小説・鯨の悲しみが止まらない(序章)
序章
霊魂になった私を背中に乗せて、イヌワシは舞い上がった。広大無辺の宇宙を切り裂くように飛ぶ力と速さは、何者にも負けないという気概を感じさせる。そんな私の心を見透かしたようにワシは呟いた。
「疲れを知らない翼の天使、ペガサスを追い越すにはいま少し努力いたさねばな」
ワシ座の首星、アルタイルに住み、アンデス山脈のもっとも近づきがたい岩場で翼を休め、天上天下に爛々と目配りし、天の声を授かれば、すぐさま任務を成し遂げる誇り高いワシの羽ばたきが、一段と頼もしくなった。
「あれが地球と称する星だが、青く広がる場所におヌシは住んでいた。あの広さから見て水球といったほうが当たっているのだが」
猛々しい鳥獣の中で最強の支配力と、飛翔力を天に見出され、古代からお使い番の筆頭に任命されてきただけに、天と地の在りようを知り尽くしているようだ。
「あの毒々しい赤い星が、浮気なオリオンを刺し殺したサソリの目だぞ。おお、そうか、地上の生き物を見たことのないおヌシに、こんな話は理解できぬな」
巨翼を焦がさないように太陽に一定の距離を置きながら、宇宙に浮かぶ球体やおびただしい星の集落について、時には味な話も交えて説明してくれるワシの親切心に感謝だ。
六千万年前、どんないざこざがあったのか知るよしもないが、鯨の始祖は陸上から海中へ引っ越して暮らすようになった。われわれ遠い子孫の時代に至っても、陸地での習慣はなかなか改まらず、海面から顔を突き出して星を眺め、己の居場所を確かめる癖が今も出る。鯨がそこそこ天体の動きを知っているのは、ご先祖の賜物なのだ。
憧れの星座を探すのに常日ごろ目安にしていた星がぐんぐん接近して来た。
「地球上では、あれを北極星と称しているぞ。おヌシが行きたい鯨座はもう目の前だ」
ワシはそう言って間もなく翼を畳みはじめた。
「おいおい、いつまでしがみついている気だ。早く降りないか」
それぞれに天の区画を確保している星座に見惚れていた私を軽く揺すった。海洋仲間の知恵のある者は死後、天の海を漂いたいと願っており、鯨座、イルカ座、魚座はそのためにあるのだと勝手に思い込んでいる。だが、星座に魂の平安を託す気なら、それなりに思慮深い行いが大切というものだ。
「おヌシはどんな善行を積んだのだ?差し出がましいが教えてくれないか」
じっくり始めから終わりまでを聴こうかと言わんばかりに、ワシは姿勢を楽にした、
天上に来てまで、己れの過去を吹聴するのは気が進まないが、だからと言って、はるばる運んで貰ったのに素っ気ない態度もできまい。
「ことさらお聞かせするほどの良い行いをしてきたわけではないが、それでも話せとおっしゃるのであれば、私の来し方をかいつまんで語りましょうか。天かける賢者よ、お笑いくださいますな」
続く
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