見出し画像

二〇一九年、六月十日③

最初の話→赤に近い備忘録
前の話→二〇一九年、六月十日②

名もなき備忘録

セーターの裾で曇りガラスを拭うと、外には葉の落ちた街路樹が並んでいる。道路の反対側には、街路樹に寄りかかり談笑する男女がいる。カップルか。それともただの友達か。もどかしい距離感が、彼等の吐く、白い息にうかがえる。

私にもああやって笑い合える相手が居た。…そう、居た。あいつはとてもひどいやつだった。私が初めて作った肉じゃがに、ルーを入れて、カレーとして食べてしまうような男だ。しかし、私たちは血の繋がった兄弟のように息はぴったりだったし、考え方も似ていた。彼はもうこの世にはいない。なぜいなくなったのかはまだわからない。私に教えることもなく消えてしまった。やっぱりひどいやつなのだ。

目の前には暖炉が燃えている。正確には、「暖炉の中の薪が」燃えている。そして今、私の中の決意の炎も同じように、真っ赤に、煌々と燃え上がっている。いや、こんな綺麗な色ではないだろう。純粋な赤の炎はいつか消えてしまうだろうから。

真実を知りたい。彼はなぜ死んでしまったのか。私はそのために彼と同じ学校に入学するのだ。私は、彼を死に追いやった奴らを許すことができない。あの時止まってしまった私の中の時間は動き出す。春、入学と同時に。

これは私の決意の炎を、消さないための備忘録だ。そう、赤に近い備忘録だ。



表紙とも取れる1ページ目から書かれていたのは、このメモの書き出し、きっかけであろう文章である。葉の落ちた街路樹やセーターの裾と言う単語から冬に書かれたのであろうことは伝わってくる。同時に、笑い合える「私」が深い復讐の誓いを宣言している文章でもある。そして、「春、入学と同時に。」という文。恐る恐る次のページへ捲ると、


赤に近い備忘録

 探偵の真似事は楽しいか?早く私の下に真相を届けてくれ。私からできるのは、かすかな謎の提供だけである。真の謎は私に解くことは決してできないのだから。動き出した私の時間は、急速に追いついていく。浮足立っているのは、私だけなのか。初めて入った教室、隣の席は誰なんだろう、先生は当たりかな。考えるだけで胸が高鳴る。しかしそれ以上に私をわくわくさせるのは、私の与えた謎を懸命に解き明かそうとする、君たちの存在なのだ。私は耳を澄ませる。

「トイレの花子さんってホントにいるのかなー。」

「南高の七不思議だな。」

「来年まで封鎖するらしいぞ、トイレ。」

「花子さん怖くね。」

様々な声が飛び交う。

 いいぞ。さあ私は君たちに新たな謎を与えた。あとは君たちに任せるよ。探偵役は誰でもいいんだから。

 備考:それにしても暑い。この時期にあの大きな扇風機を見るとは思わなかった。いやだと言っているわけじゃない。寧ろ、どんどん風を送ってほしいくらいだ。私の炎はそれによって、より大きく燃え盛る。



前ページによって名付けられたこのメモは、赤に近い備忘録として脈々と書き出されていた。初めて入った教室、南高の花子さん。まるでリッコから聞いた噂話とデジャヴするような言い回し。何より遊びのように書かれた備考の欄に背筋が凍る。

俺も気になっていた大きな扇風機の存在。由一さんの長話が聞こえなかったのは、その扇風機のせいであった。このメモを書いている何者かは、俺たちと一緒に入学しているのかもしれない。


