「推し」がいる人がうらやましい話

タイトルの通りです。

推しがいる人がとてもうらやましい。学生時代の友達には「推し」と呼ばれる存在がいる人が多かった。特に中高時代。
それはアイドルであったりアニメや漫画のキャラであったり声優さんであったり様々だが、とにかく「推し」がいる人が眩しかったし、今も憧れる。

そして、その人たちが「推し」について語る時、直視できないくらい輝く。こんなエピソードがある とか この人とあの人の人間関係が良い とか話題も様々。少し聞いただけで「推し」に対しての愛が溢れてるのがすごくわかる。

私には好きなものを好き!と言えること自体がうらやましかった時期があった。(以前書いたテラハの話にも通じるところがあるかも)

https://note.com/gozarugozaru/n/n0a7fc1c61806

なぜかというと、
自分が好きだと思ったもののことを話す時、相手も同じものを好きだった場合、好きの密度が変わるように感じる。絶対に同じレベルで好きなことはほとんどなく、熱量の違いや好きの種類が違うと互いに違和感が生まれるだろう。
また、相手が知らないものを好きだという時、勝手にその好きなものを紹介する代表者になってしまう。もし、その好きなものを相手にプレゼンするのが違う人だったらもっと魅力が伝わっていたのではないかと考えてしまう。
だから、手放しに好き!とは言えず、そもそも好きってなんだっけと考え出してしまって結局言えない。

なぜ私が好きなものを好きだと言うことを躊躇うようになったのか考えると、中学時代に経験したある出来事からな気がする。

当時、私の周りの友達にはジャニーズが大好きな子が多かった。私はジャニーズにハマることなく今日まで来たが、周りがその話をしてたこともあり、いつもその話を聞いていた私は少し詳しかった。
ある日、いつものように話を聞いているとジャニーズの中で誰か好きな人はいないのかと聞かれた。強いて言うならとある人の名前(Aとします)を出したのだが、それが回り回ってAのことが大好きな子の耳に入った。
次の日、「(私)ちゃんもAのこと好きなの!あの曲はああで、この曲は〜」と話しかけられた。
でも、そんな熱量は私にはない。強いて言うならと挙げた名前だし、少しはわかるがファンを自称しているその子にとっては私が話すことは物足りないだろう。しかし、好きなことで盛り上がれると思ったその友達にはとても申し訳なくてなかなか言い出せなかった。その時、好きだなんて軽く言っちゃいけないと思った。
他にも似たような出来事が大学の時にもあり、にわかとか古参とかの言葉をとっても気にするようになった。

アナ雪の「とびら開けて」の歌詞で

教えてよ 何が好きか
サンドイッチ
僕と同じじゃないか!

とあるが、久しぶりにこの前聞いた時に、ああそんなノリでいいんかって思った。(英語の歌詞だと意味が全然違うけれど)
このあとサンドイッチについての話は全然出てこないし、どんなタイプのサンドイッチが好きなのか、絶対に外せない具は何か、おかず系が好きかスイーツ系が好きか、などなど話題は尽きないと思うけれど掘っていくときっと それは違う ってなることがあると思ってた。

何で見たかは忘れてしまったけれど、星野源さんが古参とかにわかとかなくて好きの度合いだからみたいなことを言っていて(多分こんな感じのニュアンス)とっても素敵な考え方だと思ったし、そういう言葉を気にしなくなったきっかけにもなった。

きっと、好きの中の 違う を楽しむことができれば最高なんだろうなと最近思う。好きの度合いも人それぞれで、無意識のうちにやってしまっているかもしれないが、自分の尺度を押し付けないようにしたいとも思う。

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