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歴史探訪ドライブ〜福知山編〜

久しぶりの投稿です!
ずいぶん前の記録ですが、自分自身の覚えのために、今回はGW前半に行ってきた小旅行についてのご報告を。

(少しでも早く目標の単位を取り切ろうと、今学期は私にしてはかなり無理をして科目を多めに取ったため、日程的に余裕が全くない状態!日々通信の勉強に追われています💦やっと今日、期限ぎりぎりに中間課題が提出できたー!
そんなわけで、書き留めておきたいことが沢山あったのに、なかなか投稿する時間が持てず、一ヶ月も前のことを今頃投稿することになってしまいました😅)

福知山まで行ったのは、実は新車(中古車ですが💦)をお迎えに行くため。
20代半ばで初めての相棒を迎えてからかれこれ6台目になりますが、今回は初めて中古車の入手にチャレンジしてみることにしました。
年明けから毎日ネットで中古車サイトとにらめっこしつつ、最初は県内から東海地方全域まで広げ、最終的にはさらにその周辺圏まで手を広げ、値段・条件ともに「これだ!」という納得の一台を見つけたのがたまたま福知山だったというわけです。

せっかくはるばる福知山まで行くのだから、納車日がGWだし観光も兼ねてしまおうということで、福知山から途中の敦賀にも立ち寄り、温泉や美味しい食べ物なども楽しんできました😋

福知山といえば大河ドラマでもお馴染みの明智光秀の築いた城下町。
やっぱりプチお城好きのプチ歴史好きとしてはここは欠かせないでしょうということで、福知山城にも行ってきました。

ふもとのゆらのガーデンに隣接する駐車場から福知山城を臨む。
長年お世話になった今はもう手元にない愛車が左手前に見えます。

「裏切り者」のイメージの強い明智光秀ですが、無駄な税を省いて領民の暮らしを安定させたり、度重なる川の氾濫から領内を守るため堰を築いたりと、ここ福知山では今も「名君」として慕われているんですね。

天守閣からの眺め。川沿いにこんもりと木々が生い茂っているのが光秀の築いた明智堤

大河ドラマ「麒麟がくる」の実現は福知山の皆さんの長年の願いが結実したものだったそうです。お城の再建も地元の方々の悲願だったらしく、「昭和の瓦一枚運動」という市民の皆さんの寄付で実現させたとのこと。

光秀公、福知山の皆さんに愛されているんですねー。

とはいえ、織田信長に命ぜられ苦労の末に成し遂げた丹波攻略。その後に完成した福知山城の城主として光秀公が在任した期間は、本能寺の変までのわずか3年足らずという短期間だったようです。

前述のように、現在のお城は建て直されたものですが、残されていた図案から設計図を書き起こし、限りなく当時の姿に近い形に作られているとのこと。
誰もがイメージするような典型的な天守閣ではなく、東西南北違う角度から見る度にまったく違ったイメージの姿が映し出されるという、当時としてはとても新しく、スタイリッシュなデザインだったことが想像できます。

敵が攻めてきた時の「石落とし」のデザインなどは福知山城ならではのもの。通常の形と違い、2階の床が一回り大きく張り出されて一階の屋根の日差しと一体化した造りになっていて、一見「石落とし」が隠れているとは分からないような構造になっているんです。

屋根の内側に隠れるように設けられた石落とし
野面積み工法で作られた石垣

五輪塔などの転用石が用いられていて、天守閣の現存する石垣としては非常に珍しいものだそうです。見た目より質重視。光秀公の形式にとらわれない合理的な考え方がうかがえます。

光秀公、恐るべし。建築家としての才能も秀逸だったのですね。

竜王戦対局会場

藤井聡太竜王が昨年秋に、広瀬8段と対局した竜王戦の特設会場が公開されていました。
ミーハーなのでつい喜んで写真を撮ってしまいました(笑)
それにしてもお城の天守閣の中で将棋の対局とは、なかなか憎い趣向ですね!この環境で集中できたのかしら…

とこんな感じの、初福知山探訪でした。
何度も訪れている京都市内とは全然違って、京都北部はゆったりとしてどちらかというとのどかな雰囲気。高いビルなどもないし、山も海も近く、暮らしやすそうな町だなあというのが私の印象でした。

長くなったので、ここまでを「福知山編」として、続きの「敦賀編」はまた次の投稿でご報告します😋