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第47試合「ものがたり」

昔、四天王プロレスというジャンルが有った。
派手な技の応酬でテンションを上げ、エプロンサイドでも場外の硬い床でもお構いなしに叩き付ける。
最近、そんなプロレスがまた流行って来た。
私はどうしても危険な技の応酬は好きになれない。
確かに四天王プロレスはテンションが上がるかもしれない。しかし、それによって多くの選手が怪我で悩んでいたのも事実。中には亡くなる選手もいた。
プロレスの見方は人それぞれだからそんなプロレスが流行るのは仕方ない。
が、一つ問いかけたい
「貴方はその技にどんな物語を見るのか?」と。

今日、スーパーヒーロータイムで放映していた仮面ライダーセイバーを久しぶりに見た。
中々日曜日が休みにならなかった為、飛び飛びで放送を見ていたが、今日が最終回と言う事で朝9時に合わせてTVを付けた。
話が進んでいったその時、あるセリフが気になった。

「この世界が消えると分かったとき…あなたは…どんな物語を思い出しますか?」

世界が消えていく中でPCで打ち込んだ一文。
消え去った虚空で次々と流れて来る返信。
そして新しい物語を執筆する事で世界を再構築させて、消えた人が帰って来る。
そんなエンディングを見てふと思ったことが有った。
「人間の本当の死は”忘れ去られたとき”だ」
思いが無くなった時こそが本当の死である。

これは、プロレス技の様な形無きものでも同じではないのだろうか?
いかに派手でインパクトがある技でも、そこに思いが無かったら只の技、それでおしまいである。
選手が身を削って放った技も、観る側がインパクトだけを求めてスカッとしただけなら、後世には残らない。
以前、武藤敬司がドラゴンスクリューを出した時、ただ技を見ただけなら「藤波辰巳が使っていた技」と言う認知だけでここまで継がれなかった。
そこに武藤敬司の物語が付随した事で、後世まで語られる技になったのだ。
これは東京ドームで高田延彦に掛けた足四の字固めも同様である。
あの足四の字には新日vsUインターという物語が付いていたのだ。
そうでなければ70年代の選手が使っていた只の基本技でしかない。

今、矢野安崇が先輩相手に試合をしている。
試合では必ずと言って良い程ボディアタックを出している。
まだ若手の矢野はそこまで凄い技を出す訳ではない。
拳王のP.F.Sや潮崎豪のムーンサルトプレス、亜烈破のスターダスト・プレスに比べたら全く派手ではない。
では、矢野のボディアタックは無駄な技なのか?
いや、そこには矢野安崇の未来への物語がある。だからボディプレスには魂が籠っているのだ。
どんなに先輩が高度な技を繰り出してもその技に物語が有る以上、必殺技に昇華するのだ。

どんなにコーナーから何回転するプレス技が流行っても、棚橋弘至のハイフライフローには棚橋弘至の闘い抜いた物語が宿っている。
昨年ドームで放った内藤哲也のスターダストプレスは東京ドームだから、オカダカズチカ相手だから、二冠戦だからという最高の物語がある。
清宮海斗が使っているタイガースープレックスには三沢光晴に憧れ、NOAHに入って三沢に追いつこうと奮闘する清宮の物語が有る。
昨日、富士通スタジアム川崎で行われたDDT興行のメイン、秋山準が放ったエクスプロイダーには長年に渡り猛者と戦った秋山の物語があり、竹下幸之介が最後に出した変型チキンウイングフェイスロックにはその秋山、ついては続いていた苦悩を払拭する為に一心不乱に闘った竹下の物語が有る。

技の派手さも大事であるが、そこに物語がない技はいずれ忘れ去られる。
現にドラゴンスクリューも藤波が使ってから一度は忘れ去られた技なのだ。
そこにどんな物語を魅せるか。そこにどんな物語を見出すか。
それでただのドロップキックもエルボーも素晴らしい技になりえるのだ。
技に魅せられるのも一興、技に思いを乗せるのも一興。

貴方はその技を見た時、どんな物語を思い出しますか?

(敬称略)

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