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おはよう、僕です。

21歳初投稿です。生まれてからもう21年と捉えるか、まだ21年と捉えるか。これだけで心の保ちようがだいぶ違ってきますよね。言葉って面白い。ん?この場合文字か。どっちでもいいか。

みなさんいかがお過ごしでしょうか。こちらはまだ暑さが続く日々です。しかも明日からずっと雨。最悪。せっかくこれからこの夏1番のイベントがあるというのに。天候はそんな僕を妬んでか、素直になってくれません。晴れやかな笑顔が素敵だよ、なんて空を口説いても、残るのは周囲からの冷たい視線だけ。だからこの言葉は、将来かけるべき人にかけようと思います。いたらいいなぁ。

突然ですが、皆さん。ライオンやトラが持ってる牙、ゾウやサイが持ってる体躯、チーターやタカの機動力、といった具合に野生動物にはそれぞれ環境に適応するための武器がありますよね。じゃあ人間って単なる野生動物として見た時、何が武器になると思います?

よく言われるのは、投擲能力ですよね。我々人類は物を投げることを得意とした体らしいです。

...なんてことを書くために、ここにきたわけではありません。ヒトの最も特異な点はその脳の大きさですよね。つまり野生動物よりも考えることができます。それが人類が進化してきた何よりの武器ですよね。ここまでは当たり前。ここからはどうでしょうか。

ヒトは進化の過程で考えて考えて考え抜いて生きてきました。では、私たちは日々を考え抜いて生きているでしょうか?ここで「はい」と即答できる方は尊敬の念に値します。是非、それを続けてください。「はい」と即答できない方、大多数なのではないでしょうか。僕もできません。そして決して悪いことではありません。むしろ普通のことです。

まあ、何を言いたいかって言うと、要するに、ヒトは考える能力があると同時に、考えない能力も身につけたんですよね。社会が形成されるにつれ、思考は複雑に絡み合ってきます。それらを全て考えるには、脳の大きさが足りなかったみたいなんです。だから、あえて考えない、という手段を講じたわけです。

端的に言うと、ヒトは慣れます。物事に慣れます。これは適応するとも言い換えられます。それだったら、野生動物も極寒や砂漠、深海、高原などに適応してるじゃないか、なんて声もあると思います。たしかにそうです。環境に体が適応することで繁栄している種が大半です。でもやはり、ヒトは特殊で僕ら人間は、環境に、心が、気持ちが、思考が慣れると思っています。

これはヒトが社会という枠組みの中で生きることによる必然的な選択です。個では生きるのが難しいという判断から、私たちは人と関わり合って生きています。そうした背景があって、それらの環境に上手く適応するための、難しく考えない様にするための、立派な生存戦略であると言えます。

話が壮大になってしまいました。こんなつもりじゃなかった。まあ人って何事も慣れちゃうよね〜って話です。ただそれだけ。

ようやく本題に入ります。ぼく登場です。ぼくは、その慣れに対して恐怖を抱いています。慣れって怖い。ってやつです。特に心の慣れ。例えば、大切な人がいて。そんな人がいるってだけで幸せじゃないですか。その人と一緒に過ごせたらめちゃくちゃに最高じゃないですか。でも、付き合う〜とか結婚〜とかで一緒になったとしても、時間が絶対に僕らを慣れさせてくるじゃないですか。多少ならいいんですけど、いつのまにか2人でいるのが当たり前になって、幸せ!って思えることも少なくなっていって、日々の生活の気遣いも感謝ができなくなっていってって考えてしまうんです。

そう考えると、慣れって本当に怖い。じゃあどうするかって話で、僕が出した答えは、考えることでした。とにかく考えること。慣れないようにすること。紙粘土みたいに、放置したら固まっちゃうものを、固まらないように定期的にこねくり回すのです。紙粘土。我ながらいい例え。

そう。考えること。別に答えを出すわけでもないし、正解があるわけでもない。損得でいうと、損の方が多いんじゃないかな。だって疲れるし、考えすぎちゃって余計なこと考えて病む時もあるし。でもすごい大事な気がします。これがあるから自分!っても言える。まあ考えることの動機は、慣れたくない!っていう少しネガティブな動機なんですけどね。できれば、こうなりたい!から考えるっていうポジティブな動機の方が良かったな。まあええか。

僕がもし自暴自棄になって、自分をいじめる日が来たら、真っ先に考えることをやめると思います。いや、どっちだろう。逆かな。考えることだけはやめないかな。いや、多分やめるな。だって自暴自棄になるくらい自分が嫌いになるんだったら、真っ先に死が頭をよぎっちゃう。なんて、しょうもないことも考えながら生きています。

そして、慣れが怖いから考える、その考えた結果の一つを紹介すると、日常に当たり前はないということです。どんな事象にも、普通や当たり前の裏には、多くの人の労力がある。コンビニの店員にも、ラーメン屋の店主にも、駅の係員にも、彼らが扱っているものを作っている人にも、農家の人にも、専業主婦にも、会社員にも。自分の日常を支えている人を認識するたびに、僕は感謝の念を抱かずにはいられないのです。

...なんてことを今日は書きに来ました。これ実は9月頭に書いてたんですけど、タイミング逃して書き終わらなかったやつです。だから、冒頭の今夏1番のイベントも終わってます。あ、もちろん楽しかったですよ!

今僕は帰省中でーす。でも僕の体たらくで何故か東京に向かってまーす。明日にはまた帰省しまーす。何やってんだかこのばかは。反省しろ。反省します。ついでに、おはよう、なんて題名に似合わないおっもい文になったことも反省します。気軽に読めんわこんなん。

では、これを書いているのはお昼ですけども、おはよう、僕でした。

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