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僕たちは天使だった


鳥山明先生の訃報を受けて。



私は漫画家を志したこともなければ、自分の限界まで肉体を追い込んで鍛錬したこともない、戦闘力5にも満たない一般市民だ。

Dr.スランプはほとんど読んだことがないし、クロノ・トリガーをプレイしたこともないし、ドラクエは成人するまで触ったことがなかった。

そんな自分でも、一つだけは胸を張って断言できる。



ドラゴンボールがなかったら、私の人生はなかった。



先述の通り、影響されて何かを行動に移したわけではない。何かを作り上げたわけでもない。

ただ当たり前のように、30年余りの人生には常にドラゴンボールの存在があった。

もしこの作品がなかったら、それこそ「絵画がない世界」「宗教がない世界」のようなレベルで、私の人生はパラレルワールドになってしまっただろう。

これはただ、そんな「当たり前にあった」思い出を羅列していくだけの記事だ。

特に山もオチもなければ感動的な内容もないが、お暇な方はお付き合いいただければ幸いに思う。



出会い

一番古い記憶は魔人ブウ編のアニメで、ベジータが自爆する直前の回だったと思う。

旅行先のテレビで、帰ってきたウルトラマン(ジャック)と同作に登場する怪獣・ブラックキングのソフビで遊びながら見ていた記憶がある。人間は変なところばかり詳細に記憶しているものだ。


程なくして(詳細な時系列は覚えていないが)、父親から唐突に原作漫画版全巻が授けられた。

まとめて購入したというより、おそらく彼はずっと原作を追っていて、機は熟したと見るや息子に人生の教科書とさせるべくもたらしたのだろう。

それからはもう、一心不乱に漫画版を読み進めた。初期の海底編(ブルー将軍の存在感がすごかった)あたりの記憶が妙にはっきりしている。

あとたしか熱を出して寝込んでいたときに読んでいたせいか、ギニュー特戦隊のリクームがめちゃくちゃ強くて怖くて面白くて忘れられなくなった。

グルドを不意打ちとはいえ即死させたあのベジータが、全力を出したのにケツが破れるだけだったところの絶望感

終始ふざけてるのに異常に強いパワー系キャラという造形は、今でも作中ナンバーワンのインパクトだと思っている。旧アニメ版の声もピッタリだった。

一方その頃のアニメ版はというとゴテンクスが大活躍していて、歳が近いこともあり当然のように夢中になった。ピッコロさんは漫画だとまだマジュニアくらいだったのだが、アニメでは完全にいいおじさんポジションになっていた。

悪ブウが神殿で地球人類絶滅ビームを打つあたりの残虐さからの、ゴテンクスが超3になってクソデカ声出して精神と時の部屋脱出するところが大好きだった。未だに大声を出すときは思い出す。

とにかく寝ても覚めてもドラゴンボールだった孫を喜ばせるためだったのだろう、亡くなった祖父が「復活のフュージョン」の映画を観に連れて行ってくれた。時期が遅かったのか地元の映画館では上映しておらず、どこかは覚えていないが遠出して観に行った。持ち前の几帳面さで一生懸命調べてくれたのだと思う。

ゴジータはメチャクチャにカッコよかったのだが、それ以上に地獄から蘇ったフリーザを悟飯が腹パン一発で処分したシーンが忘れられない。ガシャポンのフィギュアはベクウ(フュージョンし失敗した姿)だった。

引き伸ばしは気にならなかったが、人生で初めてストーリー漫画に出会ったガキが自由時間全てを費やして読み進めるスピードは結構なもので、ベジットあたりで進行が追いついた記憶がある。

悟飯があんだけ引っ張っといてすぐに吸収されたやるせなさがすごかったからか、はたまたゴジータは映画の尺の都合で出番が短かったからか、インフレの極地としか言いようのない強さに不敵で尊大な態度を併せ持ったベジットには完全にやられた。世界一強いアメ玉を超える舐めプシーンは金輪際生まれないと思う。大好き。

