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いのちのなかとそと〜グラヴィス帯ゲーションのはじまり③〜



グラヴィス帯ゲーションでは、感覚が大切。
とお伝えしている。

ところが感覚は人により、また時間や場所に
よっても変わるものであり意識的に感覚を
伝えるのは難しい。

しかし我が身に起きた無意識から意識への逆流、
そこに起こった「しあわせ」の感覚以外に
自己調整を伝える術はない。

その迷路への鍵?をわたしは幸運にも見つける
ことができた。
この発見なくして感覚の大切さをお伝えする
ことはできなかったと思っている。

専門的でなく、それこそ感覚的にいうならば
感覚とはなんだろう?

わたしなりの感覚でお伝えすれば、意識と
無意識のあいだの流れであり、それは人によって
幅も深さも流れも違う。

ただ共通しているのは水のように止めどない流れ
であり、水なくしていのちがあり得ないように感覚
なくして身体のバランスや心の乾きや変転極まり
ない世の濁流に呑みこまれぬ術はない。


人の感覚は決して見えないが見える身体より身近に
水のごとく、わたしたちに寄り添ってきた。
いつの世にも音楽や芸術が生まれる拠りどころも
またそこにある。


その幸運の発見は、旅先のベッドの上で起きた。
全国を東奔西走する日々で、ほとんどが外食。

これだけでもヤバイのだが、 治療家として目の前
の人と真剣に向き合う終わりのない世界では、
やればやるほどストレスが溜まりイタチごっこの
毎日が続いていた...。

「右手が軽い...右肩までも疲れが抜けている...」
その気持ちよさになんとなく目が覚めた。

それまで日常的に全身の疲れを感じ、
内心誰かに治療してもらいたいと願っていたが、
なまじ治療の世界を知っているだけに 目に叶う
人は現れなかった。


そんな真夜中、なんとなく目覚め半覚醒状態のまま
ベッドの上で、上下180度サカサマに寝てみた。
今度は左手をベッドからはみ出すようにした。
するとどうだ。
左手も軽くなり、さらに左肩も疲れが抜けている。

こうなると、俄然本気モードのスイッチが入り、
左足、右足、と交互にベッドから少し落として
みた。
これもいい!では右半身はどうする?左半身は?
もう眠ってなんかいられない。
枕元にノートを置いてこの一連の不思議を
記録した。

「なんだ!このスッキリした身体感覚は?
しかも超気持ちイイ!」
この感動を伝えたくて早朝の街に飛び出し
「見つけたぞ!」と大声で叫びたい衝動を抑えつつ、
久々に公園を気持ちよく駆けていた。


この経験は、脳梗塞様で倒れる一年ほど前の
出来事だが、本来わたしは治療家を目指した
訳でなく、自己調整法を見つけたくて身体に
関わることになったのだが、いつからか周りには
不調を抱える人が増え、また評判も伝わり治療家
と見られていた。

違和感を覚えながらも期待に応えようと
すればするほど道は狭くなっていく。
壁を越えようと高名な武道家や治療家の門も叩き、
師事を仰いだ。

しかし、わたしの望む自己調整法はいくら探せども
「この世にはない!」と結論づけるしかなかった。
そんな矢先の突然の発見である。

「自己調整法はある!」
再びその夢が叶う予感に勇気が湧いた。
「いや、なければ創ればいい!」と強気にもなれた。
「しあわせ」だった。


話が横道に逸れたが、今にして思えば倒れる以前に
無意識から意識へのメッセージは届いていたと
言わざるを得ない。

それは間違いなく、眠っている(無意識)から起きて
いる(意識)のあいだの意識の介入しづらい
『半覚醒状態』で身体の重さや疲労感の抜けが
感じられた。

後に、この「しあわせ」の感覚の入口を序(じょ)
と名付けた。
ではどうすれば、この序のモードに入れるのか?
脳梗塞様の不調が残る身体で試行錯誤を
繰り返した...。


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