HSP双子子育て:AC(アダルトチルドレン)

長らく放置してしまっていたこのnoteですが、素敵なご縁からまた書いてみようと思いました。今回は、AC(アダルトチルドレン)とHSPのある自分のこれまでについて書きたいと思います。

AC(アダルトチルドレン)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指すそうです。HSPとACは別々の概念なので、「HSPでとても怖がりで繊細だけれどACではない」という人もいれば、「HSPではないけれど心に傷を抱えて大人になったAC」という人もいっぱいいます。でも、HSPの人はACになりやすいといわれているそうです。かく言う私も多分にもれずHSP持ちのACでした。(現在回復途中です。)

AC(アダルトチルドレン)が幼少期に起きた心の傷が原因で起きるのだとしたら、HSPの人がACになりやすいというのはとても理にかなっていると思います。なぜなら、HSPの人はとーっても傷つきやすく、傷が残りやすいと思うのです。

それはうちの双子(片方だけHSP)の行動や反応を見ていても、日々感じます。例えば、叱られた後の反応。非HSPの子供②は、強めに叱られて泣いても、「もういいよ」と言うとその次の瞬間に「じゃ、遊んでくるね!」とケロッと切り替えられる(こっちはこっちで極端ですがw)。かたやHSPの子供①は、ズーーン・・・と沼の底に沈んだように凹み、引きずる。驚いたのは、まだ4歳なのに、昼間にやってしまった失敗を寝る前に思い出して一人涙しながら反省会をしていたこと。同じことが起きても、それが記憶にのこるかどうか、自分を責めてしまうかどうかというのは、先天性の要因がとっても強いんだなと改めて感じています。

以前、ある脳科学者の先生の講演を聞いたとき、「PTSDになりやすい人の脳は偏桃体の容量が大きい」と話されていました。例えば大震災などがあったとき、みんなが同じことを経験をしても、それが心の傷として大きく残る人と残らない人がいる。それを調べると、傷が残ってしまう人は脳の構造的に違いがあったと聞き、とても納得した記憶があります(注:この先生の話とHSPとの関係についてはわかりません)。

思えば私も、4歳くらいの時の失敗や恐怖の記憶をたくさん思い出せます(笑)。例えば友達の家に行ってトイレを開けたら友達のママが入っていた!とか、プールでおじいちゃんに後ろから抱き着いたら知らないお爺さんだった!とか、今思えばとんでもなくどうでもいい話も多いですが(爆)。怖いニュースを聞いた、祖父が病気になった、戦争のテレビを見た・・などあらゆる恐怖体験がトラウマ化していました。それぞれの瞬間に、心のカメラで自動的にシャッターを押してしまい、そのデータが消去できない。そんな感じです。

また、元来怖がりで新規場面が苦手な私は、幼稚園になじむのに1か月以上かかって毎朝大騒ぎする、自分から始めたスイミングスクールが嫌すぎてドロップアウトする、転勤族だったので転校するたびにプチ登校拒否を起こす・・など、あらゆるダメエピソードを起こし、それらを丁寧に心にコレクションして育ちました。まるで自分がダメということを証明するために証拠を集める弁護士さんのように。3人姉弟のうち、真ん中の私だけHSPタイプであるということも、自分が欠陥品だと信じる強力な材料でした。

そしてタチが悪いのが、その時の親の反応までしっかり覚えていること。「お母さんはこの時こうやって言って怒った」「あの時こういう態度を取られた」「お姉ちゃんのことだけ褒めた」など、めーっちゃ根に持っている(笑)。親になってみれば、絶対に子供を傷つけないことなんて出来ないし、まして子供側がそんな受け取り方をするタイプなら絶対に不可能。でもそんなことには思いが及ばず、「私は欠陥品」「親は私が嫌い」「問題を起こさず、役に立つ人でないと愛されない」「私だけ愛されていない」という刷り込みをがっつり抱えたまま大人になりました。

前提が「自分は欠陥品」という状態だった私は、「人並みになりたい」「少しでもマシな人になる」をモットーに生きてきました。特に、勉強はやればやるほど成果が出たのでとても頑張りました。運動も絵も習字も、賞レースはめちゃくちゃ張り切っていたし、色々とできていないのに改善努力をしようともしないクラスメートのことは「ぶっちゃけ何で生きているんだろう」くらいに思っていました(・・今思うと本当に嫌なヤツ!!(笑))

ところが高校3年生の時、受験のプレッシャーから自分の腕をつねる癖が出てきました。腕が変色しても、やめられない。昔から、かさぶたをはがしたり、口の内側を噛むなどの自傷っぽい癖はありましたが、たいしたことはなかった。でもこの時は家族にもばれてしまい、「腕の色変わってるよ、やめなよ」と言われました。結局大学に受かったらスルっとやめられましたが、この腕をつねる癖は、後にも試験などの精神的なプレッシャーがかかると何回か登場しました。

実は私は、高校生の時に自分の天職とも思える憧れの職業に出会いました。大学に入ってからは、「将来その仕事をするためにはいろいろな経験をしておいた方がいい!」とのモチベーションでバイト、ボランティア、留学、ゼミ・・などめちゃくちゃハイパーな生活をしました。今思えばそんなことはないのだけれど、サークルの飲み会とか、だらだら友達の家で遊ぶことなどは「無駄」だと思ってできるだけ切り捨て、”有益”なことだけをやろうとしていました。自分は夢に向かって努力してる!最高の環境にいて頑張ってる!と「充実依存症」みたいな感じだったなあと思います。もちろんそのおかげで今があるので、悪かったとは思いません。とにかくよく頑張って、お疲れ様と言いたい気分です。

このように「努力・前進こそが正義」で生きてきた考え方が少しずつ変わり始めるのは、20代中ごろからです。きっかけは、姉が精神的に病んだことでした。(つづく)




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