

 補助金が出ているおかげと新興住宅で安いということもあり2LDKに住んでいる。そして、その一つの部屋をまるまる絵を描いたりする部屋に使っている。

 月本をその部屋に案内する。

 襖を開けた瞬間、月本が驚いたのが空気で伝わってきた。

 「…!」

 人に見せることは別に構わないがまだ多少の抵抗はある。しかも今回に関してはまだ完全に未完成だし、正直自分が良いアイデアが出て舞い上がっているだけだ。どういう反応が返ってくるのか緊張が走る。

 少しずつ月本が俺の絵に近づく。そして、「綺麗…」と声を漏らした。

 他にも壁に立てかけてある絵などを見ては「凄い…」と小さく言った。

 俺は「お好きに見てて」と言ってリビングで買って来たハンバーガーなどを食べながらインターネットに転がっている適当な動画を見て時間を潰した。

 ハンバーガーの最後の一口を食べたところで月本が戻ってきた。

 少し自信もあったせいか「どうだった?」とつい聞いてしまった。

 数舜の後、「凄かった。」と返って来た。

 「私の語彙じゃ表せないような衝撃と美しさを味わえたよ、小日向くんってすごいね…。」

 「ありがとう。月本は音楽で何やりたいん?」

 「え?私は弾いて入れればそれでいい…かな。」

 「あのさ、提案なんだけど、これはマジで別に聞き入れなくていいけどさ、もしよかったら、曲作ってみたら?」

 「なんで?」 

 「いや、俺にもよくわかんねえけど、そんな気がしたから。」

 正直本当に自分でもなんでこんなこと言ったのかわからない。

 落ち込んでいる様子の月本を励まそうと勢いのままに家に連れ込んで俺の絵を自慢した。その上「作曲してみたら?」とは。自分で言っといてほんとうに意味が分からないが、意味が分からない。自己中すぎやしないか?

 少し後に、「私、曲作ったことないよ?」と言われた。

しかし少しして月本がなにか閃いたのか明るい表情を向けてきた。


「小日向くんの絵から曲を作ってもいい?」


 それはそれでとても面白そうだ。良い創作物が出来そうな気がしたので快諾。

 今日の俺は全体的に変だ!だけどなんか、なんとなくこれでいい気がした。うん!

 もう、なるようになれといった感じでいる。


 こうして俺と月本の交友は始まった。

 あの後から学校でも少しずつ話すようになり、月本を通して他にも何人かと話すようになった。

 ある日いつものように妹に料理を教わっていると「お兄、最近楽しそう。」と言われた。

 「別になんも変わんねえよ」と返したものの、俺の周りの環境は確実に変わっていっていることをいい加減俺自身も実感していた。

 妹には全部お見通しのようだ。


 すっかり秋風の吹くようになったある夜、また河川敷まで散歩して着想を得ていると隣に月本が座って来た。

 「お、月本、どうした?」

 「散歩。そっちは?」

 「アイデアを考え中、たまにここ来るんよ。」

 「河川敷でねえ、いいね。」

 「初めて見せたあの絵もここにいる時に思い付いたんだ。」

 「ああ、だから川と星が描かれてたのね、」

 「そうそう。今日は月が無くて星がよく見えるな。」

 その後も少し話して解散した。

 俺の絵たちと月本の音楽は今度行われる文化祭で発表することになった。

 俺と月本で作る一つの作品として発表される。

 結局あの絵を完成させた後にさらに三枚の絵を描いた。どれも「夜空と自然」をテーマに、さらにストーリー性を持たせて月も満ち欠けと時代性を合わせて描き上げた。最後の一枚はもうすぐ完成する。

 そして、月本はあれからたまに俺の家に遊びに来て、俺が絵を描く横で作曲をしていた。主にスマホとパソコンで行っており、俺の邪魔にならないように配慮してくれた。

 月本の一曲目が完成したとき、それはそれは嬉しかったし、俺の絵や思いが汲み取られているような気がして、かなり嬉しかった。

 ソロの曲もあればデュオ、や小編成の曲まで様々な全四曲が出来た。これらは月本とその友達が演奏してくれる。

 月本の友達は俺たちの考えにかなり理解を示してくれて、なんならみんな「超楽しい!」と言いながらノリノリで演奏に参加してくれた。何度か様子を見させてもらったが、生で聴く楽器の音の良さに俺もかなり良い刺激を受けた。


