小説・鯨の悲しみが止まらない(第2章)

座礁死で告発

大会議での報告や議論は出尽くした。そのまとめは難しかったが、フィンの協力を得て次のような骨子に落ち着いた。
 人類が繁栄を追い求めるのはもっともなことだ。しかし、そこから発生する毒物が海を汚し、鯨を始めとする海洋生物を絶望に追い詰めることだけは耐えがたい。この気持ちを、われわれは座礁死によって人間に訴える。座礁を多発させることで、人間の関心を引きつけ、海の浄化につなげるのだ。
私は上出来な鯨の宣言だとも思ったが、肝心なかめの点で、大論争になってしまった。
「座礁死を多発させるということは、自殺行為を奨励し、強制するということではないか。そんな蛮勇は、平和と友愛を尊ぶ鯨社会になじまない」
反対派の一途な理責めに対して、賛成派の反発も厳しい。
「子孫が滅んでしまえば平和も友愛もない。言い古された社会正義を振り回しても問題解決にはならないぞ」
 堂々巡りに陥った会議の収束を図るために、私は発言を求めた。
 「大型、小型を問わず、われわれ鯨は昔から人間とのかかわりが多い。大は飾り気のない落ち着きで、小は素早くて賢いという魅力で、人間の好奇心を親近感に変えてきた。悪い人間ばかりではないはずだ。海洋に住む命あるすべてを救うために、また、子孫維持のために、われわれが犠牲を払えば、きっと真意をわかってくれよう。座礁死はつらい。しかし、海の王者が果たすべき気高い行為なのです」
 これで賛否両論の調和が促され、宣言は成立した。
 さて、散会という段にきて、いつの間に紛れ込んだのか、一頭のマッコウが脅しをかけるような大音声で、帰りを急ぐ出席者たちを足止めした。
 
「私は偶然にこの集会を目撃し、決議を耳にしたが、座礁死をもって海洋汚染に抗議するといっても、自殺志願者の確保は難儀なことでありましょうぞ。仮に死を恐れない勇者が現れたとしましょう。でも、人間が座礁死を抗議と受け止めてくれるでしょうか」
 なんだ、あいつ、言い掛かりをつける気なのか。とんでもない差し出口だ。
 「さいわい、関心を抱いた人間が鯨の遺体を入念に調べて、死因は海洋の汚染にあると判断し対策をするようになればしめたもの。しかしだ、今、鯨の生死をめぐり人間どもの争いは、どちらかといえば鯨の捕獲問題にあり、海洋汚染は別次元の問題といったふうだ」
 声の調子が変わって絶叫し始めた。
 「だから、座礁死を絶え間無く決行して、人間の目をこっちに向けさせることには大賛成。しかしだ、自殺者の大量確保をどうする?私心を捨てて社会に尽くす、いわば減私奉公型の勇者が現れるのを待っていても、そううまくはいくまい。ならば、強権の発動だ。その力で、つべこべ言わさずに動員するのだ。オットセイ、アザラシ、ホッキョクグマの連中も巻き込んだ海洋大帝国をうちたてようではないか。いろんな海洋動物の座礁死は人目を引くこと請け合いだし、自殺者の層は厚く、数の確保も容易だぞ」
 道理を踏み外し、言いたい放題の弁舌に、あきれ顔の鯨たちは三々五々散らばり去って行き、扇動屋の一人舞台に終った。その気落ちしたさまをじっと観察するうちに、ある一件を思い出した。
 「あっ、あの帝国主義野郎だ」
 そいつは高慢さをむき出しにして、うそぶいた。
 「おまえ、マッコウ社会で少々顔が売れているからといい気になるなよ。鯨族全体、いや、海洋哺乳類をまとめて面倒見ようじゃないか。マッコウの天下にしようぜ」
 この手前勝手な提言に驚いた。帝王には俺がなる、おまえは副だ、などと高飛車なものの言いようは、すでに独裁者気分だった。
 不届きな申し出を私がきっぱり拒絶したのに立腹し、奴は果たし合いを望んできた。子どもづくりでメスの争奪戦をしたことはあっても、帝国づくりで戦うのは初めてなので、決闘の日の記憶は鮮明だ。
 
洋上を強風が走った。押し寄せる大きなうねりと高く飛び散る波しぶき。ゴロゴロと雷鳴がこだまし、折れ曲がる稲妻は、凄まじい海の怒りと、独裁主義者の高圧的な面構えを絶え間無く照らした。
 頭部から胴体にかけて無数の傷痕と、巨大イカの吸盤痕がある。戦歴を物語る十分な証といえた。ゆっくり回遊しながら、私の体型を上から横から舐めるように観察していたが、己れの体格に分があると見たか、猛然と体当たりしてきた。
 
