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無駄意

叱るだけが親じゃない、楽しいことを一緒にするだけが親じゃない。 子供ひとりひとりに向き合って、その子の立場に立って一度考えてくれる親が欲しかった。 22年間、この期に及んで私は親を親と受け入れないでいる。 あなたと私は親子であって、あくまで一個人で性格も考えも環境も違うよ。と伝えようとして何度逃げられてきたことか。 私にとっての向き合うは、まず相手の意見を聞き入れ、相手の立場になって気持ちを考えることだった。 私は私の言葉を聞き入れて欲しかっただけだった。 親の概念じゃ

    • 産みの苦しみとは

      0から1を生み出すことは難しい、そう思うことが増えたので書く。 人の相談を聞くことがよくあるが、その時その場で生まれた言葉というものは自分のものなのだろうか。と疑問に思うことが増えた。 質問に答える、ただそれだけなのだが人から与えられた問題の答えを解答欄に書くような感覚でいて、果たして解答者が私であった意味は、と自分自身に対する答えは見失う。 感情も感覚も、言葉ですら、出来事や人から与えられたものであって、自分を示す自分たる所以とはなんなのだろうか。 0から1の間にある私

    無駄意