 そして、俺の絵が完成し、少しして月本の曲も出来上がった。これで全四部の作品が出来上がった。 


 文化祭前日。

 俺と月本はいつもの河川敷に来ていた。

 「とりあえず、明日だな。」

 「うん、なんか今から緊張しちゃうね、」

 「そうだな、でも俺の仕事は終わってるから、月本の方が大変だろ、」

 「ねえ、」

 「ん?」

 少しの沈黙が流れ。

 「下の名前で呼んでいい?」 

 「あ、もちろん!確かにお互いずっと名字呼びしてたな。」

 「せっかくこうして一緒に色々作れたしさ、ね、未来くん」

 「そうだな、燈葉。」 

 「なんか恥ずかしい。」

 「そうだな。でもこっちの方がいい」

 「うん。これからもよろしくね。」

 これがどこまでのことを指しているのかはわからない。だが、完全に同意だ。

 「おう、こちらこそ!」

 その夜、部屋で祖父から借りた本を読み終えた。自分で積んでいた本なども読んでいたからかなり時間がかかってしまった。

 そして、一旦役割を終えた月の栞の景色を見ることにした。

 今度はベランダに出てみる。

 今日は満月。その光に栞をかざす。

 すると、前とは様子が違うようだった。

 描かれている景色が前と違うような…?

 前は確か半月が描かれていた気がするが手の中の栞に月は描かれていない。

 さらに、前までは夜中の星空が描かれていたはずだが、手の中には小さな朝焼け前の景色が描かれている。

 さらには、「月を隠して」の続きの文字も読めるようになっていた。

 「月を隠して、夜明けを待つ。」

と書かれていた。多分。まだ少し読みにくいが多分そうだ。

 なにか詩とかだろうか?

 まあ、この風景画はこれはこれでとても好きな景色なのでオッケーと言うことにしておこう。

 そうだ。今度この栞で見た風景画も描いてみよう。

 そう思い立ってさっそくラフだけざっと描いた。

 寝る前に見直そうと思って栞を探したが、どこに置いたか忘れてしまった。

 仕方なく寝た。明日は大事な日だ。


 文化祭当日。

 楽しみなことがあるといつもよりも早く起きてしまう人間なのだと今日初めて知った。

 起きてカーテンを開けるとちょうど朝焼けに染まる街並みが目に飛び込んできた。

 眩しい、だが綺麗だ。

 この街もかつての様子とは随分と違うはずだ。

 そして、今俺が見ているこの景色もいつかは変わり、古くなってしまう。だけど、それでいい。だんだんと変わるものと俺の中の変わらないもの。

 その変わらないものがあるから変わったとしてもそこに何かを感じ取れる。

 朝ごはんを作って登校しよう。


 学校へはいつからか燈葉と一緒に行くようになった。

 「おはよう、未来くん」

 「おう、おはよう。」

「緊張するな・・・」

 「応援することしかできないけど、頑張って。」

 「うん…!しっかりと伝えないとね!」


 今日の学校の様子は一味違う。まずは校門がそれを覆うさらに大きな門で装飾されている。

 そして、校内のいたるところに生徒の作品が展示されていたり、作品のブースがあったりする。

 教室に着くとみんなに挨拶され、きちんと返す。

 今日の発表はいつのまにか知れ渡って少しばかり期待されていた。正直、期待には十二分に応えられるだろう。でもやはり緊張する。

 朝のHRで担任からこれまでの努力の労いなどを貰い、あとは各自が自分の今迄の成果に期待を込める。

この芸術学校の文化祭は世間からもかなり注目されていて、「未来の芸術家」を探しに来る人も大勢いるらしい。スカウトされてそのまま進路が決まるなんてこともあるようだ。

 だからこそこの文化祭に向けてみんな頑張っている。俺は正直スカウトのことなんか考えていなかった。ただ燈葉とこれを作り上げるのが楽しかった。それだけだ。そして文化祭はただの発表の機会としか考えていなかった。

