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話すことが許可されて話したいけど話したくないこと

世の中には、話すことが許可されていることと、話すことが許可されていないことがある。
更に、話すことが許可されていることの中には、話したいことと、話したくないことがある。

そして、もうひとつ、話すことが許可されていることの中に「話したいけど話したくないこと」というものがある。
私は長いことITエンジニアをしていたのでフローチャートが書けるが、条件式を使ったちょっと面倒なフローチャートだ。

私は今日、渋谷スクランブルスクエアの展望エリアで新宿方面をぼんやり見ながら、「話すことが許可されて話したいけど話したくないこと」に浸潤されていた。
路線ごとに色分けされた電車が、この世界には喜びも悲しみもないみたいにただ行ったり来たりしている。何かで聞いた広告のように渋谷の上空を飛行機が当たり前に飛んでいる。
ふと下に目をやると、大勢の人がスクランブル交差点を渡っていた。
キラキラとまばゆい光を放っている人もいれば、マントルまで落ちてその対流に飲み込まれていきそうな人もいる。

「話すことが許可されて話したいけど話したくないこと」は実にやっかいだ。
心の中でそのことに触れれば触れるほど、心はそれでいっぱいになり、時にタンパク質やリン酸塩などを含む液体が身体の一部から溢れ出そうになる。
そのことを心の中から追い出そうとすると、何人もの看守が私を捕らえて、私は独房に放り込まれ、厳重に鍵をかけられる。
どちらにしても、私は「話すことが許可されて話したいけど話したくないこと」に支配されるのだ。
むしろ何らかの制約や、”ここだけの話”ということにしてもらった方が良い。もしくは、映画『サトラレ』みたいに、思考が周囲に人間に伝播し、しかし自分だけがそのことに気づかないというような状況だったら、私は今日どれほど人から優しくしてもらえただろうか。

私は今日、無邪気に串揚げを頬張り、衝動的に香水を買い、フワフワと白いホイップクリームが浮かんだアイスコーヒーを飲みながら、フランス語学習がいかに楽しいかを語る楽天家に見えただろうか。
それとも地球の内核にまで落ちて、もう地表に上がることのできない人のように見えただろうか。

渋谷では、私も単なる人の流れを構成するただの物体だ。
「話すことが許可されて話したいけど話したくないこと」は、そこにあって、そこにはない。

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