HSP双子子育て:生きづらい大人期

「つづく」と言いながらなかなか続かないのがこのnote。読んでくださる皆さまには、感謝しかありません。いつもありがとうございます。

前回は、自分のHSP特性と、自分へのダメ人間の烙印、そこから必死に生きた20代前半までを書きました。その後、20代後半からは姉のうつ発病から家族が大混乱に陥ります。姉はプライベートや仕事でパツパツになっていた時期に、母から来る色々な愚痴を全身で受け止め、心が壊れてしまいました。しっかりしていると思っていた姉がおかしくなってしまった!というわけで、母はパニックになり、父は意外にも私を頼ってきました。「私は愛されていない」と思っていた自分が急に親に頼りにされたことは、なんとなく嬉しい一方で、心の混乱を招き「自分は愛されていなかったはずなのに、急になんで・・」「自分がおかしくなっても親はこうやって大騒ぎしてくれるんだろうか・・」など悶々と考えていました。

今思えば、うちは両親も祖父母もみんなACでした。前回の記事で、HSPは傷が残りがちなのでACになりやすいと書きましたが、私がACになったのは、HSP特性に加えて、やはり親や祖父母の影響だったと思います。今、親を責める気持ちは全くありませんが、親自身も傷を癒せず大人になっていたので、私もまたそれを受け継いでしまったのだと思います。

ところで姉が発症した頃の私は、ある専門職として働き始めていました。学生時代から「叱られる」ということを過剰に恐れていた私は、職場でもミスをしないか、叱られないか、みんなに迷惑をかけないか、毎日最新の注意を払って120%頑張っていました。いつも警報アンテナをバリバリ立てて生活していたので、心が休まることはなく、いつも疲れていました。こんなにストレスに弱いのに、なぜあんな人の命を預かる危険な職場を選んだのか・・。もしかしたら、どこかに変わりたい願望や”私だってできるはず”という意識があったのかもしれません。上司も同僚にも恵まれ、自分を認めてくれて、本当に有難い職場だった一方で、知識も経験も増えてくると、いよいよ私は「頭でっかちの、わからない・できないを言えない大人」になっていました。

人相手の仕事をしていると、知識や経験だけでなく「人間力」がとても重要になります。気さくにコミュニケーションをとったり、必要な時は交渉したり、心を開いて信頼してもらったりなど、一歩つっこんだやり取りが最終的には必要になる。でも、私がそれがとても苦手でした。こういう力は、きっとこれまでの人生で”無駄”と切り捨ててきた人とのやりとりで養われるものなんだろうなあと、今になって思います。でも私は、いつも自分を「できる」「できない」「良い」「ダメ」というジャッジしていたためか、人のこともそういう評価しかできなかった。だから、相手を警戒させてしまい、心を開いてもらえないのです。

特に、子供には好かれなかった。最初は仲良くしてくれていても、ファーっと離れて行ってしまう。きっと、怖かったんだろうなと思います。私も、いつ無邪気に自分の弱点をついてくるかわからない子供のことは恐怖でした。グイグイつっこんでくるコミュニケーションスタイルの人とか、私の話題で笑いをとってくる先輩とかも、苦手でした。今思えばそれがコミュニケーションのきっかけだったのに、体中に埋め込まれた「地雷」が次々に爆発して、「やめてくれ、馬鹿にしてるのか!」とoffendされていました。

話は逸れますが、このoffend(オフェンド)という英単語は、「気分を害する、怒る」という意味がありますが、米国留学したときにこの単語のニュアンスが「私のこと馬鹿にしてるでしょ!」というような時の気持ちにピッタリだなあと思ったのでなんとなくよく使っています。

というわけでoffendされやすい、触れられたくないことばかりのイタイ大人になっていた私は、生きづらさでいっぱいでした。大勢の飲み会の後などはよく「なんだかよくわからないけど、死にたいかも」と思っていました。そこで生きづらさ解消のため、いろんな自己啓発本を読んでみたり、NLPやスピリチュアル系のカウンセリングを受けてみたり、試行錯誤をしていました。でもすべて一回で終わってしまい、逆にカウンセラーに激怒したりしていました。

その頃、ある時姉に「自分は親に”一番”愛されていた気がしない」という話を打ち明けました。そうしたら、あからさまに嫌な顔をされ、「そういうことを言うのって、誰得?」と言われてしまいました。私は、「ああ、この気持ちはわかってもらえないし、言ってはいけないことなんだ。」と心にしまうことにしました。

心の中の満たされなさ、人と心を通わせられない寂しさ、人に必要とされるには頑張るしかないという焦り、そして日に日に厚くなるプライドの鎧・・・どんどん身動きがとれなくなってきた私は、仕事を辞めて一度学びなおすことにしました。

そして30代に突入、そこからついに「人生お手上げ期」に入ります。きっかけは、双子が生まれたこと、そしてとどめの家族の大事件でした。(つづく)

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