 まあ結局、「楽しんだもん勝ち」ということで。

文化祭のオープニングセレモニーが校門付近で始まる。

俺と燈葉、そして演奏隊のみんなの出番はお昼ごろと夕方の二回なので、まずはこのセレモニーを楽しんで、みんなで校内を見て回ることになっている。

「練習大丈夫?」なんて野暮なことは聞かずに、今は今を楽しむ。


俺らの発表は発表ブースの真ん中ら辺で小さく行われる。

俺の絵五枚には全部布がかけられており、曲ごとに明かしていく方式だ。

そしてその絵の両脇に楽器隊の席が設けられている。

ますは俺が作品のコンセプト、経緯を簡単に話す。そして、俺の絵の一枚目にかけられた布を取る。

その瞬間、小さな、そして確かな賞賛があがる。それに続いて演奏が始まる。

一枚目は現在の自然と夜空の風景をベースに半月の画を描いた。

これには過去と未来の両立や移り変わりという思いを込めている。

そして、それに合わせた燈葉の曲はメジャーとマイナーを行き来する曲調でバイオリンとチェロのデュエット方式だ。

一曲五分ほどの曲。だがそこに俺の絵への思いと燈葉の思いが乗っている。


二枚目の画はかつてあった風景。

自然が活気に満ちている様子を様々な緑を用いて描いた。そしてその真ん中には自然を照らす大きな満月。

燈葉の曲もそれに合わせて明るい曲調になっている。今度は豪華に四人編成。燈葉はピアノでの演奏。曲は楽しそうに順調に進む。しかし、最後だけ少し暗くなり、音が全音符で数小節伸びて終わる。これは三枚目への伏線だ。


三枚目は未来の風景。

今あるものを残しつつ、こうあってほしい、ただどうしようもなくこうなるだろうという葛藤的な作品に仕上げた。

とはいえ夜空は前と変わらない。月はなく新月を現した。

そしてそれに合わせた曲はもちろん暗い入りになっている。編成は先ほどと同じで燈葉はピアノ。しかしさっきよりも控えめな音での参加だ。

終盤にはピアノが目立つような曲。


これらに続く四枚目。

これは再び戻って来て現代の風景を描いた。描かれている月は一般的に広く月として認知される弓張り月。少々ファンタジーのような色使いにし、緑を強く表現。

これには再び過去と未来を思うことをテーマに掲げた。

しかし、明るい、希望のある、夢のある方向へのシフトの思いを込めた。

曲は燈葉のピアノソロ。

一番長い曲で、様々な表現が出てくる曲になっていた。

最後の一音が鳴ると、俺も燈葉も、そして演奏隊のみんなも客も、涙を浮かべていた。

思いは違えど感情が動いた。

 そして、割れんばかりの大きな拍手が巻き起こった。

 基本的にこのブースはそういうことが起きないので、他のブースの人もこちらに注目した。

俺や燈葉、そして演奏隊のみんなと握手して、感想を言ってくれる人が大勢いて、名刺も何枚か貰った。

一回目の発表は大成功!

俺たちは一旦めちゃくちゃ喜んだ。だがまだ今日に一回、明日も二回発表がある。みんなで乗り越えよう!と鼓舞し合った。


そして文化祭一日目の二回目の発表。この回には父と妹と祖父母も見に来ていた。

そして燈葉の家族も来ているようだった。

俺はもちろん緊張したが、となりの燈葉は俺以上に緊張している。家族が来ているというのもあるだろうが、それよりも俺の家族が来ていて、その中にあの小説家がいるということに緊張している様子だった。

