無駄意

叱るだけが親じゃない、楽しいことを一緒にするだけが親じゃない。

子供ひとりひとりに向き合って、その子の立場に立って一度考えてくれる親が欲しかった。
22年間、この期に及んで私は親を親と受け入れないでいる。


あなたと私は親子であって、あくまで一個人で性格も考えも環境も違うよ。と伝えようとして何度逃げられてきたことか。
私にとっての向き合うは、まず相手の意見を聞き入れ、相手の立場になって気持ちを考えることだった。

私は私の言葉を聞き入れて欲しかっただけだった。
親の概念じゃなくて、親の気を窺って選ぶ言葉じゃなくて。
今私のいる環境から、今私が感じた気持ちから、そんな言葉たちを聞いてうなづいてくれるだけでよかったのに。

「家族であんただけ浮いてる」
この言葉を聞いて私は何も感じなかったし、何も疑問に思わなかった。当時は。
あるきっかけで2021年の初夏に家を出てから、度々考えることがあった。
私の思考は親の為にあるものじゃないんじゃないか。
疑問を抱かなくなるこの環境に恐怖すらあった。
あれやこれやと出てくるたくさんの疑問、傷ついた過去、何度も何度も泣いた。

何も思わなかったが、今傷ついていたことに気づいたことを書く。

[私がいじめにあっていた長い学生時代のこと]
学校があまりにも辛く、勉強に逃げ、ネットに逃げた私もとある瞬間に限界がきて、死のうと思った。
親に全てを報告し、答えをもらわなくちゃ生きていけないと思っていた私は、その意思を伝えた。
返ってきた言葉は「じゃあ死ねば?」
当時の私は許された気がして、実行に移そうとした時、笑われた。馬鹿じゃないの、と。
悔しくて苦しくて、怒ることも返すこともできず、ベッドに戻り横たわって静かに泣いた。何も言われずに3日ほどすぎて、ご飯の時間、と呼ばれた。
いつもご飯の時間がきたら、声をかけられ、何も無かったことになる。

きっとこの瞬間に私は、親を親として受け入れる皿がすべて粉々に砕けたと思っている。

中学を卒業し、その打ち上げがあった日。
母は、泣いた。
「いじめの話を聞いたとき、どうしようかとおもった。死ねばいいと言われた時、死なないってわかってた。」

私はこの言葉がまだ、苦しい。
どうしてその時に向き合ってくれなかったの、一度でも手を伸ばしてくれなかったの。あんなに苦しかったのに、分かってたとしても何で笑ったの。全部が苦しい。


あまりにも悲しく悔しく苦しく泣けてきたので、今日はここまでにします。

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