産みの苦しみとは

0から1を生み出すことは難しい、そう思うことが増えたので書く。



人の相談を聞くことがよくあるが、その時その場で生まれた言葉というものは自分のものなのだろうか。と疑問に思うことが増えた。
質問に答える、ただそれだけなのだが人から与えられた問題の答えを解答欄に書くような感覚でいて、果たして解答者が私であった意味は、と自分自身に対する答えは見失う。

感情も感覚も、言葉ですら、出来事や人から与えられたものであって、自分を示す自分たる所以とはなんなのだろうか。
0から1の間にある私とは、と考える。

近頃(といってもここ5年ほど)の私は、人の感情たるものを受け入れることなくまた人へ流すだけの機械で、親の細胞の交わった皮を被ったただのモノなのではないかと思う。随分とお気楽でいいのだが。
私と関わる人たちは私を何と捉えているのだろう。そういった評価を求めて人は生きているのだろうな。
相変わらず当事者意識はまだ無いし、痛みも悩みもなく日々を過ごしております。

皆様今日も自分を愛してください。








誰が言うとんねん。

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