なんとかお互い落ち着かせていざ発表の時。


やることは先ほどと同じはずだが、演奏はその時の感情で変わることもある。一見するとさっきと同じ曲なのだが、俺にはわかる。燈葉は最高に楽しんでいる。

明るい時は微笑みも浮かべて快活に。悲しい時より重く。


こうして二回目も無事に終えることが出来た。一回目の噂があってか、人はさらに増えており、さっき以上の拍手を貰えた。


とりあえず一日目を乗り越えた。

家族からも大層褒められたし、なにより祖父から褒められたのが嬉しかった。

ちなみに燈葉は祖父にサインをもらっていた。

そして、帰り道でもみんなで今日の大成功を祝した。

しっかりと全員何かしらのスカウトや名詞を貰えたようだ。


 文化祭二日目。

 昨日の俺たちの成果を受けて、学校側が特別に小ホールの予定に僕らの発表を入れてくれた。なので、今日は昨日よりもさらに大きな発表になる。

 俺は絵の紹介をするだけなのでまだましな緊張だったが、演奏隊は俺以上の緊張で震えている。これは確かに俺が想像つかないぐらいの緊張だろうなと思う。


 だが、みんなこの緊張を乗り越えて演奏も一音のミスなしで成功させてくれた。

 最後の演奏の最後の一音、そしてその直後の余韻までに緊張が走っていたが、演奏者の顔が綻んだ瞬間、会場からはち切れんばかりのスタンディングオベーションを受け取る。

予定にはなかったが、みんなで手を繋いでお辞儀をした。


 こうして俺らの文化祭は大成功を収めた。

 その日の夜はみんな家族との時間を過ごし、俺も家に家族が来たので色んな、本当にいろんな言葉を貰った。

 そして明日みんなで俺の家を使って打ち上げを行うことを話すと、なんと妹がパーティー用にと色々と料理を作ってくれた。


 そして、次の日、俺の家でパーティーが行われた。

 妹が作った料理に加えてみんな飲みものやちょっとした揚げ物などを持ってきて、大成功の打ち上げが行われた。

 そして一通りみんなで何回目かわからない労いをし、少し落ち着いたころ、話を聞くとこの文化祭の発表によって大まかにみんなの進路が決まりそうだという。

 なんだかそれだけでこれをやった意味があったように思う。

 俺も個展の案内など色々と貰ったが、まだ考えはまとまらない。

 俺たちはまだ高校二年。一応あと一年あるわけだ。

 俺も文化祭を通じて思ったことがある。

 俺は、誰かに影響を与えるものを創りたい。描きたい。月本との共作はこれからも続けていくだろうけど、俺のこの「影響を与える」にはまだ満足していない。もっとちゃんと色々と学んで技術を磨きたい。そう強く思ったのだ。

 みんなに話すとみんな全力で応援してくれると言ってくれた。

 俺たちはまだ途中。これから先の方が大変なこともあるだろう。

 でも、確実に今回のこの結果でみんなに夜明けが訪れた。

 少なくとも俺には夜明けの希望の光を確実に感じた。


 後日、また河川敷で燈葉と二人で話す。

 「未来くん、本当にありがとう。」

 「いや、こっちこそ最高の曲をありがとう。」

 「あ、それもあるけど、私は未来くんに救われた気がして。」

 「ん?」

 「覚えてる?初めて絵を見せてくれた時のこと」

 「もちろん。」

 「ほんの数か月前のことだけど、あの日で確実に私の運命は別れた。もちろん、いい方向にね。」

 「そうかな?」

 「そうだよ。私あの時本当に音楽を辞めようとしていたんだもん。」

 「そうだったのか…。でもまあ、なんとなくそんな感じしたんだろうな、細かいことは覚えてねえや、」

 「私を明るい方向に導いてくれてありがとう。私を照らしてくれて、ありがとう。」

 「おう。」

 ここからまた俺たちは歩き出す。

 この先どうなるかなんてわからない。ただ、明確に変わらないものが俺の中にある、みんなの中にある。

 そして、それらはいつでも俺らの支えになり、見守ってくれている。

 月を見上げて星を想い、太陽に目を細めて微笑みを浮かべる。

 これからも前に進む。

 月を隠しても、月はちゃんと見えている。 

ぐんぐんどんどん成長していつか誰かに届く小説を書きたいです・・・! そのために頑張ります!