ワタシハアタマガワルイ
これは自慢話ではない。
むしろ苦悩の話。
子供の頃から「頭が良いね」と言われることが多かった。そして私はその度にとても複雑な気持ちがしていた。
「頭が良いね」と言ってくれる人たちは、邪心なく言ってくれているのだと思う。有難いです、とっても。
しかし、闇深な私はその言葉を素直に受け入れられないでいる。
正直「このレベルで?」と思う。
修士を取ったとはいえ、東大でも京大でも、ましてハーバードやケンブリッジでもない、偏差値とは無縁の養護学校(特別支援学校)を卒業して、その後働きながら放送大学で修士を取った。偏差値を知らずに育ったのが良かったかどうかすらわからない。
もちろん頭の良さというのは学歴だけではないということも知っている。私を褒めてくれる人たちが、学歴だけで私を見ていないことも十分わかってはいるのだ。
それは私自身コンプレックスを持ち続けているせいだ。
学歴社会の中で学歴で判断されることのない私はある意味幸せかもしれないが、別の意味では社会の基準にすら適合しない私でもある。
そして大変にひねくれ者の私は「頭が良いね」の中に言外のニュアンスを感じてしまう。
障がい者なのに…(すごいね)
頭が良いのに…(生活が大変で気の毒だね)
頭が良いね…(いやいや、この程度ですやん)
私を褒めてくれる人たちは絶対にそんな意味では言っていないはずだ。
なのに素直に受け入れられない私はとても頭が悪い上に性格が悪い。
本当に頭の良い人たちはこんなこと気にしないんだろうな。
もし私が本当に頭の良い人間だったら、ちっぽけなコンプレックスに惑わされずに生きていると思う。
今から東大めざしますかねぇ。
無理だけど…
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