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家業という「箱」でなんでもやってみよう。家業に「2度」戻ったみわけんさんの話

家業とは関係のない職について家業に戻る方にはよくお話を聞きますが、家業に二度戻った方には初めてお会いしました。一度は畳んだ家業を再起させようと決めた家業エイドメンバーのみわけんさんに、お話を聞きました。

手で金属加工を行う家業

工場の中の様子

──まずは、みわけんさんの家業についてお伺いしたいと思います。どのような家業をお持ちなのでしょうか?

僕の家業は1946年に創業した金属加工の会社で、「ながはた工業株式会社」といいます。家業エイドにいらっしゃる金属加工の家業を持つ人の多くは工場で機械を使って金属加工を行っている会社ですが、うちの場合は手作業。祖父が創業した当時は戦後すぐで製造業は景気がよく、まだ軍需も残っていた。事業は好調だったようです。

──家業に対してどんなイメージを持っていましたか?

全く継ぎたいと思っていませんでした。金属加工は職人仕事。技術を覚えなければいけないし、朝は早く夜は遅い。僕はITに興味があったのでずっとITの仕事をしていました。

──それがどうして家業を継ぐことになったのでしょう?

実は、ITの会社で働いている間もいつかは家業を継がなければならないんだろうなというプレッシャーを感じてはいました。特に、第三者にはどうしようもない権利関係や株式の整理などをやらなければならないタイミングは必ず来るのだろうなと。だから、20代の間に家業を継ぐ必要があることはわかっていました。そういう思いと家業の状態からして、20代のなかばに家業に戻ってきたのです。

「これ以上やっても維持できない」家業をたたむ決意

──実際に家業の仕事をしてみて、いかがでしたか?

想像していた通りというのか、それ以上というか。やはり大変な仕事でした。それに加えて金属加工は職人仕事。技術を覚えなくてはいけない上に朝早く、夜遅く20代なかばから学び始めた僕はすでに遅れた状態から始めなければなりませんでした。一方で、持っている技術や経験の特殊さにも気づきました。舞台美術の仕事では「家だけど、ここが動くもの」など特殊な注文が来ます。そういう難易度の高い要望にも応えられる技術力を持った家業でした。

──では、その後は順調に?

いえ、ちょうどお得意様が少なくなってしまっていたところにこのコロナ禍がやってきました。もともと、お得意様の注文を中心に売り上げを立てていた会社だったので、3ヶ月くらいしたら仕事がゼロになってしまって。これ規模で家業を続けていっても会社の維持ができず赤字が膨らんでしまう。父はもうすぐ引退の年でしたから、年金生活に入るだろう。息子に借金を継がせたくない。そういった色々なことを鑑みて家業をたたむ決断をしました。2,3ヶ月で処理をして、それまでの大きな工場を畳み、父が作業するのに十分な小さな工場へ引っ越したのです。

──家業の規模をミニマムにしたということなのでしょうか。

そうです。そして、父がその工場に、僕は働きに出ることにしました。コロナの真っ只中でふたりともが家業をやっているよりも、働いた方がよいだろうと考えたのです。

──家業に関係のある仕事を始めたのでしょうか?

いえ、金属加工業で働きに出るとすると、時代は機械加工。手作業の加工をしてきた僕では、経験ゼロと同じです。それならばと、経験のあったITのベンチャー企業、内装の営業など、少しでも経験の生かせる仕事を選んでいました。

家業にちゃんと決着をつけよう。再び家業に目を向けて気づいた「ソフトの価値」

──みわけんさん、現在は家業をやっていますよね。ここに至るまでにはどんな決断があったのでしょう。

働かせていただいた会社はどこもいいところでした。けれど、僕の中の家業への気持ちや、家業そのもののストーリーがまだ帰結していないように思えたのです。「工場を閉じて、赤字にならないで終わってよかったけれど、それでは家業に決着がついていない。せっかく戻ってきたのだから何か自分がやってもいいじゃないか」。そんな思いが強くなり、「家業とは何か」に帰結するために何かつきつめてやってみようと思ったのです。ベンチャー企業のような状態に親子でなったのだから、なんでもやってみようじゃないか、なんでもできるじゃないか、と。

──すごい。現在はその挑戦の真っ只中ということなんですね。この挑戦をするにあたって、みわけんさんが思い描いたことは何かあるのでしょうか。

必要とされる仕事は、時代の変化に合わせて変わっていきます。だから、家業そのものや、これまでやってきたことにこだわらず、家業を箱として捉えようと考えたんです。

──箱、ですか。

そう。家業という箱さえ継げれば、作るものや行程が変わってもいい。いえ、むしろ、変わらないと時代に取り残されてしまう。そう考えると、「取引先」「作り方」といった形式ではなく、「何が得意か」「どこを必要とされていたのか」という本質に目が向くようになったのです。

──なるほど。ハードとしての家業ではなく、ソフトに目が向いたのですね。

例えば、大きな劇団のお得意様の、あの演目の、あのパペットを動かす金属はうちしか作れないこと。そういう、うちの家業にしかできない価値に目を向けて、そのお得意様と一緒に次に必要なものを作っていけばいいのだと、今は考えています。

家業持ちにしか話せないことがある

──これからの挑戦が楽しみですね。

そうですね。そんな決意をした頃にこの「家業エイド」を見つけたんですよ。一緒にこれをやりましょう!とDMをくれる人もいて、その熱量の高さに驚いています。僕は年長者ですから、この経験を話したり、聞いてあげたりしながら家業を持っている人の役に立ちたいです。なんたって、家業を持っている人同士でないとわからないことがたくさんありますから。そういうつながりを大切にしながら、何か面白いものがあれば目を向けてみようと思っています。

(写真:みわけんさんご提供 / 文:出川 光)



最後までご覧いただきありがとうございます😊

本記事の内容・表現は、取材当時の"瞬間"を『家業エイド』視点で切り取らせていただいた、あくまで家業を通して皆様が紡いでいる物語の過程です。皆様にとっての「家業」そして「家業との関係性」は日々変わりゆくもの。だからこそ、かけがえのない一人一人の物語がそれを必要とする誰かに届くことを切に願っております。

運営チーム一同より

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