フリーザ編と記憶を混同して、ついさっきまで「地球は壊せてもアメ玉一個は壊せないみたいだな」ってセリフがあったと勘違いしてた。なかった。

後年ベジットコピペなるものに出会い、自分で刃牙バージョン(最後は伝統派空手 栗木拓次で終わる)を作ったりした。

武術の神と言われる亀仙人より強い天津飯でも歯が立たないドラムを瞬殺した悟空が8年修行して、
同じ位の強さのピッコロさんと二人がかりでやっと倒した軽い気弾で山脈を消すラディッツと匹敵する戦闘力を持つ栽培マン
あっさり倒した天津飯・ピッコロ等が束になっても敵わないナッパを悠々倒した悟空の
2倍以上強いベジータがかなりパワーアップしても全く相手にならない強さのリクームを一撃で倒した悟空が
更にパワーアップしても、それを半分の力で殺せるフリーザをあっという間にバラバラにして消した未来のトランクスでさえ
仲間と束になっても敵わない人造人間1718号に匹敵する強さを持った神コロ様でも敵わない程に
生体エネルギーを吸って強くなったセルと互角の16号を大きく越える17号吸収態セルを子供扱い出来る
精神と時の部屋パワーアップ後のベジータと随分差がある悟空でも勝てない完全体セルを
一方的に痛めつけることが出来るブチ切れ悟飯をも越えたベジータが命を賭けても倒せなかった魔人ブウ
更に凶悪になったブウと互角以上の戦いをしたゴテンクスよりも強くなった悟飯でも全く歯が立たない
ゴテンクス&ピッコロ吸収ブウが更に悟飯を吸収して強化しても全く歯が立たないベジット

ベジットコピペ

まずい、まだ小学校にも入ってないのに2000字を超えてしまった。

たしかアニメ完結直後あたりの時系列だったと思うのだが、Z最終作となるヒルデガーンの映画(「龍拳爆発!俺がやらねば誰がやる」)も当たり前のように観に行った。今は眉がないのが気になってしまうが、当時は真っ当に超3悟空が一番好きだった。でも龍拳ってなんだろうとは思った。


「Z」が完結した後もアニメはシームレスに「GT」に入ったため、いわゆるロス状態にはならずドラゴンボール漬けの生活は続いた。

とかく展開が批判されるGTだが、当時の自分は何も気にすることなくエンジョイしていたと思う。超サイヤ人4が出てきたときなど、興奮してすぐさま友達に電話をかけた記憶がある。でもそのあとの展開は部分的な記憶しかない。子供の記憶とはとかく残酷なものだ。




DBゲーの進化

GTが完結すると、さすがにリアルタイムのコンテンツ供給が落ち着いたこともあって第一次ドラゴンボール熱も次第に収まっていく。

この頃の自分はというと、初めて買い与えられた家庭用ゲーム機のプレステに夢中になり、しかもいきなりロックマンとかに手を出してしまったがため、本格的に後戻りできない道に踏み込んでいく。

ちなみに一番最初に買ってもらったゲームソフトも「ドラゴンボールZ アルティメットバトル22」だった。(「ウルトラマンゼアス」も一緒に買ってもらった) ボタン連打以外ろくにコマンドも出せなかったし(せいぜい波動拳と同じ入力のかめはめ波まで)、お世辞にもゲーム性があるとは言えなかったけれど、初めてとはすごいもので割と必死になって遊んでいた。

隠しコマンドで超3とか亀仙人が出たらしいのだけどそんなことは見ず知らず、絶妙なチョイスだなーと思いながらザーボンだのリクームだのでバトっていた気がする。善悪ブウはいるけど純ブウはいるとか、超2悟飯はいるけどU悟飯はいないとか、そういう不思議なゲームだった。

有名な「超武闘伝」を持っていた友達はうらやましかったが、家にはスーファミがなかったこともあり、PSのDBゲーはこれともう一本「ファイナルバウト」をしばらく後になって中古で買ったくらいだった。

GTキャラが少し増えた作品で、こちらもそう褒められた出来ではなかった……のだが、影山ヒロノブによる主題歌+OPアニメが豪華で嬉しかった。前述の22のディスクを入れるとキャラが増えたりしたような気がする。



