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「自分の軸」を探していた20歳のわたしへ

30歳までに何者かにならなければ。

そう思う気持ちが、20歳のころは今より10倍くらい強かった気がする。子どもの頃、夢に描いた大人の入口。キラキラしていて、充実していて、大きな自由を手に入れられる気がしていた。しかし現実には実感もなく、想像よりもとても未熟な人間のままで、日々人を傷つけたり勝手に傷ついたりもしていた。世の中の色々なことにお金がかかることを知り、お金を稼ぐのが簡単ではないことも知り、「何でもできる」のに必要なお金は、20歳じゃ貯められないなーなんて思っていた。

28歳になった今、30歳はもう目と鼻の先まで迫っている

「わたしには、自分の軸がない」

それは、20歳のわたしにとって深刻な問題だった。30歳までに何者かになりたい。今から10年あればなれそうだ。だけど肝心の「何者か」が見当たらない。そんなことばかり考えて、やみくもに適職診断をしてみたり、ストレングスファインダーをやってみたりしていた。

多分、自分のキャッチコピーが欲しかったのだと思う。

一言で自分を表すとこれです、という紋所のようなものが。しかも謙虚さと魅力を併せ持つような、誰に伝えても好印象を抱かれそうなキャッチコピーが。残念ながら28歳になった今も、そんなものは見つかっていない。(多分存在しない。苦笑)


大事なものは内側から湧き出しては来ない。

私はとくに、人と比べたり、過去や未来の自分と比べたりして、可視化することで価値観がはっきりしていくタイプである。

夏、わたしは毎日のように美しい川でボートを漕ぐ。好きでやっている仕事なのでもちろん楽しい(ラフティングガイドをしています)けれど、漕いでいるその瞬間にしあわせがあふれ出すかと聞かれると、微妙だ。だってそれが日常だから。

しかし秋が深まり、シーズンが終わりに近づいてくると、愛おしさが増してくる。あぁ、もうすぐこのボートを洗って、また春まで一度も漕げなくなるんだ。そう思うと途端に寂しさがこみあげてくる。そこで初めて気付く。「わたしって漕ぐの好きなんだなぁ」と。この美しい川でプカプカ浮いている感覚も、波にボートをあてて、ぐっと押される感覚も、自分のパドル(漕ぐ道具。オールに似たもの)で流れを受ける瞬間も、すごくすごく好きだなぁ、と。



あるいは、人に説明するために言語化することで気付くこともある。

オーストラリアから毎年日本へスキー旅行に来ている方と、お話をしていた時のこと。「日本人は働きすぎ」「日本にもバカンスがあったらいいのにね」と言われた。

わたしは「文化だからね。でも、バカンスがあっても、私も、多くの人も、あんまり遊べないかも」と返した。なぜだろう。「そんなに長く休むことがないし…遊ぶことが、苦手かもしれない。何をしていいかわからないかも。」

クレイジー。小さくつぶやいた彼は、それでも丁寧に説明してくれた。「なんで?簡単だよ。起きたい時間に起きて、おいしい朝食を食べて、自然の中で疲れるまで遊んで、お酒を飲んで、語り合って、眠ればいい。」「日本は社会保障が弱いから、できないと思うのかもしれないね。オーストラリアではバカンスの間も給料が出るよ。だから若者もバカンスで出かけられる。」「自分が行きたい場所に行って、やりたいことをやるだけだよ。ね?できそうだろ?」。

お金の心配がなく、自由な時間があれば、遊べるでしょう?ということだ。ただわたしはそれでも「あ、それなら遊ぶわ」とはならないな、と思う。

時間をもったいないと思ってしまうのかもしれない。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という価値観が、古臭いと思っている反面、心の隅っこにえらそうに鎮座している気もする。そんなに時間があるなら資格の勉強をするとか…。え、だって30歳くらいまでには、何者かになりたいじゃない?


あぁ、きっとそうだ。わたしの意識の根底に、どこかそう思う気持ちがあるのだ。
何者かになりたい。
冒頭にも書いたその呪縛は、思ったより重くわたしにまとわりついている。


何者かになりたい症候群

そして自問自答する。
何者かになることで、わたしは何を得たいんだろう。
そしてやっと気付く。

特に、ない。

なんだ、じゃあわたし、
何者にもならなくていいじゃん。


30歳のわたしも、きっと未熟なままである。
それでも日々、大事なものは増えていく。
家族や友達、友達の家族、仕事仲間。
仕事の仕方、守りたいルール、譲れない基準。
思い出の服、記念日にもらった小物、悩んで買った高い家具…。

大事なものを少しずつ集めて、わたしは、わたしになっていく。
一つひとつ、拾いあつめて、両手いっぱいになったときにはじめて、持っている荷物の真ん中、つまり「軸」が見えてくるのかもしれないなぁと最近は思う。

「軸がない」「自分がない」「流されやすい」
そんな風に悩んでいた、20歳のわたしへ。
大丈夫、安心していいよ。今は見つからなくて当然。

だけど、わからないなりに、悩んで、一生懸命“正解”を探して、拾いあつめた未来に、あなたの軸は浮かび上がってくるから。
(未来が今をつくる、とも思うけどそれは長くなるのでまた今度。)

今は、目の前のことを丁寧にやること。拾いあつめるものが、そして拾いかたがあなたの未来を作ることを、忘れずにね。
がんばって!


28歳で新しい勉強をし始めた、わたしより。

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