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風日記⑤ 喫茶店とサステナビリティ

喫茶店は、私たち人間の不揃いな人生を祝福する場所なのかもしれない。

私はつい最近まで、ある町の喫茶店で働いていた。いわゆる地域密着型の、ちいさな地下喫茶。マスターは二代目として半世紀近くお店を守っている。常連のお客様も多い。ぼんやりとした黄色の照明。都の受動喫煙防止条例が施行される2020年4月まで、店内は愛煙家で溢れていたので、壁には今でもうっすらとヤニがつき、焦げ茶色のテーブルとカウンターが鈍く光る。

モーニングはトーストかホットドッグ。加えてサラダ、ゆで卵、日替わりの付け合わせが乗っかっているワンプレート。170円。ブレンド珈琲は350円。呆れるほどの安さ。

オーディオから聞こえるのは有線番組「A-18」。延々とオールディーズが流れている。マスターのお気に入りは、Ben E. King “Stand By Me”、The Righteous Brothers “Unchained Melody”。お気に入りだとわかるのは、この曲がかかると決まって鼻歌をうたうから。私が好きなのは、Skeeter Davis “The End of the World”、Lesley Gore “You Don’t Own Me”。

洒落たカフェではない。小綺麗でもない。気取らない、ふつうの喫茶店。しかし来る人、働く人、みんな何だか面白くて、いびつで、真っ直ぐで、生気に満ちている。それは、あの店が自然と他者を肯定するスタイルだったからだと思う。

あつあつのブレンド珈琲、言葉あそび、煙草のhi-liteが好きなマスター。彼は常連だけでなく、数回来たお客様の注文、よく読む新聞・雑誌、食べ物の好みを記憶している。「50名くらいは覚えている」とマスターは言うけれど、絶対にもっと多いはずだ。私も自然に覚えるようになった。お客様の顔を見て、思い出す。

ブレンドは大きいカップで/ミルクは要らない/お水は大きいグラスで/きゅうりは抜く/マヨネーズはたっぷり/バター少なめ/ガムシロップ多め/ホットドッグはダブルで/ストレート珈琲は必ずモカマタリ……等。

ささやかなワガママを、快く受け入れる。当たり前だ。私たちは違う人間なのだから。マスターはそういう考え方をしていた。スタッフの帰り際、マスターは毎回お土産をくれる。チョコレート、お団子、お向いのラーメン屋のチャーシューの切り落とし。クリスマスと誕生日にはプレゼントをくれた。給与明細は手書きで、いつも短い手紙が付いていた。さも当然のように。マスターが生み出した、お手製ヒューマニズムが、あの店を特別な磁場にしていたのは確かだ。

そんなマスターの引力に吸い寄せられた人々を、私はいつも狭い厨房から眺めていた。

常連の書道の先生は感謝の手紙を添えて小さな書画をくれる。必ず持参の箸でトーストモーニングを召し上がる。

ある男性は店で恋人にプロポーズし、毎週一緒に珈琲を飲みに来る夫婦となった。

ブレンド珈琲をおかわりするおじいさんは、飲んだ珈琲の杯数とお財布の中身が数えられなくなった。しばらく会っていない。

誰かが来て、誰かが去る。
名前も知らないあの人のお気に入りを覚え、作り、見守り、見送る。
それを繰り返す。
その尊さと儚さを、胸に刻む。

赤の他人の人生など、心など、わかるものか。違う人間なのだから。
しかし、だから、愛おしい。

私たちは消費する。絶え間なく変化する。常に新しいことを求める。社会は私たちにフレッシュで高度な思考を贅沢に要求するが、私たちが自分のためだけに費やす、不合理な感情、無目的な回り道を許すことを、贅沢な「浪費」と称するよう仕向ける。最短の解決法を導け、柔軟に。余分なものは嗜好品だ。不要不急だ。害だ。時短だ。節約せよ。

変わっていく景色を受け入れなければいけない。禁煙条例。感染症の流行。エチオピアの内戦が激化し、モカマタリの豆は入手困難となった。あの喫茶店を継ぐ人はいない。

それでも私たちは、少しくらいは意地を張って、お気に入りを守り通したって良い。そのためにエネルギーを割くのは、浪費ではない。人生の移ろい、喜びや悲しみを見つめ、心に棲みつく不格好で孤独な生き物の毛を撫でてやればいい。喫茶店は、私たちが人間らしくあることを許す、人生の余白を提供してくれる。

そして誰にも聞こえない、優しいおまじないをかけてくれるのだ。

「忘れないで。立ち止まることを。あなたの好きなことを」

つづく


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