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いのちのなかとそと〜グラヴィス帯ゲーションのはじまり②〜

何日過ぎたのか、どれくらい眠りに落ちていたか
定かではないが、 何故か眠る度に幸福感?が満ちて
いくのをはっきり感じていた。

この体験で身体からのさまざまなメッセージを聴く
ことができたと思う。

もちろん、倒れてすぐそう感じたのではなく、
動かなかったところが徐々に動きを取り戻し、
日に日に力が漲り、それが全身に広がっていくのと
相まってはっきり感じ取れるようになっていった。

しかしその時、わたしはただ眠ることしか
していない。

医者に罹るでもなく薬に頼るでもなく、
まして入院しているでもない。

身体は深い眠りを求めただけだ。

その求めに応じた時(応ずるしかないのだが)身体は
不思議に幸福感に満たされ、これほど心地よさを
覚えたことはない。

目覚め(意識)の世界と眠り(無意識)の世界の往復旅で
身体は見事に自己調整を行っている。

自分の身体に起こる不思議な世界の感覚を楽しみ
ながら、こんな経験は二度とない!と、このチャンス?
を喜んだが、三年後に二度目の麻痺が今度は左半身
に起きた。
笑えない事実である。

しかし二度目の回復の鍵も、
この往復旅にあったと云える。


意識(目覚め)と無意識(眠り)は誰にでもある
日常の出来事だ。
しかしこの時、特別なことが我が身に起こったと
思っている。

まず感じたのは、目覚めの心地よさと眠りへの
安心感である。
身体の不自由さとは裏腹に目覚めと眠りの 往復旅は
この上ない「しあわせ」を感じていた。

なぜこの時に「しあわせ」を感じたのだろうか?

それはストレスの解放が挙げられると思う。
倒れる前の生活を振り返ると、ひたすら目標へ
前のめりで闘う、一進一退の日々。
休む、楽しむ、余裕のある日常生活からはほど遠く。

その生き方を “是 “とし自分にも他人にも
強いてきた。
ところがその道に待ち受けていたのは半身麻痺
という現実。

電気、ガス、水道を止められては日常生活が
できないように、 いのちが身体の主要回路に
「これ ではだめ!」と NO !を突きつけ、
わたしの日常生活を止めた。


意識から無意識への流れではなく
無意識から意識への逆流が起こった。

それをキッカケに体内に棲むウィルスや微生物への
過度の刺激も霧散し、 細胞・組織・循環器・
呼吸器・神経・筋肉・筋膜と体内で起こっていた
多層的な重力バランスの乱れがやがて自然に
整っていったと考えられる。

これがストレスの解放であり、こうした無意識
レベルの出来事を意識レベルで感じ取っていく
ことが自己調整の淵源「しあわせ」の感覚そのものなのだ。


いのちの往復旅はわたしの体内にも重力バランスが
大きく影響していることを伝え、 意識に大きな変革をもたらしてくれた。

我が身に起こった無意識から意識への逆流、
いわば自己調整の感覚をどうやって日常生活に取り入れるか・・・
これがわたしの大きなテーマとなった。

まだ身体に不自由さを抱えつつも、 日常生活の中で
見つけていくしかない。と決めていた。


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