時は少し流れ、念願のPS2を手に入れてから程なくして「Z」の新作ゲーが発売された。サイヤ人襲来〜セル編までのストーリーをゲーム化した作品で、ホイポイカプセルをモチーフにしたアイテムで個別にスキルをセットしてキャラをカスタムできたり、敵サイドのIFストーリーを遊べたりした。

ボリューム不足だったりコマンドが難しかったりまともに技セットしたらカスタマイズの余地が全然なくなったり心臓病が強すぎたり(相手と自分のHPが開戦から自動で減り続ける、自分だけワクチンを付けられる)と難点を上げればキリがなかったけれど、それでもかなり遊んだ。IFでセルがクリリンを吸収して弱体化してしまったところにヤムチャが襲ってくるという話(セルゲーム開催まで暇だったセルが見た夢オチ)があったりして笑った。



というわけでこの辺りの時期、公式のヤムチャ擦りが妙にヒートアップする。当の自分も時を同じくして本格的にインターネットキッズになったため、DBネタスレを探したりしていた。

ドラえもんの世界にヤムチャとフリーザがやってくる二次創作が特に大好きで、高重力の部屋を作ってもらって修行するヤムチャがカッコよかった。かなりクオリティ高かったんだけどまだ読めるところあるのかなー……。



PS2のDBZ2作目も程なくして発売。今度はブウ編までカバーされており、ストーリーが謎にボードゲーム風だったり例によってカスタマイズ制に難があったりセルがバグ技で時間を止められたりしたものの、帰ってきた影山ヒロノブ兄貴のオリジナルOP「くすぶるheartに火をつけろ!」がメチャクチャカッコよかったり、今に至るまでのアニメ絵風3DCG表現「トゥーンシェイディング」の導入など、意欲は感じられる作品だった。

そして何より、前作でその萌芽を見せていたIF展開は今作で一つの極みに達し、このキャラを生み出すに至る。



ヤムチャと天津飯がフュージョンして、ヤム飯。

必殺技は「どどはめ波」と「狼牙排球拳」。

悪夢か?



ということで、ヤム飯という奇策中の奇策その一点において「DBZ2」は忘れられないゲームとなったのだった。

ちなみに私は未プレイなのだが、このPS2でのDBZシリーズは3部作であり、次の「Z3」がシリーズ最高傑作として名高い。超4といったGTキャラに加えてブロリーなどの一部劇場版ボスまで収録されている上に、原作アニメともに名物だった敵の背後に瞬時に回るアレ、いわゆる「ピシュン」がアクションとして再現できるということで、カッコ良さとゲーム性が一気に高まったのがその理由だったようだ。

しかし私はというと、同時期に発売されたモンスターハンターに人生を完全に狂わされたこともあり、Zゲーからは2を最後に一時離れることとなった。



メテオの衝撃

その間も、名機PS2のスペックをフルに活かしたサイバーコネクトツーのゲーム開発は続き、時は流れて2007年。

ついにあの作品が発売された。



ドラゴンボールZ Sparking! METEOR。


スト2ライクな横視点の格ゲーから、フィールドの広さを活かして縦横無尽に戦えるスタイルへと進化を遂げた「スパーキング」シリーズの3作目だ。

このゲームを一言で表すならば、


「究極のキャラゲー」。


それ以外に言葉は見つからない。

数えきれないほど存在する歴代のドラゴンボールキャラのうち、格闘能力があってファンが使いたいと思うやつはだいたい出てきて使える。こいつ誰が使うんだよってやつもたくさん出てくる。

一例を挙げるとアックマンとかベジータ王とかナムが使える。

ナム。

天空×(ペケ)字拳のナムだ。

正気か?

