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いのちの約束

いのちとは
「生きるための智慧と力」である。

それは、見えない、触れられない、
匂わない、味わえない、聴こえない、
しかし確かに五感に感ずるものであり、
あなたも周りの生きものも、
いのちを感じながら繋がっているものである。

このいのちによって
私たちは生かされているのだが、
その存在の謎を明らかにした人はまだいない。
その働きの一部を機械的に再現したり、
データとして見ることや聴くこと、
又は直接触れることで感じることはできても、
いのちそのものの意味を解明したり、
働きを再現することは出来ないのである。

いのちはどうして現れどうして消えていくのか、
人類の誕生から今日に至るまで、
この最も基本的な謎は誰人も
解くことができないまま今日に至っている。

 

しかし、いま私たちは、
これまでに経験したことのないような、
いのちの危機に直面している。
それはパンデミックに始まり、
地震、津波、竜巻、寒波、旱魃かんばつ
戦争、紛争、内紛、病気
あらゆる困難がいのちを奪い続けている。

もはや地球上に棲む誰人も、
どんないのちも逃れられない
切実な問題となっている。
私たちは、このいのちの神秘を知らないまま
死んでいくのであろうか。

いのちは宗教やあらゆる学問で取り上げられ、
それぞれで表現されている。
しかしいずれも信者や専門家の一部の人が
信ずるものに過ぎないでいる。
又、民族間の争いの元が、
いのちの捉え方の違いから生まれているのも
否めないものとなっている。

このいのちの問題を、
人間中心の環境問題と捉えた場合に矛盾が生まれ、
それを経済活動で辻褄を合わせようと
必至にもがいているように見えるのは、
いのちのことを知らない人間の
無謀な振る舞いが返って、いのちという
「生きるための智慧と力」を失わせる
結果を招いているのではないだろうか。

 

「足るを知るものは富む」
という言葉がある。
これまで人間は
「未だ足りず富を知らず」で
常にこれと正反対の欲望の追求に
ひたすら邁進してきた。

本当の富とは、いうまでもなく
「いのち」であろう。
又それはまだ人間が解明できることのない
次元のものであり、もし解明を許すなら
瞬く間にいのちの絶滅がなされ、
地球は元より宇宙までも破滅を迎えるのは
自明だと思われるのだが・・・。
いのちのすべてが明らかになった時こそ、
すべてのいのちが終わることになりかねない。

科学は確かに人間生活を一変させた。
膨大な情報は、いつでも、誰でも、
どこでも、容易く、
手にすることが出来るようになった。

こうした科学の発達により、
いのちの謎が解けると思われたが、
それはますます深く果てしないと
言わざるを得ない。
宇宙にあるという
未知のものとの重なりを見るようでもある。

宇宙には未知の物質とエネルギーがあり、
私たちが知る物質(原子)は
全体の僅か5%に過ぎないとの
ショッキングな研究が報告されている。
それは宇宙の遥か彼方のことでなく、
私たちが棲む地球もまた、
解らない未知のもので覆われている
ということに他ならない。

何故、今になって
このような発見がなされるのだろうか。

ようやく私たちは、いのちのヴェールの前に
立っているのではないだろうか。
いかなる宗教も学問も国家も個人も
『自らの未知の物質とエネルギーが
宇宙のそれと繋がってる。』
と確知するより、
難問を解く術は見えてこないだろう。

それが「足るを知る者は富む」
の真意に思えてならない。
知らないいのちのことをいのちに聴く。
誰かがあなたにそれを伝える訳ではない。
それぞれのいのちから届く
「生きるための智慧と力」
をそれぞれ感じとるより他に方法はない。
またそれがいのちの約束なのかもしれない。
                                 

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