いのちのなかとそと〜グラヴィス帯ゲーションのはじまり①〜
この文章は、グラヴィス帯ゲーションのメソッド本
『いのちのなかとそと』の解説文として執筆された
ものを「グラヴィス帯ゲーションのはじまり」
としてブログ用に再構成したものです。
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グラヴィス帯ゲーションは、
身体と環境の関係性を新しい視点から捉える
ことを提案している。
これは、自身の体験と身体感覚の複合から
きたものである。
ネーミングから分かるように、今日のわたしたちの
身体は、ミクロの世界からマクロの世界に至るまで
多層的な重力(グラヴィティ ) による環境変化と身体
の進化を余儀なくされてきた。
それはいうまでもなく常に現在進行形であり、
この重力対応こそが、健康な生活を送る上で最も
重要な役割を担うものと感じている。
身体と重力の関係と聞いて、ほとんどの方が?と
思われることだろう。
まずは身近に起きたことからお話しを進めて
いきたい。
私ごとだが、これまでに二度、※脳梗塞様で倒れた。
最初が右半身の麻痺、三年後に左半身の麻痺に
襲われた。
いずれも病院も投薬も入院もなしで、後遺症に
悩まされることなく平常な今日に至っている。
※脳梗塞様(医者の診断がないので様とした。
症状は脳梗塞とほぼ同じようだ。)
この二度の体験後に最初はグラヴィス帯(おび)が
生まれ、 二度目で帯ゲーションという身体の
調整方法の発見と確立があった。
私にとってこの一連の体験は、結果として帯と
調整方法の発見でめでたしなのだが、
この二度の身体に起きたバランスの崩れからくる
不調は、もちろん心身両面に大きな衝撃を与えた。
最初の時は、どうやら右半身が麻痺して
動かない・・・と感じつつも、同時に猛烈な
睡魔に襲われ何度も深い眠りに落ちた。
眠りから覚めた最初の身体の状態を
お話しすると、意識はあるものの頭がボーッと
して、思考と感覚が一致しない。
周りの様子は分かるのだが、距離感が掴めない。
世話をする娘に話しかけようとするのだが、
発語が儘ならない。単語にすらならないのだ。
「あ~っ、う~っ」を繰り返すだけだ。
なぜか頭は妙にクリアな空間が広がり、無理に
喋ろうとすると睡魔に襲われる。
言葉が儘ならない、思考と感覚が繋がらない。
これには正直焦った。
もはやただ眠るしかなかった。
眠りから覚め意識がハッキリしても右半身に
力が入らない。
右手はピクリとも動かない。
右足は鉛のように重い。
トイレに立とうとしても立ち上がれない。
左半身を下に身体を引きずるしかない。
トイレにたどり着いても立てない。
ドアノブと壁をうまく使って身体を押しつける様に
しながら、なんとか便器に座り込み用を足した。
(最初は介助を擁した。)
ようやく布団の上に左膝を立て、バランスを取り
ながら携帯を枕の上に置き左手でメールを
打とうとするのだが肝心の言葉が出てこない。
感覚的にはなんとなく分かるのだが、何度トライ
しても... 頭の中のイメージが文字になって
出てこない。
さらには携帯の操作方法が思い出せない。
見えない檻の中にいるようで、目の前の現実が遥か
遠くにあるように感じられた。
最初はもどかしく焦りを感じたが、まだ動くところ
があることに少し安堵も覚えつつ、 そうこうする
内に烈しい睡魔に襲われ、深い眠りに落ちていた。
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