ベジータ王とか戦闘シーンないだろ。

アックマンに至っては邪悪な心を増幅して相手を爆発させる必殺技・アクマイト光線を武器に、地球にやってきたフリーザ親子を撃退するIFストーリーがあったり、邪悪龍の超一星龍に撃ち込んだらちゃんと最大ダメージ(HPゲージ4本分くらい)が出たりと異様に優遇されていた。ちなみに子供悟空や悟天は悪の心がないんでノーダメだぞ。

その他にもアプールとかハッチャンとかアラレちゃんとか孫悟飯じいちゃんとか、だいたい普通のファンが思いつくやつは使用可能だ。あとは大人チチとランチさんあたりがいれば完璧だ。

対戦格闘ゲームとしてのバランスはお世辞にもいいとは言えないが、そこはご愛嬌だろう。桃白白がブロリーと同じスペックだったら困るじゃん?

ピシュンやドゴンと呼ばれる防御・回避技も豊富にあり、とにかく死ぬほどたくさんキャラが使えて簡単操作でアニメっぽい動きができて影山兄貴の歌をバックに必殺技が出せる!というゲームだった。

ちなみにキャラはそれぞれチームに編成するコストが設定されており、超4みたいな強キャラは高コストのため、ある程度バランスを取れるようになっていた。

それを活かして、当時一世を風靡し始めていたニコニコ動画でもCPU操作での大会が開催されたのだが、優勝チームはブロリー(クソ強+スーパーアーマー)、アラレちゃん(低コストなのにスーパーアーマー)、ヤジロベー(仙豆を食って体力を全快できる)という編成で、あまりにも強すぎたため顰蹙を買っていた。

このようにとにかく話題に事欠かないゲームで、お祭りゲーとしては大成功と言っていい出来だったと思う。


私はPS3以降すっかりDBゲーから離れてしまったが、なんとこの度「スパーキング」シリーズの新作が開発中であるとのニュースが舞い込んできた。

楽しみすぎる絶対買う。是非とも今度はチャパ王を操作キャラに収録してほしい。





ワクワクを100倍にして

メテオの話で随分長くなってしまった。

その後の私はというと、大学に進学した後は新作ゲームを買うこともなく、アニメ「改」を熱心に追うこともなく…………ようやくDB熱は完全に沈静化した。


と、いうわけでもなかった。


金も時間も魅力もない男どもにとっての大学時代の最大の娯楽。

カラオケ。

その場において、ドラゴンボールはまたしても最強のカードであった。


というかもっと分かりやすく言うと、俺がWE GOTTA POWER好きすぎた。

まさか30年間同じ曲をtier1で歌い続けるとは、幼稚園時代には思ってもみなかった。

あれを超える爽快感の曲は世界広しといえどそうそうない。


一生ものの酒飲み&アニソンカラオケ仲間に恵まれたこともあり、この時期も居酒屋での話のネタとして、そしてカラオケの十八番として、ドラゴンボールは常にそばにあり続けた。

一時期「ピッコロ大魔王」という不名誉なあだ名を授かったこともあるが、その詳細については私自身の名誉のために伏せることをご了承願う。




「超」とブロリー事件

大学を卒業する頃、シリーズにも大きな動きがあった。

完全新規ストーリーの映画が始動したのだ。

神と神」から「」のテレビアニメへと続く展開のスタートである。

簡単にまとめると、劇場版4作品への個人的な感想は以下の通り。

神と神……あんまり乗れなかった

復活のF……ドラゴンボールでギニュー特戦隊を復活させたらよかったと思う

ブロリー……DB映画史上最高の大傑作

スーパーヒーロー…….セルの扱いが勿体なくて、せっかく若本呼んだなら核から再生してパーフェクトセルマックスになってちゃんと喋ってほしかった。あと魔貫光殺砲じゃなくて魔閃光だと思う。


というわけで、今はブロリーが過去作を含めてもダントツのマイベスト劇場版に君臨している。

戦いしか知らない生き物だったブロリーを描くために、中盤以降完全にバトルシーンだけに特化するという振り切った作りは見事の一言。DBの歴史が詰まった、懐かしくも新鮮な描写の連続には飽きることがなく、素晴らしかった。



素晴らしかった、のだが……

この映画は同時に、私の人生のワースト劇場体験を更新してくれた呪わしき作品でもあった。

ベストにしてワースト、そんなことが有り得るのか…………

有り得るのだ。

ネタバレを徹底して避けつつも、公開から鑑賞までに少し間が空いてしまった私が劇場で席に着くと、程なくしてスクリーンには「大ヒット御礼特別予告編!」というテロップと共に映像が流れ始めた。



次の瞬間、そこには大画面いっぱいに暴れ回る超サイヤ人ブルーゴジータの姿が!!


