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東南アジアと日本に共通する『自然』との接し方

こんにちは、グランドデザイン・グラフィックデザイナーの茜です。日々ではデザイン以外の事も考えたりしています。表紙は東京·渋谷駅にある岡本太郎さんの作品「明日の神話」、それは多くの人に見てもらいたい1つの作品です。

学生時代では旅行でよくインドネシア、シンガポール、タイに行ったりしました。東南アジア国々の歴史、政治、宗教などについて詳しくないですが、発展途上国の印象というより、東南アジアの人々と自然の仲よさを深く感心しました。2017年の夏ASEAN設立50周年記念で六本木の国立新美術館で「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」が開催されて、同じクラスのタイ出身の友人と一緒に見にいきました。

国 立 新 美 術 館 と 森 美 術 館 、国 際 交 流 基 金 ア ジ ア セ ン タ ー は 、2 0 1 7 年 7 月 5 日( 水 )か ら 1 0 月 2 3 日( 月 )ま で 、 「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」を開催します。ASEAN(東南アジア諸国連合*)設立50周年にあたる2017年、東南アジアの現代美術を紹介する、史上最大規模の意欲的な展覧会です。 同じ六本木エリアにある国立新美術館、森美術館両館長が発案し、国際交流基金の賛同により実現したもので、3者が総力を挙げ、14名のキュレトリアル·チームによる2年半にわたる現地調査を経てASEAN10カ国 より86組のアーティストを選定、計約180点の作品を2館の会場に展示する、初の共同企画展となります。 本展は、時代の潮流と変動を背景とした東南アジアにおける1980年代以降の現代アートの発展を9つの視点から掘り下げ、そのダイナミズムと多様性を紹介します。*2016年11月現在、インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスの10カ国が加盟
国立新美術館 サンシャワー:東南アジアの現代美術展 プレスリリース VOL.2
「ASEAN設立50周年記念 サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」http://sunshower2017.jp/image/press_release_jp_170519.pdf (2017年 5月19日)

「天気雨」を意味する展覧会タイトル「サンシャワー」は、東南アジア地域では頻繁にみられる気象現象であり、紆余曲折の歴史を経てきた同地域を表すメタファーでもあります。展覧会では現代経済発展と自然保護の矛盾をテーマにするオブジェとか、昔の風景が記録された映像·写真とか、ある事件に対する忘れない苦難な思い出のアート作品とか、宗教に対する敬意をもつ絵画など、色んな東南アジアのアーティストの作品が展示されています。それぞれのアーティストの作品を見て回って、色々面から東南アジアの歴史と現代社会が抱える課題を知ることができて、改めて「 世の中には知らないことがたくさん」ということを実感しました。

東南アジアの国々は国土面積と人口は勿論、民族と言語や宗教も異なります。国土面積が一番大きいのがインドネシアで、191万平方キロメートル、日本の5倍くらいになります。一番小さいのがシンガポールで、700平方キロメート、東京23区くらいです。人口も一番多いインドネシアが2億6058万人、世界の4番目です。中国、インド、アメリカ、インドネシアの順で、インドネシアは世界的に見ても、人口大国なのです。人口が一番少ないのはブルネイで43万人。仏教の国、これは東南アジアの大陸部、タイやミャンマーがそうです。イスラーム教の国はインドネシアやマレーシア。キリスト教の国はフィリピン。南アジアはインドのヒンドゥー教、それとパキスタンのイスラーム教があり、この二つが大きな宗教です。その点で東南アジアは世界の様々な宗教が密集している地域なのです。

東南アジアは特別な地理·自然·歴史·宗教環境があって、国際社会の中で生き残るために決して他の先進国のやり方を真似するだけで良いことではないと私はそう思います。なぜなら、それ先進国の発展は自然の法則性に対する認識の不足により、環境汚染が日増しにひどくなり、生態平衡が破壊されるからです。

地球を守るには国を分けて考えないといけないと思います。人体と同じで、一つの臓器が壊されたら、命がなくなる危険な状況になりますから。東南アジアは他の先進国の成功の面だけを見るより、失敗の教訓を汲み取ったほうが賢い発展のルートを考えなくてはなりません。サンシャワーの展示を見て非常に感心したのは、賢い考え方をもつアーティストが多くて、自分の国の発展仕方に対して、不満と反対意見を表す作品が多く見られた点です。そういう思想をより多くの人が知るべきだではないでしょうか。

