見出し画像

『物語のなかとそと』

   私は江國香織のようにはなれないと思い知らされた。みてる世界が違う。でも、この人の言葉を通して垣間見れる、読んでる間だけその世界に入り込める、そのくらいで充分なのだと、知った。

   久しぶりに行けた大きい本屋で、最新刊、との帯を目にして即購入した江國香織の散文集。後から分かったことだけど、これ最新刊なの?と一瞬思ったのは2018年に単行本ででていたからで、文庫本がこの春にでたということだった。何故今の今まで読んでいなかったのか不思議。

   だめだめ一気に読んだら、と思いつつ数時間で読み切ってしまった。この散文集を読みながら、私は文字通り泣いて笑って震えて悶えた。こう書くと波乱万丈ストーリーを読んだかのようだけど、内容としては静かなエッセイや掌編小説だ。なにしろ最初の「無題」で好きすぎて泣きそうになったし、少しあとの「食器棚の奥で」では、そのたった二頁で涙がでてきて、これは、思いがけないことだった。この人の文章を読んでいるとこういうことがよくある。不意に触れられるので、うっかりしていると気持ちが外に溢れてしまう。ある種の魔力を孕んでいる。

   小説の類を除くと、もしかしたらこれまでで最も共感し、感動した作品になるかもしれない。多分今の私にぴったりだったのだ。全部は語らないにしてもそのいくつかについて、書きたい。

   まず「食器棚の中で」。これはもう、どんぴしゃ。私の根底にありながらもずっと心に留めておきたいことを、他でもない江國香織が、この方だけの言葉で文章にしてくれた。ほんの数行で。そして同じことを思っていたのだということ(この世にもう一人だけ等しい意味の言葉を与えてくれた人はいる)が、本当に嬉しかった。安心もしたしどこか納得もした。

   あと「子供の周辺(二)」と「遠慮をしない礼儀」。

大人はいいなあ。子供に、そう思わせることのできた彼らは恰好よかった。_『物語のなかとそと』「子供の周辺(二)」より

   お酒を飲みながら食事をし、お金はたっぷりと使い、軽やかに談笑する。ひけらかしはしない優雅さをもった大人たちが、たくさんではなくとも、私の周りにもいた。書かれていたように、仕事も子育てもあったはずだし、そこをみせないようにしていたわけでもないと思う。でもそれ以上に、その場において愉しさをみせてくれていた。

   相手にできるだけ負担をかけたくない、と言えば聞こえはいいが、大抵の場合、それは不遠慮だと思われたくないという、子供じみた保身だ。何でも好きなものを、と、もし心から言われたら、遠慮は無用が大人の礼儀だと、私は思う。 _『物語のなかとそと』「遠慮をしない礼儀」より

   そしてこれも、私は同じ人達から学んだ。ここではご馳走してあげる、という局面が大人ならではだけど、そうでなくても相手の、何かをしてあげるよ、という心が伝わったならば甘えることが大事だと。こんな大人の存在は必要だと、今になっても思う。子供はとてもよくみていて、またそれを覚えているし、多くを知りすぎる時代だもの。

   あとはやっぱり「ここに居続けること」で書かれる本を読んでいる時の幸福感。没入感。読んでいる最中トリップしているかのように世界に入り込みどこかへいくのと同時に、しっかりと身体は現実の時間を過ごしているんだよね。ここと、ここではない場所の二つを同時に存在している状態、とは、なんて巧みな表し方だろうとうっとりする。

すばらしい本を一冊読んだときの、いま自分のいる世界まで読む前とは違ってしまうあの力、架空の世界から現実にはみだしてくる、あの途方もない力。_『物語のなかとそと』(あとがき)より

   私は、本には映画とも漫画とも違う魅力を感じている。それがなにか、これまで上手く言葉に出来なかったけれど、ふと、ひとつは気配かもしれないと思った。人同士が気配で惹かれあうように、言葉のみによってしたためられたその本が放つ気配に、惹き付けられているんじゃないかな。

   noteや日記を書いていたりすると、感想の部分でどうしても同じ言葉を使うことがある。例えば、すばらしかった、素敵だった、面白かった。そんな時に、その言葉を与える対象に100%の重みで伝わると良い、そうあってほしいといつも思っていて、これは語彙力なんかの問題ではないので、だから別に難しい言葉じゃなくてもいい。でもたまに前に使った時にそのすべてのパワーをそそぎきってしまったように捉えられかねない危うさを感じる時がある。その点、江國香織さんは、その都度その都度この人の内側から同じ分だけ、たっぷり含ませながら言葉を使うことをやりのけてしまう人だ。本がなかったら生きていけないなあということと、この人にラブレターを書きたいなということを思った。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?