平安時代①

桓武天皇は大きくわけて2つの事業を行った。ひとつめは都を新しく立てること。最初長岡京にしたけど水害が酷くて、造営長官の藤原種継が暗殺されたからその上の平安京に移した。ここからが平安時代!

2つ目は蝦夷をぶっ飛ばすこと。
そのために坂上田村麻呂を征夷大将軍にした。(蝦夷を征服する将軍)彼は族長の阿弖流為を服従させ東北地方ゲット!!!

これらは「造作・軍事」として知られる。
膨大なお金がかかるため民衆の負担大。そこで桓武天皇は2大行事の中止を決定。だから平安京は途中までしかない。(本当は兵役に人手をかけすぎたせいで耕作が行われず、税収が安定しなかったから。)

また、国司の交代の時によからぬ事をしないように勘解由氏(かげゆし)という職を設けた。
郡司の生活に困ってない層の子弟を健児(こんでい)と定め、民間からの徴兵を無くした。

要するに、桓武天皇は国司の不正を防ぎ、民衆の負担を軽くして農耕に集中できるようにした。→徳政だね!

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