ふざけんなよ!!!!

一番おいしい目玉のサプライズ要素じゃねえか!!!!


しかも俺は、復活のフュージョンのボスがブロリー予定されてた説とかも思い出して、今回こそブロリーvsゴジータ来るんじゃないかってマジで予想してたんだぞ!!



もうゆるさないぞ おまえたち…………(SS2悟飯)



あの時ばかりは本当に、怒りとやるせなさに天を仰いだ。

そんな、あらゆる意味で忘れられない映画が「ブロリー」であった。



復活の王子

私は劇場版こそ見たものの「超」本編を見ていないので、そちらへの言及ができないことはご容赦いただきたい。

ただ最後に、近年の展開で最も印象的な点を挙げようと思う。

それは、ベジータの復権だ。


ナメック星以降ずっと、ブウ編に至るまでは実力的には悟空に大きく水をあけられていたベジータだったが、近年は悟空と並んでもほぼ遜色がない、実質同格と言えるほどに強くなっているようだ。

悟空の(一部ミーム化してもいたような)ドライさとの対比としての「夫」「父親」としてのベジータが「神と神」などでもフォーカスされたことで、そのキャラ造詣が改めて好感を得ることになったことも大きいだろう。

そしてついに「スーパーヒーロー」のラストでは、わずかな出番ながら「ついにカカロットに勝ったぞ!!」と歓喜の雄叫びを上げるに至った。

過去からベジータを見てきた私にとって、これはとんでもないことだ。

リクームに絶望させられ、フリーザに涙し、セルに「笑えよベジータ」と煽られ、劇場版でも損な役回りが多かったベジータ。

がんばれカカロット、お前がナンバーワンだ」という宣言をしながらも、しかしなお諦めなかった誇り高き王子は、令和の世についに完全な復権を果たしたのである。

(余談だが、当時の純粋ブウとの戦力差はマジでヤバかったと思う。本当によく頑張った)


すげーよ、ベジータ。

これはもう、次の劇場版で「ドラゴンボール超 天下一武道会」をやってもらって、決勝で悟空とベジータが初対戦時と同じ構えを取って、ぶつかり合ったところでチャラヘッチャラ流してもらって、それでシリーズ完結でいいんじゃないだろうか。

そんな妄想をしていたのだが、なんと新アニメシリーズ「ダイマ」が発表されましたとさ。





30年余りにわたる、私とドラゴンボールの思い出は以上の通りだ。

深い考察でもなければ、感傷的なエピソードというわけでもない。

ただ思い出したことを書いただけだ。

それでも、気がつけば7000字を軽く超えてしまった。

もはや、ドラゴンボールという作品は私にとって日常の一部であり、「前提」なのだ。

音楽が存在しない世界や、文字が存在しない世界を想像できないのと同じ。

ドラゴンボールは、私の世界に「あって当たり前」だった。



私は漫画家を志しもしなかったし、身体を鍛えて格闘家になろうともしなかった。

きっと世界中には、ドラゴンボールとの出会いでもっとずっと熱くドラマチックなストーリーを歩むことになった少年少女たちが、たくさんいるのだろう。

そうしたヒーローたちとは、私など比較にもならない。



けれど一つだけ、確かに同じことがあった。



たとえるならそれはきっと、羽だったのだと思う。

怒涛のストーリーに熱狂し、果てしなくインフレしていくバトルに夢中になり。

かめはめ波を真似して、舞空術で空を飛ぶのを夢見た。



ドラゴンボールにもらった、想像力の羽。

それがあれば、自分も強く、自由になって、羽ばたいて生きていけるような気がしていた。



あのころ確かに、僕たちは天使だった。




ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

鳥山明先生の御冥福を今一度心よりお祈りいたしまして、本稿の締めくくりに代えさせていただきます。










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