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【M-1グランプリ2023】推しの「らしさ」に賞賛を

2023年12月24日(日)クリスマスイブ。
M-1グランプリ2023が開催された。

2018年のM-1グランプリ敗者復活戦で出会い、その後ずっと私のイチオシである彼らは、あれから5年の月日を経て、いよいよ今年、決勝の舞台に立っていた。

彼らのコンビ名はダンビラムーチョ。

昨年の敗者復活戦で、森山直太朗さんの「生きとし生けるものへ」のネタを披露し、話題になったコンビだ。

「ネタを披露し」と言うべきか「歌い」と言うべきか迷うくらい「歌って」いた彼ららしい漫才が、私はとても好きだった。

そんな彼らが今年、ストレートで決勝の舞台に立った。

満を辞しての決勝進出。
結果は、8位。

決していい順位とは言えないが、私は彼らが魅せた「らしさ」に賞賛を送りたいと思った。

審査員からの指摘は、歌ネタというスタイルそのものに対する事が多かった。

確かに、M-1で歌ネタは厳しいものがあったと思う。

私はお笑いマニアと言えるほどの知識も分析力もないので分かったようなことは言えないが、それでもM-1における「歌ネタ」の厳しさは何となく感じていた。

それでも、彼らは自分達の代名詞である歌ネタを選んだ。

一ファンとしては、彼らがあんなに大きな舞台でも普段と変わらない漫才をした事を誇らしく思った。

これが、私たちの好きなダンビラムーチョだ、と。

私が流し見しただけでも、ネット上でM-1の感想として彼らに厳しい言葉を掛けている人達を多く見かけた。

「あんな人達が上がってくるなんて」
「お笑いを舐めている」

それぞれがそれぞれの感想を持つのは自由だ。

でも、これだけは主張したい。

お笑いを舐めている芸人なんて、いない。

身一つ、マイク一本に人生を賭けている人たちが、お笑いを舐めているわけがない。それどころか、誰よりも近くでお笑いという高い壁を見上げ、もがいているはずだ。

仮に「現時点では」お笑いを舐めている芸人がいたとしても、いずれ絶対にその壁の高さを知ることになるのだと思う。

だから、M-1に何度も挑戦しては跳ね返されている芸人が、お笑いの厳しさを知らないわけがない。

彼らだってその中の2人だ。

「これでいいや」という思いで選んだネタなわけがない。

あのネタに、人生を賭けたのだから。

残酷にも結果というものはどうしても数字となり、順位となり突きつけてくるけれど、それでしかお笑いを楽しめなくなったら、それこそ見ている側が「お笑いを舐めている」と思う。

彼らの漫才は、間違いなく人を笑顔にした。

それが何人かだったなんて、そんなことはどうでもいい。たった1人でも笑顔になれば、それはもう立派な芸人であり、漫才師だ。

彼らは自分達が信じ、貫いてきたスタイルで人を笑顔にしたいと願い、あのネタを披露したはず。

私はその心意気が、強さが、誇らしかった。

私達ファンは、彼らのネタだけでなく、彼らが「お笑いを楽しんでいる姿」そのものが好きだ。

だから、やっぱりあの舞台で歌ネタを披露した彼らの「らしさ」に賞賛を送りたい。

ダンビラムーチョは間違いなく面白かった。

もちろん彼らに限らず、どの芸人、どの漫才もだ。

あの舞台で、より多くの人達のツボを抑えた芸人が優勝するのだから「優勝」の価値はものすごくあると思う。

ただ、その数が優勝した彼らには届かなくても、どの漫才もどこかの誰かのツボにハマり、その人を笑顔にしたはずだ。

そのこと自体を誇りに思うべきだし、やっぱり芸人というのはすごいと思う。

私は彼らの漫才に、彼らの生き様を見た。

今後彼らが変わらず歌ネタを武器にしても、新しい武器を手にしても「自分達が信じたお笑い」を貫く姿がある限り、私は彼らをずっと応援したい。

どんな事柄に対しても賛否両論があって当たり前のこの世界で「笑い」という色も形もないものを信じ、ただそれだけの為に生きる彼らに対し、賞賛以外に送るものはない。

彼らが自分達の「笑い」を信じるのなら、
私は「彼ら」を信じたい。

話がだいぶ壮大になってしまったが、言いたいことはただ一つ、

ダンビラムーチョは自慢の推しコンビ

ということだ。

今年も、私達を楽しませてくれたM-1グランプリ、そして全ての芸人さんに感謝と賞賛を込めて。

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