失礼します、僕です。

いい歳になってもまだ、こっちが少し問い詰めるそぶりしただけで「俺は悪くない。何も知らない」で逃げようとする父親が嫌い。そのまま「勝手にしろ」で済ましてくれるならこっちからお願いするのに、俺がやらかすと親っていう立場利用して説教しようとしてくるのが一生好きになれない。自分以外の周りが変化することを忌み嫌ってる自分に気付いていない父親が嫌い。僕の趣味に対してまず最初に冷やかしから入って否定してくるのが一生好きになれない。短気だから話し合いすらまともにできないのが嫌い。

僕は自分の「好き」に自信が持てなくなった。僕の「好き」ははたして、周りの目から見て正常だろうか。否定されないだろうか。冷やかされないだろうか。そんなしょうもないことから考えるようになってしまった。

故に、僕は他の誰かの「好き」はなんでも受け入れるようになった。話をしっかり聞くようになった。感情のコントロールが得意になった。誰かが選んだことを否定することはなくなった。自分の客観視が習慣化した。相手の気持ちがわかるようになった。なんでも責任を感じるようになった。

自分の意見が言えなくなった。

父を反面教師に、僕は自分を形成した。

中学校の時、僕はすごい辛い経験をしたから、それを機に自分が形成されたのだと思ってた。たしかにそれも多少はある。けどそこじゃなかった。もっと根本的な場所に自分が閉塞感を感じる原因があった。

これは僕が一人暮らしを始めて、初めて実家に帰省した時に気付いたお話。気付けたお話。ただのひとりごととして捉えてほしい。

僕は自分の性格とか考え方は嫌いじゃない。むしろ好きな方。でもたまに気になる。いつからこう考えるようになったんだろう。こうなってしまったのだろうと。

そして気付いた。父だった。この間実家に帰省して、はっきりとわかった。ずっと感じていた息が詰まる感覚の正体が。とにかく自由になりたいと思っていた動機が。今の自分を形成した原因が。

少し落ち着いたのでまた書き始めます。ここまでの文は帰省から帰ってきた当日に書いたもの。ここから先はそれから二ヶ月後くらいに書いたものです。

正直ショックだった。だって中学の時の経験が原因だったら、全部それのせいにできた。全部嫌いな奴のせいにできた。自分の中のあまり自信のない部分の原因。というか、発端が父親だと気づきたくなかった。

でも気付いたならしょうがない。むしろ気付けてよかったかもしれない。少し考え方をかえると、父親のおかげで今の僕があるといえる。むしろ嫌いな奴は僕の人生にそこまで影響はなかったらしい。そう思うと楽になった。

これを書いた当初は公開をすごいためらった。匿名で、しかもネットの端の端なのに、自分の考えを公開するのが怖かった。でも最近になって、そういった自分も受け入れるようになってきた。自分の中のあまりきれいじゃない自分を見たくなかったんだろうな。そもそも、きれいな自分とかきれいじゃない自分も、勝手にそう区別してるだけなのにね。

ひとまず、これで僕は終わり。過去の考え方に関しては一区切り。最近は環境も変わって、全然違うことを考え始めているのに、過去に固執するなんてもったいない気がしてきた。

地元にいた頃と今とでは自分の環境が変わりすぎた。一つ思うのは、地元にいた頃は、こうやって自分の考えを形に残すなんて絶対しなかったと思う。自分に自信なかったし。そもそも自分が嫌いだったし。

noteに考えや気持ちを綴るようになったのは、ある人の影響なんだけど、というか、彼女の影響なんだけど。ここで話を続けると本題を見失うので、また別の機会に。

とにかく、過去の自分に一区切りできました。というか、新しい自分を目指したくてさっさと一区切りさせたかったのが本音。

では、失礼いたしました。僕でした。


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