会期が終わってしまったので、展覧会の様子は添付の記事にてご確認くださいませ。

近くに大橋和典さんの写真展もやっていましたので、そこも寄ってみました。写真展では東南アジアの一つの国、“ネパールの人々”の姿が沢山写っている写真が多く展示されました。モノクロの写真にこそその国らしい雰囲気を強く感じられます。ネパールの人たちの暖かい人柄や、人懐っこい小さい子供たちの天真爛漫な姿にすっかり魅了されました。

大橋 和典 写真展:My Mind =カトマンズにて=               
ニュース写真の在り方を考え、新聞社からフリーとなった写真家、大橋和典氏は、ネパールに生きる人々の日常にカメラを向けるべく、カトマンズの町を訪れました。氏の故郷を彷彿とさせる街並みや、国を根本で支える労働者のたくましい姿……。氏がその地の空気を肌に感じ、生活者と直に触れ合うことであらためて実感した、フィルムを消費する快感と、高揚感が写し込まれた作品群をご堪能ください。
キヤノンギャラリー 「大橋 和典 写真展:My Mind =カトマンズにて=」
https://cweb.canon.jp/gallery/archive/ohashi-mymind/index.html(2017年)

アジアの国々の中で伝統文化が輝いている日本、それについてもっと深く知るために岡本太郎の展示に行ってきました。岡本太郎は「縄文土器」から大きく影響を受けたことは有名な話と聞きましたが、東北に「縄文」という日本の起源を見いだしていたようです。「秋田」では“なまはげ”、「岩手」では馬の文化や鹿踊り、「青森」の恐山、観光ではない土着のその土地の意味のあるものをたくさん拝見しました。展示の半分以上を占める写真は、モノクロでありながら岡本太郎が見た“そのもの”のように迫ってきます。これは岡本太郎そのもの。そして日本の景色。これらは失われたのではないでしょうか。

『岡本太郎の東北』                            
縄文との出会いから5年が過ぎた1957年。日本文化の本質をさがす旅に出た岡本太郎は、最初に訪れた東北でいきなり“原始日本”と遭遇します。貧しく閉ざされた冬の東北。そこには見えない力と対話する“呪術の心”が息づいていました。東北で原日本の片影に触れた太郎は、沖縄でその心が脈々と受け継がれている姿を目撃し、1962年の東北再訪を経て、日本人の血の中にいまも縄文の心が宿っていることを確信します。この体験こそが岡本芸術の方向を決定づけ、ついには太陽の塔の誕生へとつながっていきます。岡本太郎の眼がとらえた60年前の東北。ぶ厚く豊かな日本。ぼくたちはそれを見たことがないけれど、けっして他人事ではありません。これこそ、われわれの日本であり、われわれ日本人そのものだからです。岡本太郎の眼が切り取った「ほんとうの日本」をどうぞご覧ください。       
岡本太郎記念館『岡本太郎の東北』                
https://taro-okamoto.or.jp/exhibition/『岡本太郎の東北』/(2017年)

伝統文化と現代社会の発展をバランスよく両立している日本では、それを長くつづけていくためには、自分の根源を守るべきではでしょうか。「岡本太郎の東北」展示をみて、原始的な呪術にみる芸術性や自然とのつながり、縄文人の「逞しさ」にみる日本人の魂を求めて旅に出ていたように感じました。

ネットでたまたま稲村行真さんの記事を読みましたが、それで共感しております。最後の言葉を勝手にこちらに引用させていただきます。

「しかし、岡本太郎の言葉にもあるように、原始社会における自然崇拝に想いを馳せることによる感動があるのも事実です。自分が健康に生きられるのも、食事を美味しく食べることができるのも、広く捉えれば自然の恵みがあるからと言えます。ナマハゲという行事を通して、心の底から自然の恵みに感謝したり祈りを捧げたりした古代の人々を思うことで、普段忘れていた大事なことに気付かされます。自然がより身近になったり、環境問題について考えたり、日常の中でも発見があるかもしれません。ナマハゲに対する1つの見方として、このような考え方が今後も残っていてくれたらと感じています。」

全部の記事の内容もぜひご一読を。

ここまで読んで頂き、有り難うございます!

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