見出し画像

検査入院と孤独な夜6

翌日は、朝食が終わり、10時ごろに検査の為に移動した。


心電図の電極を貼り直し、ここで測りながらするらしい。

まず、歩くのみ。ただひたすら真っすぐ歩くのみ。「心拍数も順調に、上がっているよ。」


100回を超えても、歩く。


と「はい、休憩。」と言われたので器具から降りて息を整える。


くらっと目眩がする。


心電図を見ながら、先生が顔をしかめる。


次に、踏み台昇降運動みたいに、登ったり降りたりするだけだ。


また、順調に数値が上がっている。


130回を越えたあたりで、「はい、止めて休んでいいよ。」


と、心電図を眺める先生たち、看護師さんから「どお、気分は悪いとか無い?」


聞かれた事に、「大丈夫」と言った所で酷い目眩で、倒れ込む。


看護師さんが受け止めて、椅子へ掛けさせてくれると、「顔色が真青だよ」と教えてくれる。


先生から、「原因は、分からないけど、普通はゆっくりと心拍数は落ち着いていくけど、貴方の場合は急にストンと落ちて行ってしまう。」


首を傾げながら悩む先生、看護師さんにサポートされ酸素を、吸いながら、ゆっくりと落ち着く。


電極の貼り替え、酸素チューブを付けて、着替えると部屋へと戻った。


電話が鳴る。


実家からの様だ。おそらく、母からであろうと、「もしもし」と出ると、やはり母であった。


彼女から、連絡が合ったのだろう。


「大丈夫なの。どんな病気なの。」と色々と聞いてくるが、わたしも分からないことばかりなので、「大丈夫だし、まだ何もわからないよ。」


しかし、わたしの声は「ごめんね。」と母の言葉と泣き声でかき消されていく。


「丈夫な体で産んでやれなくて。


わたし(母)が至らないせいで、『うぁぁぁ・・・』」最後の方は、言葉も何を言っているのか良くわからない。


ただ、自分を責めているのだと言う事は理解した。


わたしは「お母さんは、何の責任も関係も無いことだから、心配しないで、今度の帰省で寿司でも食べに行こうか。」わたしが話しても、少し落ち着いた泣き声と「ごめんなさい。」と謝り続ける声は嚙み合うことは無かった。


わたしはこれが、先天性でも遺伝でもどうでもいい。


産んで育ててくれた親に、何の責任があるのか!


親不孝者は、わたしなのだから「こっちが、ごめんね。」


まだ、逝ってはだめなのだと、改めて思い直す。


それから、残り僅かな検査と今年の終わりに不安を覚えながら横になる。


今は、会えない彼女と子供、母たちに「おやすみなさい」と呟く。


大丈夫だと、伝わるといいなぁ。