さてさて。探偵諸君は私の作った謎を解き明かせるかな。私はじっくりと待つよ。そしてじりじりと燃える復讐の炎に薪をくべる。…そうだな、探偵と対をなす私は、さしずめ怪人といったところか。そんなに大したことじゃないって?そんなことは私自身が一番わかっているよ。ただ恐怖心を煽る悪ふざけのようなことしかしていないじゃないかって。でもその恐怖心が思わぬ綻びを与えることを私は知っている。人間は弱い生き物だからね。彼が身をもって証明してくれたんだよ。自分の身を捧げてね。入学早々、私の噂はあっという間に広がっているようだね。人間は、情報を手に入れると言いふらしたくなるものなのさ。そう私こそが「花子さん」なるものだ。私は人間を引き込み、離さない。どれだけ壁を叩き暴れようとも決して内側から出ることはできない。その奥の小部屋にて次の獲物を待つ。どうだい?怪人なんて存在より、厄介だろう。だって私は誰にも見ることができないのだから。



「こいつがあの気持ちの悪い悪戯をしたのか。花子さん壁手形事件はこれを書いた奴のせいだろ」

3枚目を読み終えると俺は囁く。

「うん、壁を叩く、とか私が花子さんだ、とかそうとしか思えない。でもそんなの、ヤバいうちに入らないの。もっと早く読んで」

カエデは俺の発言に同調しながらも、首を振って話を戻すと、俺に対して先を促してくる。その声はひどく落ち着いていて、怖さすら含んでいる。


ついに、真実は私の元へやってきた。私は気づいてしまった。由太はお前に殺されたのだ。私はお前を許すことができない。他の何者がお前を許したとしても、私だけは許してはいけない。

1年前、私の元に贈り物が届いていた。送り主は森田由太。中には1冊のノートと1枚の便箋。便箋には、大きく、油性のネームペンで「ごめん。」とだけ、黒々と書かれていた。全く意味の分からない私は、ノートを開いてしまった。そのときの私を心から責めたいし、その行動を今でも後悔している。なぜなら、ノートを開いたことで、私の中に1つの闇が生まれたからである。あのときノートを読まなければ、今も尚、何も知らず私は生きていただろうし、私の中で由太も生き続けていただろう。そう、ノートの中ではいじめの記録と、由太の反抗が記されていた。そして、由太の死に対する決意が最後に残されていた。便箋に残る涙の濡れ痕が、「ごめん」に伝わる筆圧が、私の涙腺を刺激する。そして私は闇に支配されていく心を自覚し、由太の代わりとなって、復讐することを誓ったのだ。

今となっては、ノートを開いた当時の自分に責めこそはすれ、感謝している。真実に気づかなければ、今も空虚な幸福を生き続けていたことになるのだから。由太を失ったことにも気づかず、生き続けることに本当の幸福はない。私は彼の親友なのだ。親友でなければならないのだ。由太への親愛は、復讐となって私が示す。

そうだな。いつまでも私の怨憎を語っていると暗くなってしまうな。もっとポップに予告状みたいな言い回しをしようか。Yへの親愛は、Yが証明する。奇しくも由太と私のイニシャルが同じなのだから、これがいい。


YとYの親愛は本日をもって証明される。協力してくれた、名探偵気取りの諸君、ありがとう。


そこには森田由太のノートを受け取った自分に対する後悔と復讐の念が強く書かれていた。無機質な明朝体に宿る闇は計り知れず、またこの「私」にとって森田由太の存在がどれだけ大きなものなのかを実感させるメモである。

初めて俺が「森田由太のノート」を読んだ時の感情がフラッシュバックする。このメモの持つ感情は少なからず俺の心とシンクロしている。

しかしながら、それ以上に目を引くもの、


『Yへの親愛は、Yが証明する。奇しくも由太と私のイニシャルが同じなのだから、これがいい。』


この犯行予告の数々はYによって引き起こされた……。ここまで自分を花子さんや怪人と揶揄していた本人がそう名乗った。

そして、そのYは森田由太を殺した者、つまりいじめた加害者の「あいつ」に辿り着いていて、その復讐は本日行われると、そう書いてあるのだ。おそらくリッコとカエデが言う「ヤバいかもしれない」話は、これのことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?