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小さな氷の塊

朝起きてスマホをだらだらと眺めると「流氷」の文字があちこちで飛び交っていた。遮光カーテンが苦手で、うちの窓にはすべて薄手の白いカーテンを使っている。なので、カーテンを開けずともよく晴れていることがわかる。今朝はかなり冷え込む予報だったし、外は気持ちいいだろうな。散歩したいな。

そんなことを考えながらもやっぱりてきぱき動き始める気にはなれなくて、のんびり午前中を過ごす。有意義に過ごしたいと思いながらも、なんやかんやで結局こんなふうに過ごす週末が多い。

正午過ぎにだんだんお腹が空いてきて、今日は調子がよくないこともあってあたたかいお蕎麦を食べてほっとしたい気分になる。久々にらいうんのお蕎麦が食べたいと思い、身支度を済ませて玄関を出た瞬間「あ、これは寒い」とわかる。屋外での仕事をしていたときは服装で体温を調節できるように天気予報や気温をチェックしていた記憶があるけれど、その頃よりも今の方がずっと天候に敏感になっている。1時間ごとの気温の変化、風向き、風の強さ、視界情報、海氷速報を確認したり、外にいるときに北風だなとか太陽の位置が変わってきたなとか(動いているのはもちろん地球の方なのだけど)をごくごく自然に考えていることに気付いて、ちょっと驚いてから嬉しくなったりもする。札幌で生活していたときはそんなこと全然考えてなかったな。
都会だろうと地方だろうと、どこに住んでいようと同じように季節はめぐっている。都会だから感じられないということはきっとないはずだから、自分自身が変わったんだろうな、と思う。

久しぶりのらいうんのお蕎麦の美味しさにじんわり感動して、あたたまった体で車に乗り込む。来た方の道には戻らず、山の方に向かう。お気に入りのドライブコース。ほんの少し標高が高くなるだけで木々の上の雪の残り方が違う。陽の当たり方も違うし、やっぱり気温も少し違うんだろうな。しばらく会っていない、この近くに住むご家族のことを考えたりしながらひたすらに美しい斜里岳を眺めて走る。突き当たりまで行った角のところには毎年見る車たち。きっとここから上がっていってスノーモービルで遊んでいるのだろう。姿は一度も見たことがないけれど、農家さんかなあと勝手に想像している。いいなあ。

そのまま道をくだって、海の方へ向かう。あんなに快晴で斜里岳の稜線もしっかり見えていたのに、どんどん雪が降ってくる。風はそこまで強くない。粒の大きなきれいな雪。「ホワイトクリスマス」という言葉がぴったり合いそうな降り方だ。駐車場に車を停めて海岸へ出る。網走の方はシャーベット状の波になっていたり、流氷もぷかぷかと浮いているようだけど、こちらの波はまだ変化なし。その代わり砂浜には氷の塊が取り残されていた。砂だらけになったその上にはらはらと雪が降り積もって、美しい。晴れた真っ青な空もいいけれど、この空模様も大好きだ。眩しくないのも嬉しいし、なによりとても落ち着く。

「どこかに小さな氷の塊を持っているような感じがする」「悲しさを感じる」と、昨日言われたことを思い出す。そう思ってくれて嬉しいです、と返すのも変かもしれないけれど、でも、やっぱりちょっと嬉しかった。不思議なことに、何かと気にかけてくれる人が、ここにもいる。その小さな塊を捨ててしまいたいとか、とけてなくなってほしいとは思わない。それがあるから今のわたしがある。どこか愛おしさすら感じられるようになってきている小さな氷の塊。これからも大切に持ち続けて、自分を大切にして、他人に対してもやさしい人でありたいと思った。



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