社員をやめるまで その3 酒屋編-2

前回の続きです。

接客が楽しくなくなったことと、販売企画のアイデアを出すことができない自分に対する絶望。

上司に退職を申し出て、上記のようなことを話すと、判断が早いよ、マジメすぎるでしょ。と言われた。

確かに、もう3年くらい働けば、お店のイベント企画くらいは簡単にできるようになるかもしれない、とは思った。
適性がなくても、続けていればできるようになる、ということは、この3年間で、自分自身が確かに実感できたことだったから。

でも、身体と精神が限界だった。
情熱を失ったまま、今の仕事を続けることは自分には無理だと伝えた。

すると上司は、店舗で働くのは無理なら、他の部門で仕事をするのはどう?と打診してくれた。

会社に貢献している、という実感がほぼなかったため、店舗で働くの無理です!と言ったら、じゃあしょうがないね…と言われて終わると思っていた。
だから正直なところ、それは自分にとっては考えもしなかった提案だった。

その言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのは、コロナ禍で店がヒマだった時に、会社のECサイトのお手伝いをした時のことだった。

緊急事態宣言下でお酒の提供ができないなか、企画出しもできず、ただ出勤して給料をもらっているだけの自分に耐えられず、
昔Webやってたんで何か手伝えることあれば、と会社に打診したことがあった。

その時の作業自体は大したものではなくて、事務作業用のPCを借りてメモ帳でCSSを書き、ブラウザチェックして本番に実装するレベルの仕事だった。

プライベートではWordPressをいじっては挫折し、を何度か繰り返していたので完全にWebから離れていたわけではなかった。

ただ、本当に久しぶりに、
コーディングが好きだっただけの学生時代のように、
メモ帳で、コードを書いて。

素直に、ああ、楽しいな、と思ったのだ。

Web屋を辞めてだいぶ長い時間が経っていたが、そのレベルの知識でも役に立てるのか、と思った。

それは、この会社に勤めてほとんど感じてこなかった、久しぶりの感覚だった。

シフト制の仕事では、自分が休みの日でもお店は動く。自分が休みの日に他のスタッフが困らないよう、状況を共有しておく必要がある。
ソロプレイより、チームプレイが重要になる。

誰に強制されたわけではないけれど、
自分ではなくとも、仕事が回るようにすることが大事だと思っていた。
「自分しかできないこと」よりも、「みんなができること」をするようになっていた。

でも。
心の奥に、何か引っかかる気持ちがずっとあった。

どう表現するのがいいのかわからなくて、誰にも伝えられなかったけれど。

『私』はたぶん、ずっと、
誰かの役に立ちたかったんだと思う。

役に立ったらサポートしていただけるととってもうれしいです。