私はわざと攻撃を避けずに、体当たりの強さを推し測った。たいていの襲撃者は最初の一撃に必殺の思いを込めるから、その強弱を知ることにより、敵をこちらの優位な格闘技に誘導できるのだ。
 
強烈だった。グラっときた瞬間、大きな歯並び丸見えの口が眼前にあった。体がしびれる音波も浴びせてきた。大王イカと戦う際、私もまったく同じ戦術だから、応戦の方法は察知している。
 
私は即座に浮上して体をかわした。潜ると音波が追跡してくるからだ。これはシャチに襲われた時の体験から会得した。殺し屋のシャチは音声の発信によって獲物を恐怖状態に陥れ、群れを成して襲いかかるが、このような場合、私はシャチに勝る深海への潜行力を発揮して音波を逃れた。
 しかし、深く潜るマッコウ同士では逆の手を使い、音波が有効に働かない水面に素早く浮上する。
 間髪入れずに反転し、奴の脳天めがけて強烈な頭突きをくれてやった。たいていはこれで脳がぐらつき、参ったという目つきをするが、そこは不敵な挑戦者、古い傷痕で凹凸化した頭蓋は鍛え抜かれており、恥ずかしいことに、こちらの頭が砕けたかと思ったくらいだ。
 
突進して噛み合い、離れながら尾びれで叩き合うという具合に、双方が退くことを知らず、海中で、海上で、果てしなく秘術を尽くした。
 このままいけば相討ちで、ともに海底の骸骨となるだろう。体力を消耗しきって降下も上昇もままならず、剛勇を競う二頭は、戦いの終わりを覚った。暗夜の嵐はすでに治まり、夜明けが訪れようとしている。数多くの黒いちぎれ雲が、鯨の群れそっくりに、空を泳ぎ渡っていく。
 「帝国は二等分にしようや。どうだ」
 「まだ迷い言をいうか。そうなれば争いはもっと深刻になるぞ」
 鯨はメスをめぐるオス同士の争いでも、相手を死においやるような禁じ手は使わない。戦う相手にまでも友愛の気持ちが働くのだ。そんな鯨社会を不幸に導く、誤った信条の独裁者は、徹底的に懲らしめなければいけない。
 
用心しなければならないことは、こやつの執念深さだ。並大抵な思い込みではないから、これからも性懲りなく帝国創設の妄想を押し付けるに違いない。その証拠に、時を経て話し方や話の内容にも磨きがかかっている。聞く者の中に共鳴の声さえ挙がった。奴と武闘した私までも半ば聞き惚れる始末である。
 
ワシ 「独裁者に限らず人間は、己の常識を超える神秘、巨大、化身などに関心を持つものだ。それにしても、巨鯨の大量座礁死で人間の知性を呼び覚ます試みはなかなかではないか」

 私が死を強く意識するようになったのは、座礁死を環境汚染の抗議手段にするというあの宣言以降である。大会議の提唱者であったから、率先して行動を起こしたかった。
 おおよそ八十年はいけるというマッコウの寿命だが、ぶらぶらして目一杯生きてもなんの誇りにもならない。「これから」を生きるみんなのために、私の死が活用されるのであれば幸せというものだ。
 死んで生きる、という私の姿勢に共感したオスのマッコウ十三頭が私ともども勢揃いして、覚悟の旅にでた。誇り高い座礁死に相応しい海浜を探して、注意深く航行していた私は、遥かな海上で三回ひねりの見事な跳躍を視野に捉えた。

あれはイルカ仲間のだれも真似できないフィンの得意技である。彼女はあとを追ってきたのだ。おう、うっかりしていた。大会議を仕切った彼女は、座礁死の志願集団がいつ、どこで果てたかを見届け、鯨界の長老や遺族、縁者らに報告する役割を負わされている。
 監視に際しては座礁死の邪魔にならぬように隠れた行動をしなければならない決まりなのに、フィンは私に居場所を知らせた。私と話をしたいのだ。私も語りたい。が、正義を立派にやり遂げようと誓い合った仲間の手前、別れを惜しむ会話など許されない。
 座礁の決行は、たちまちフィンとの別離につながる。近くにいるのに、話も交わさず死んでしまうのは残酷だ。心残りだ。才色兼ね備えた彼女は私の師であったし、恋情も芽生えさせてくれた。とめどない自問自答を繰り返すうち、事件が突発した。(続き)

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