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働きながら大学院で学ぶ:Harvard Medical School編

受講の経緯

九州大学大学院を卒業して2年半が経過した頃、一つの転機が訪れた。職場のボスが「これ興味ないか?」と研究トレーニングプログラムの案内を送ってくれたのだ。それはHarvard Medical Schoolが提供するCertificate Programで、Introduction to Clinical Research Traniningというものだった。海外ではacademic qualificationとして、Certificate, Diploma, Master, PhDという序列がある。それぞれ履修期間と達成すべきことが異なり、学位として認証されるのはMaster以降であるが、それ以前のqualificationも正式なトレーニングとして履歴書に記載することができる。

プログラムはもともとはドバイなどで行われていたものだったが、当時日本初開催になるということで、様々なところにプロモーションがあったようだ。ボスの元にも案内が届き、私に声がかかったという経緯だった。

実は、九州大学を卒業してから、自分もプライマリ・ケアの研究に関わるようになっていた。当時自分は北海道家庭医療学センターのフェローが行ったある研究を論文化するプロセスをサポートする役割を担っていた。が、査読対応が何とも大変だったのである。というのも、自分は医療経営・管理に関する研究についてはある程度のことを学んでいたつもりだったが、それ以外の研究テーマにおいて査読者と十分渡り合えるほど、成熟していなかったのである。

つまり、このプログラムは渡りに船だった。プログラムの主なゴールは以下のようなものだった。

・生物統計と疫学の主要概念の理解
・RQの立案と検証可能な仮説の作成
・研究をデザインし、実施し、発表する
・構造化された論文を書く
・論文を批判的に吟味する
・Stataを用いて統計解析を行う
・臨床試験の倫理的事項を評価する

これをやれば査読対応でも戦えるかもしれない。そう思って応募を検討することにした。実際の応募にあたっては以下のブログを大いに参考にさせていただいた。これで受講後に得られるものが具体的にイメージできたということが、受講を決める要素として大きかった。

さて、こうなるとネックになってくるのが受講にはお金がかかるということだ。そこでどうしたか。

企画書を書いた。

学習で得たことを組織に還元する具体的な道筋を書き、それが目的を達成する他の手段よりもcost-effectiveであるということを、合理的に説明した。医療経営・管理学専攻出身なので、そういうことは苦手じゃないのである。かくして、無事にスポンサーをゲットし受講できることになったが、このような提案をしっかりとサポートしてくれるあたりに、組織の懐の深さを感じた。ちなみに、ここで書いた企画書の通りしっかりと学習の成果をはき出し、無事にフェローの査読付き英語論文をpublishにこぎつけることができた。余談かもしれないが、私が企画書を書くときに雛形としているのが下記の書籍である。

さて、ちょっと驚きなのだが、実はこのプログラム、英語で行われて英語で評価されるのにも関わらず、応募の際にEnglish qualificationの提出が必要ないのである。だから言ってみれば、書類審査だけなのだ。日本開催初年度なので倍率もきっと高くなく、何とか潜り込めるだろうと思っていたが、無事に潜り込めた。


プログラムの概要

プログラムの期間は2018年1月から7月までの約半年間だった。年2回各4日間のon-site(沖縄)でのワークショップと、webを通じての遠隔講義や課題提出などを通じて、学びを深めていく仕組みになっていた。講義はEpidemiology, Biostatistics, Ethics, Stata Workshop, Clinical Trialsのmoduleから構成されている。それぞれのmoduleは10回前後のlecture seriesから構成されており、それぞれ2-3回の課題提出(Quiz)がdutyとなっていた。興味深いのは全2回のTeam Assignmentという課題があり、実際に研究デザインをチームで考えて発表したり、倫理的に問題のある研究についてどこが良くないかを発表したりする機会があったことだ。これらの課題は、研究を行うためにはチームでどのように動くべきか学ぶことが極めて重要である、ということから設けられているそうである。プログラムのハイライトは、論文abstractを作成し、英語でこれを発表している様子を録画して送付するというindividual assignmentである。このabstractは統計ソフトStataを駆使して自分でデータを加工しなければ作成できないようになっており、プログラムで学んだことをフル活用して挑む課題となっていた。幸いStataは九州大学での修士論文でも使用していたので、ここは問題なくクリアでき、無事にプログラム修了の日を迎えることができた。これ以上の詳細については、前述のブログもぜひ参照していただきたい。

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プログラムの意義

このプログラムの効果の要点は、以下の2点に集約できるように思う。

まず第1に、このプログラムは論文執筆に必要な最低限の知識パッケージを極めて効率よく提供してくれる。自分は九州大学大学院で研究の手ほどきを受けたが、自分が行う研究と関連が大きい分野を重点的に指導教官から学んでいたため、他者の研究指導を行うために必要となる研究知識の幅広さを十分にカバーできていなかった。このプログラムでは、どのような研究デザインがあり、なにが注意点なのか、どのような解析があり得るのか、倫理的に注意が必要なのはどのような点なのかなどについて、極めて効率的に学ぶことができる。さらに、課題があることで知識を実際に使用することができ、学びが深くなっていくことを感じた。

第2に、このプログラムは英語で表現しなければならない場面に事欠かないため、論文執筆や海外での発表の練習になる。論文投稿の際に和英翻訳を利用したことがあるが、翻訳は意図していないものとなることも少なくないように感じられ、意図したことをしっかりと英語で表現できる力は論文執筆には不可欠と考えていたところだった。また、よい論文作成のためには、よい学会発表とそこから得られるフィードバックも大切であることから、こうした作業を一貫して英語で行うことができれば、論文執筆能力は極めて高くなると思われる。


痛感した英語力の低さ

実は、このプログラムで痛感したことがある。自分の英語力の低さである。もちろん、日頃から論文など英文を読んでいたので、readingには不安は全くなかった。プログラム受講が決まってからlisteningの役に立ちそうなコンテンツを車内で聞くようにしていたせいか、listeningもそれほど苦労しなかった。しかし、プログラムで講師から意見を求められても、英語が全く出てこなかったのである。そう、受け取ることはできても、発信することができない状態だったのだ。フィリピンから来た脳外科医とも友達になったのだが、彼女との会話でも1回目のWSの際はスムーズに話せなかった。これを受けていろいろと勉強し、2回目のWSではまぁまぁ、ちょっとだけ、話せるようになっていた気がする。2回目のWSまでは半年しかなかったので、以下の書籍に絞って勉強した。

このときまで海外旅行もほとんどしたことがない英語ど素人だったのだが、この経験がきっかけで、英語を使って学ぶ次の扉を開くことになる。このころから、英語さえ使えれば、どこにいても学んでいくことができるという、確信のような手応えを感じ始めるようになっていた。日本プライマリ・ケア連合学会が推進していた海外General Practitioner(GP)交換留学プロジェクトで英国GPの受け入れを行ったのも、この経験のあとであった。

新しい扉を開くのは、いつもその直前の自分なのだ。

 



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