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なぜフィレンツェにルネサンスが興ったのか

 朝顔が朝の清清しい光で咲くのではなく、冷たい空気と夜の闇の長さで大輪の花を咲かせるということを実証した研究論文を読んだことがある。何十年も前のことだった。当時は、さして気に留めることもなく、こうした研究に熱心また真摯に取り組んだ研究者に賞賛の念を送ると同時に、「お疲れ様」というなんだか苦笑にも似た偽オタク崇拝の念に駆られた記憶があったことは否めない。バブル時代を疾走した我ら60年代生まれの中堅者は、清貧とか実直とか堅実といった理性を無意識のうちに回避しながら、享楽と希望に虚飾された未来を追い続けていたと思う。確かに湾岸戦争をはじめ、阪神・淡路大震災、同時多発テロ、東日本大震災に続く世界規模の大事件や震災を目の当たりにした。しかし実感としては、実害のない限り対岸の火事というなんとも混沌とした結論に無理やり結びつけて、日常の無事をやり過ごしていたのではないだろうか。だが、2020年はまったく違った。少なくともヨーロッパ、イタリア、フィレンツェにいる私はかつてない恐怖を肌で感じた。半径1キロ以内に死臭を感じ、「普通の生活」も決して永遠のことではなく、実は結構運がよくて「たまたま」巡ってきた良き時代の贈り物であったと気づくようになったのだ。

 時はさかのぼるが、ルネサンスの幕開けと呼ばれるサン・ジョバンニ礼拝堂第二扉の製作者を決めるコンクールは、1401年、フィレンツェで催された。こうしたコンクールを含め、ルネサンスの文化的基礎を形作るためには当然メディチ家を始めとする経済的支援が何よりも不可欠であるが、パトロンの存在だけでこれだけの大輪の花を咲かせることは困難であろう。何がここまで後世に残る傑作を生み出させ、またなぜにこれだけ多くの偉人たちがフィレンツェ・トスカーナに集中して生まれ活躍したのか、この街に住み始めてからずっと疑問に思ってきた。

 それには、諸説ある。まずは、先にも述べたように確固たる経済的背景。東方貿易で栄えたヴェネツィア、ジェノバからフィレンツェ産の毛織物が輸出され莫大な富がフィレンツェの商工業者に集まった。これに乗じて銀行もヨーロッパ各地に支店を広げ、こうした富豪がパトロンとなって芸術活動を保護した。次に十字軍の遠征が失敗に終わりローマ教皇の度重なる横暴に信徒も疲弊、文化、経済、宗教をはじめとするすべての根源を「神」中心とする世界観から、人間性を重視するギリシア・ローマ時代の古典に人々は傾倒していく。さらにはオスマン帝国のビザンツ侵攻ににより多くのギリシア学者がイタリアに亡命、人々の欲するままにギリシア・ローマ古典文化の教示が広められていった。

 しかしこうした背景とは裏腹に、ルネサンスの興る1~2世紀前のフィレンツェは戦乱に明け暮れていた。中でも「レニャーノの戦い」「モンタペルティの戦い」「ベネヴェントの戦い」の3つの戦争が続けてイタリア半島で起こり、「モンタペルティの戦い」ではフィレンツェは莫大な借金を抱えながら大敗に終わる。また有力家族間での結婚を巡る婚姻沙汰が原因で、教皇か皇帝どちらの庇護を求めるか、街は教皇党と皇帝党に分裂し、さらには教皇党内でも白派と黒派に分かれ激しい内戦が繰り広げられた。外国ではイギリスとフランスの間で百年戦争が勃発。バルディなどヨーロッパ各地に支店を持つフィレンツエの銀行は、イギリス王やフランス王からの巨額融資の回収が滞り、経済的大混乱に陥る。そして政治的、経済的、社会的にひどく不安であった乱世に追い討ちをかけたのが、1348年におきた黒死病(ペスト)の大流行だった。フィレンツエでは人口の半分の4万人以上が亡くなったと伝えられている。現在約6000万人の人口のイタリアで、昨年コロナで亡くなった死亡者が約7万5千人と伝えられていることからみても、この犠牲者の比率は尋常ではない。それなのに、ペストでほぼ壊滅状態に陥ったフィレンツエがかつてない輝きを放ちながら花の都として栄えていく。目の前の惨劇と人々の理想が相反すればするほど、人々の文化的成果は傑作となり後世に語り継がれるのであろう。

 昨年3月から始まったロックダウンは、私にとっては「銃撃のない戦渦の中の疎開」というような、なんとも不思議な体験だったが、このロックダウン中、ペストの過去を思い出して資料や記事を読み始め、数十年来ずっと疑問に思っていた「なぜフィレンツェにルネサンスが興ったのか」そのヒントを得たような感もした。

ルネサンスとは、「再生」の意味である。再生とは、元々あったものを蘇らせることであり、その元々あったものとは、当然過去の栄光、ここではギリシア・ローマ時代の成果を自己の人生、さらには理想社会の実現に向けて模倣し新たに生まれかえらせることである。そこには何よりも現実社会に対する深い落胆と怒りの負のエネルギーが蔓延しなければ、理想社会を語る必然もないだろう。すなわち、現実社会に対する不満のない弛緩した社会の中に人々の理想が生まれることはなく、理想を描かざるを得ない暗黒の社会であったからこそ人々の夢や希望が花開いた。闇が深ければ深いほど、花は鮮やかに大輪となる。朝顔の習性に似ている。

 2020年は誰もが予想できなかった乱世と言われるが、歴史を紐解くと想像を絶する惨劇が繰り広げられた中世の世界が蘇る。「反動」がもたらすその先にどんな世界が待ち受けているのか、「生きていくこと」「いかに善く生きていくのか」を、再び深く考えさせられた時代にふとルネサンス時代を思い出した。


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