僕と家業の、ほろ苦い思い出
シャレた帽子を被って、ブランデーで乾杯して、「ブランデーを飲んでからのキスが一番いいんだよ」なんてキザなセリフを言っておばあちゃんと笑って。僕の家業の思い出は、そんな粋なおじいちゃんとの思い出と一緒にある。毎日のように外に出て夜な夜な取引先をもてなし、いつでも仕事がらみの交流がある人だったと聞いている。
戦後に精錬業を立ち上げたおじいちゃん
おじいちゃんが創業したのは鋳物業、それが僕の家業だ。時は戦後、戦争で金属がなくなって庶民の家からは金属から作られる鍋などがほとんどなかった時代。砂型を作ってそこに金属を溶かして流し込み鍋などを作る鋳物業がこれから盛り上がっていくという時にいち早くそれを察知して家業を創業したのがおじいちゃんだった。今では母親の弟、つまり僕の叔父さんが後を継いでいる。
ほろ苦い家業へのちょっとした後悔
子供の頃、手先が器用でなんでも作れるおじいちゃんがいつもおもちゃを作ってくれた。竹とんぼを作ってくれたのにゲームがしたいなんて言ったことを今でもほろ苦く後悔している。子供の頃はいつでもよく遊んでもらったのに、僕が海外に留学したりしている間にあまり合わなくなって、20歳を超えた頃帰って来てステーキハウスに連れていってもらったのが最後の思い出だ。おじいちゃんが亡くなった時、たくさんの取引先の面々が並ぶ葬儀で叔父が弔辞を読んだ時、あぁこれで家業の代が変わるんだって継がない僕にもなぜか背筋が伸びるような感覚があった。
実は、家業を持つ人をサポートする今の仕事につくまで自分の中に家業からの影響があるなんて思ってもみなかった。けれど、思えば海外に留学したり、キャリアチェンジをする時に「その時代のちょっと先に必要とされそうなもの」を読んで動こうとする考えは、戦後に鋳物業を立ち上げたおじいちゃん譲りなのかもしれない。
継がない人をサポートすることで、家業を幸せにしたい
こうして家業に思いをはせるようになった今では、おじいちゃんとそんな話をすることはできないから、今僕がやっているグラフトプレナーの活動を通して家業について後悔する人が一人でも減ってほしいなと思う。継ぐ、継がないの選択をすることは重要ではなくて、1日でも早く家業について知ろうとしてほしいのだ。
近々、妹の旦那さんが家業のレストランを繋ぐために小笠原諸島へ行くことになりそうだ。慣れ親しんだ土地を離れ、旦那さんについていこうと決めた妹の姿を見て、家業って継ぐ人だけではなく、そのまわりで支える人によっても形作られているものなんだということをあらためて考えさせられた。継がなくたって、家業に関わる人は沢山いて、そんな人たちにも目を向けサポートすることが、今まで家業を繋いできた人、継ぐ人にとっても大切なのだ。
そんな思いでグラフトプレナーコミュニティをもっと育てていきたい。あの時のおじいちゃんがしていたような、時代を作って来た家業に、ひとつでも幸せな結末を用意するために。
text: グラフトプレナーコミュニティーマネージャー・Yu
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