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期待しないという誠意

最近、メンタルヘルスのためにカウンセリングを受け始めた。

お金を払ってプロに仕事として対応してもらうから、ふだん人に言えないことも、弱音を吐くこともできる。遠慮なく甘えられるとも言えるかもしれない。

自分では思いつきもしなかった考え方や、新たな視点をもらえるからとてもいい。そして、ちょこちょこ褒めてくれることもあって嬉しい。

とあるテーマから私は「良い意味で他人に期待していない」人だということで、とても褒められた。これは、何回も何回もカウンセリングを受けながら到達する考えらしい。長所として書いてもいいぐらいだそうな。驚いた。

カウンセラーいわく、人は肩書や役割などその人の属性を外して人間を見ることが難しいとのこと。属性に結びつけるから、何か期待してしまうらしい。確かに、私はそういうものが薄いのかもしれない。

最近、自分の好きな芸能人がツイッターで事実無根のデマを書かれ、誹謗中傷、ご本人がラジオで説明、ということがあった。

そのデマツイートを見たときの私の感想は「事実だったとて…」。

自分は当事者(妻や家族)じゃないし、そもそも自分が好きな芸能人のすべてを知っているなんて思っていない。人間誰しも完璧じゃないし、人生いろいろですよね、、と思っている。

(あと、信じる信じないというよりは、不確かなものはジャッジしない。不確かなものは"不確かだ"で置いておく。という感覚がある)

だから、事実かどうかは正直どうでもよくて、事実だったとて勝手に失望したりはしないよという気持ち。例え事実だとしても、本人が発することを見守りたいし、仮に"失望"したとしても、自分の人生と交わる期間は終わったのだなとそっと離れるだけ。

期待というのは、基本的に自分が勝手にするもの。失望も、自分の勝手な期待通りにいかなかったというだけだから。

うまく言えないけど「過度な期待を押しつけない」というのが、好きな人たちに対する私なりの誠意というか応援の仕方なのかもしれません。


結果事実無根がご本人たちを傷つけたわけで、こんなことあってはならないと強く思うよ。誹謗中傷が流れていたとき、どうして人はこんなにも他人を放っておけないのだろうと思った。社会問題ならともかく、プライベートな話なのに。

渦中にあったとき、そんなことあるわけないとご本人を信じる人、ご本人の好きなところを発信する人、怒る人、いろんな応援の仕方があった。それでいいんだと思う。

私は淡泊かもしれないけど、期待は押しつけず、応援する気持ちは持ちつつ、提供してくれるエンタメを頭を垂れて受け取りたいと思います。

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