無価値な自分が辛くて足掻く
自分が嫌いです。
いいところなんてわからないけど、悪いことはたくさんあります。
無価値だなあってふと思って、消えたくなります。
未だにその気持ちはなくなりはしませんが、今から、ほんの少しだけマシになった経緯を書きます。
今までの私は人より優れるところを作ろうとか、得意なことを作ろうとか、そればかり考えていました。
欠点に目を向けたくなくて現実逃避していたのです。
けれど、そこに目を向けて、紙に書き出しました。
そして、それの対処法も考えたり調べたりしてたくさん書きました。
そして、それを実践していきました。
とはいえ、鬱病なのもあって、予定通りには行かずうまく行かない日もあります。全部ダメになる日もあります。
けれど、前より少しがんばってる自分を少しだけ認めたくなりました。
欠点といっても、考えるだけで涙が出てくるようなものは省きます。
私の場合は、姿勢が乱れているとか、甘いもの食べ過ぎてしまうとか、歯を磨くのを放置してしまうとか、真っ暗闇でスマホをいじってしまうとか、布団から動きたくないとか、そんな感じのを紙にばーっと書きました。
一つ一つはたいしたことがない、けれど積み重ねるともうダメだ私ってなるようなこと。
(私は甘いものばっか食べて、それなのに運動はしないし歯も磨かないし・・と自分を責めながら真っ暗闇で乱れた姿勢でスマホをいじる。こんな感じで連鎖すると、辛く感じるのです)
今だって細かい欠点は沢山あるし、改善中だけど、少しだけ、嫌いじゃなくなってると思います。
明らかに、自分を責める時の言葉が減ってるのです。(責めるのはやめられないけれど)
いつか好きになれたらいいなあって思います。
ついでに自分を無価値だと思いつつも高望みしてしまう訳を考えてみました。
無価値だからこそ、誰からも認められるような存在になりたくて、高望みしてしまうのかなと思いました。(単純にそれになりたいという気持ちも当然あるけれど、純粋な気持ちばかりではないなぁって思います)
けれども努力は苦しくて、大好きで憧れだったはずのものがどんどん嫌いになります。
好きなものが減り、嫌いなものが増えるのです。
もう、目標なんて持ちたくない・・そう思いながらも、持ってしまうのです。
これの対処法は今のところ全く思いつきません。
けれど、努力しても実るとは限らないけれど、実るには努力が必要でしょう。
だったら、たった一度の人生、がんばってみたくなるのは仕方ないと受け入れるしかないかぁって思ったりもします。
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