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2年目デザイナーが見る『佐藤可士和展』

3度目の緊急事態宣言が施行される前日、4月24日。布団にくるまり、いつも通りぼんやりとスマホを見やる土曜日の朝だったが、Twitterの投稿を見て目が覚めた。5月10日まで開催予定だった『佐藤可士和展』が美術館の臨時休館に伴って、4月24日で急きょ閉幕となってしまった。

展覧会はGW中に友人と見に行くつもりだったが、こうなっては仕方ない。当日券の販売列に並び、閉館2時間前に滑り込んだ。


大きく、はっきり、ポジティブに

突然の幕引きとはいえ最終日で、多くの人が来場していた。客層は20代グループ、高校生に小さい子供がいる家族連れ、老夫婦など多岐に渡っていた。デザイナーや広告業界人らしい人は、デザイン系の企画展にしては少なかったと思う。開催が六本木の国立新美術館ということもあってか、1月に訪れた石岡瑛子展よりも、一般のお客さんが多いように感じた。

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美術館の白い空間に、所狭しと屋外広告が並ぶ。ちぐはぐな光景だ。これだけの印刷物が、街の一角を覆っていたというのは、一歩間違えれば資本主義の暴力とも取れるが、そうは見えなかった。ビビッドかつポップで、人々を楽しませようとする気持ちを感じるし、常に新しいものを受け入れる東京の街に似合っている。「広告」の定義刷新が議論されて久しいけれど、結局たくさんの人の心をポジティブに動かし、商品の購買やブランドの認知に貢献することが、今も昔も一番純粋で重要な広告の役割だと再認識させられた。


ビジネスとデザインの蜜月

『佐藤可士和展』はデザイン・広告の展覧会というよりも、日本のビジネスシーンの20年を見る展覧会だった。彼の一番の功績は、アートディレクターを経営者の伴走者に押し上げ、その立場の認知度を上げたことだと思う。展覧会は、デザインよりもマーケティングや経営的な見方をした方が楽しめた(たぶん狙って演出している)。もちろんデザイン表現やエンタメ的な要素も十分あったが、「作品」というよりも「仕事」の展覧会。鑑賞者全員に対するプレゼンテーションだ。

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写真右、壁一面に書かれた、三井物産のインナーブランディング案件の記事。読みながら、何度も目を見開いた。不毛とすら思える、地味で時間のかかる仕事は、携わる人全員が偉い…。社会人2年目、情報整理がいかに難しく重要な仕事であるか身に染みてわかるようになった。(記事の内容は日経電子版のこちらをぜひ)


佐藤可士和の表現

視覚的に見応えがあったのは、やはりロゴの立体展示。もうとにかく楽しくて、友人と一緒に来て写真を撮りたかった。それぞれ素材が異なる、でっかいロゴ。単純な演出だけれど、それで企業ロゴの前で写真を撮りたくなってしまう。今治タオル製の今治タオルロゴに触りたかったな…

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ロゴ展示の次は、グラフィックデザインのセクションになっていて、バランスの取れた構成だなと感心する。私にとって佐藤可士和は、大学の同じ学科の大先輩でもあるので、商業から少し離れたグラフィックを見れるのはなんだか嬉しい。何冊ビジネス本を出しても、根っこのグラフィックデザインもストイックでしっかりカッコイイ。ずるい。

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2年目デザイナーの佐藤可士和評

ミニマルデザインは世界の流行だが、膨大な検証と細かい微調整が優れたデザインを生むのは今も昔も変わらない。ポンと素材を置いただけに見えるデザインも、幾度も重ねた試行錯誤の末に選ばれた作品なのだ。

ひと目見て理解させるビジュアルコミュニケーションは、グローバル化の賜物。今の時代と佐藤可士和(と周りの仕事人たち)は共犯関係で、彼らが作ったシンプルな表現は間違いなく世界標準だ。日本企業をビジュアルコミュニケーションの力で、世界で戦う土俵に押し上げている。基本的な幾何形体と赤白青ばかりを商標に取られちゃ敵わないけれど、それができるのは彼の力量を示す何よりの証拠だと思う。

展覧会の最後にはオリジナルTシャツを販売するUTストア。清々しいほどの商売っ気に、思わず笑ってしまった。そうそう、佐藤可士和はこうでなくっちゃ、と知った風なことを思いながら、私はキース・ヘリングの限定Tシャツに手を伸ばした。

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亀田佳乃|グラフィックデザイナー
2020年 グランドデザイン株式会社 入社

多摩美術大学 グラフィックデザイン学科 卒業。
和歌山生まれの神奈川育ち。タイポグラフィと歴史の勉強が好き。
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展示風景の画像は美術手帖の記事より引用。


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